22・もう来ないで。
私、目がおかしくなったのかしら? こんな所に来るはずの無い人が見えるのだけど……? 外でチヨが楽しそうに話している男性、顔は見えないけど、あのうしろ姿、あれってもしかして……。
ランチタイムを前に、外を掃除していたチヨが誰かと楽しげに話をしているのが目に留まり、私はそれが誰なのか気になって、仕事の手を止めてしまっていた。
「ラナさん! 今すぐ、おにぎり作る事出来ませんか? この時間ならランチ用のご飯は炊きあがってますよね?」
チヨは勢い良くドアを開けて中に入って来たかと思えば、そのまま勢い良くカウンターに体を乗り上げ、満面の笑顔で厨房に居る私に声を掛けた。
「中身は何でも良いんですけど。あ! やっぱり梅以外でお願いします! 出来れば違う味で三つ! 外を見て下さい、見えますか? ほら、昨日お話した私を助けてくれた騎士様です! わざわざ人に聞いてここまで買いに来てくれたんですよ! 宿の場所は教えなかったのに、おにぎりって名前だけでわかっちゃうなんて、凄くないですか? この宿の名物が有名になってきた証拠ですよね!」
その人が訪ねて来てくれた事が相当嬉しいのだろう。目を輝かせて興奮気味に頬を赤らめ、早口で捲し立てた。
「チヨ、準備中でお客様が居ないと言っても、それは行儀が悪いわよ」
「何だアイツ、浮かれ過ぎだろ」
シンもチヨの態度に呆れてボソッと呟いた。
厨房からでは、外に立っている男性がよく見えない。もし彼だとして、学校はどうしたのかしら? 今日は平日よね。あの真面目な性格で、サボるとも思えないし……。きっと私の思い過ごしね。
私はランチメニューとして作った甘辛い焼肉と、焼鮭、細く切った昆布の佃煮でおにぎりを作り、チヨに渡した。焼肉を入れたおにぎりなら、前世で食べた事があるので美味しいのは間違いない。ボリュームもあって、男性なら喜ぶんじゃないかしら。さらにマヨネーズもかけたらもっと美味しくなったかも。
「はい、お待たせ。今すぐって言うから、普段なら入れない物も入ってるわ。右から、焼肉、焼鮭、昆布の佃煮。ねえ、チヨを助けてくれた人なら、私も会ってお礼を言った方が良いかしら?」
おにぎりを受け取ったチヨは、一瞬微妙な表情を見せ、ふるふると首を横に振った。
「ラナさんが今一番忙しい時間だって知ってるのに、そこまでしなくて良いですよ。コレ、ありがとうございました。外で待たせてるので、渡してきますね」
チヨは駆け足で外に出ると、宿の前で待っていた男性に包みを手渡した。男性は代金を払って、何かチヨに言葉をかけたあと、意外なほどあっさり帰ってしまった。
本当におにぎりを気に入って、ここまで買いに来ただけだったようね。チヨに何か下心があって探し当てたのだとしたら、一言言わなくちゃと思っていたけど、どうやら杞憂だったみたい。
チヨを助けてくれた紳士に対して、失礼な事を考えてしまったわ。
「オーナー、チヨのやつ、大丈夫なのか? あいつは騎士様とか呼んでたけど、ちょっと舞い上がり過ぎだろ。変な男に入れあげて、騙されたりしないか心配だな」
シンはチヨを妹の様に思っているのか、妹を心配する兄の顔になっている。
ここへ来たばかりの頃のシンは、本当に一匹狼の様に無口で感情の読めない人だったけれど、タキが回復してからすっかり変わってしまった。勿論それは、良い方に。
「話に聞く限りではとっても紳士的な方の様に思うけれど。会ってお礼を言いたかったわ。こんな時間帯でなければ、どんな方なのか見に行ったのだけど。でも、おにぎりがお気に召したのなら、また来て下さるでしょう。その時は、タキの目で見てもらうわ」
「うん。僕が見れば、善人か悪人か、ひと目でわかるよ。でもまあ、チヨちゃんは人を見る目は確かだと思うけどね。ここの従業員達を見れば、わかるだろ?」
確かに、誰一人として嫌な子は居ない。それに厨房以外は若い女の子ばかりだというのに、一度もトラブルは起きていない。シンにしても、初めの印象は最悪だったと聞いていたけど、心を開けば凄く面倒見が良くて優しい人だわ。
「確かにあの子、人を見る目があるわ」
「おいおい、チヨは一応女の子なんだから、そこは警戒しようぜ。オーナーも、下手に関わろうとするなよ。どんなやつか分かったもんじゃない。本当に騎士だとすれば、むこうは貴族だろ? お前が目を付けられたら面倒だ。それにその手、冷やしておけよ。真っ赤じゃないか」
炊きたて熱々のご飯を握ったせいで、本当に真っ赤になっていた。熱いご飯を握るのは毎朝の事だし気にしていなかったけど、これはちょっとまずいかな。
「あ……大丈夫よ、後で冷やすわ。これを作ってしまわないと、間に合わないもの」
シンは特に男性客に関して心配し過ぎな気もするけれど、危機管理能力の無さはおじい様にも指摘されたわね。だけどこの商売をしていれば、お客様を選り好みは出来ないわ。いつかは嫌なお客様も来るでしょう。
私はオーナーとして、そんな相手とも対峙しなくてはならないと思っているわ。
「ラナさん、ランチの準備で忙しい時に、余計な仕事をさせてしまって、すみませんでした。騎士様に叱られてしまいました、まだ準備中なのに、厨房の人に無理を言って作らせたなら、やめて欲しかったって」
チヨはしょんぼりして戻って来たと思えば、いきなり私に謝罪して来た。
「何だよ、その騎士様に言われて作らせたんじゃなかったのか?」
「違います……準備中なら出直すって、そのまま帰ろうとしたので、私が勝手に判断して、大丈夫だからって引き留めたんです。でもそれで逆に気を遣わせてしまって、時間外に作らせて申し訳ない事をしたって、倍以上のお金を渡されてしまいました」
チヨの手には、渡されたおにぎりの代金が乗せられていた。自分のワガママで私に迷惑をかけ、特別扱いした事で相手に呆れられてしまったと、後悔しているようだ。
「こんなの多すぎます。差額をお返ししたいです。でも名前も知らなくて、どこに行けば会えるのかわからないんです」
それは駄目だわ。男のメンツ丸潰れじゃない。多い分はチップのようなものだと思えば良いのに。
「チヨ、一度支払ったお金を返されたら、相手の方は気分を害してしまうわ。あのおにぎりの代金として、その方はそれが妥当と判断されたのだから、今回は素直に受け取りなさい。私も迂闊だったわ。特別扱いを喜ぶ人もいるけれど、その方はとっても真面目な方だったのね。次にいらした時にでも、何かサービスして差し上げれば?」
「私に呆れて、もう来てくれないかもしれません」
あと30分でランチタイムが始まってしまう。私はチヨの話を聞きながら、パッパと料理を仕上げて行き、それをタキに運んで貰っていると、シンが突然怒鳴り声を上げた。
「チヨ! ウジウジすんな! お前はそんなタイプじゃないだろうが! 時間が無えってわかってるくせに、オーナーの邪魔ばっかしてんじゃねーよ! さっさと自分の仕事に戻れ! 話は後で聞いてやるから」
シンの言う事はもっともだけど、もっと優しく言えないのかしら。チヨはしっかり者だから忘れてしまいがちだけど、まだ13歳の子供なのよ。
「兄さん、チヨちゃんがビックリしてるよ。チヨちゃん、今日はラナさんと一緒に昼休憩に入って、じっくり話を聞いてもらいなよ」
チヨはとぼとぼとカウンターに戻り、お金をレジに入れると、溜息をついて帳簿に記入し始めた。
私は先に休憩に行って良いという二人に甘えて、チヨを連れて私の部屋に行き、お昼を食べながら話を聞く事にした。話を聞いていると、何だか無性に懐かしい感情が蘇ってきた。前世の自分が中学生だった頃、友人にこんな子が居た気がする。私は専ら話を聞く係だったけど。
恋に恋するお年頃。
まさしく今のチヨがそんな年頃だ。ピンチを助けてくれた素敵な騎士(仮)との出会いに、浮かれてしまっているみたい。そしてその人が自分を訪ねて来てくれたのでは、舞い上がっても仕方がないだろう。
一体どれだけ素敵な方だったのかしら。
「うちの商品を気に入ってくれたのなら、また買いに来て下さるわ。お名前はお聞きしたの?」
「いいえ、聞いてません」
ああ、そうだった、さっき名前も知らないと言ってたわね。名前が分かれば、貴族であれば誰なのか分かったかもしれないのに。名乗り合う事もなかったのね。
「昨日は詳しく聞かなかったけれど、どんな人なの? 見た目は?」
「えーっと、シンより背が高くて、がっしりしていて、最近喧嘩でもしたのか、顔が痣だらけでした。口も切れていて、だからおにぎりで元気を出してもらおうと思ったんです」
何だか嫌な予感がした。さっきのうしろ姿。
これで目の色がグレーなら、予感的中だわ。
「その人、目の色は何色か覚えている?」
「目の色? 黒っぽく見えたけど、日に当たるとねずみ色でした」
エヴァン? やっぱりあそこに立っていたのは、あなただったのね。でもどうして? これは偶然? まさか私を探しているわけじゃないわよね。もうあなた方とは無関係よ。邪魔な私を排除して、希望通りになったでしょう? この広い王都の中で、偶然再会するなんてどんな確率なのよ。庶民の食べ物になんか、興味もないくせに。
「ラナさん、どうしたんですか? 何だか怖い顔です」
「っ……なんでもないわ。チヨ、その方に幻想を抱くのは止めなさい。一度親切にしてくれたからといって、良い人とは限らないわ」
「どうしちゃったんです? そんな事言うなんて、ラナさんらしくありません。私、あの人は良い人だと思います。目を見れば分かります!」
目を? あの冷たいグレーの目に見下ろされたあの日の事が、今でも脳裏に焼きついている。彼を信じていたからこそ、心が痛い。
「そう、私は忠告したわ。ガッカリしても知らないわよ」
今この場で、エヴァンとはもう会うなという事はできる。でも、障害があるほど相手の事が気になって、好きになってしまうかもしれない。今は下手に触れない方が良い様な気がする。前世も今も、自分には恋愛経験が無いから、良く分からないわ。チヨのこれが、恋なのかも定かでないし、本人もまだわかって無いでしょうね。
彼が弱い者に優しいのは知っているわ。小さなチヨにどう親切にしたのかも、容易く想像できる。
もう来ないで。
もし来ても、私は知らん顔するわよ。
だって、エレインは修道院に入ったんだから。
ここに居る私は、宿屋の女将、ラナ。あなたなんか、知らないわ。




