206・第一村人発見?
「おはよう! 良い天気だね!」
ギョッとして振り返ると、腰に長剣を佩いた壮年の男性が、丘の中腹辺りから私達に手を振っていた。いつの間にそこまで来ていたのか、まったく気配を感じなかった。
その人は一つ結びにした髪を風になびかせ、悠然と丘を登って来る。よく見ると髪の毛の色がシンと同じオリーブ色だ。
下の林の近くの木柵に、彼が乗って来たと思われる白馬が繋がれている。馬は一頭、他に人の姿はない。
そのうち誰かに会うだろうとは思っていたが、まさか最初に会う人が剣を携帯しているなんて。
私達は食べかけの朝ごはんを慌ててベンチに置き、立ち上がる。
「ど、どうしよう、シン。剣を持っているわ」
「大丈夫、何かあれば俺が守る。……でもよく見ろ。あの人は俺達に危害を加える気なんて無い。そんな怯えた顔するなって。笑顔だ笑顔」
「そうね、第一印象は大切だわ。私達はこれからここで、商売を始めようとしているのだから」
私は直ちに営業スマイルを顔に貼り付けた。少々引き攣ってしまうのは、近づいて来る男性から圧を感じているから。
確かに殺気は無いし、朗らかな笑みを浮かべているのだけれど、それでも隠しきれない威圧感があるのだ。ラフな格好には似つかわしくない威厳を感じる。
壮年の男性は私達を警戒する様子もなく、人懐っこい笑みを浮かべて爽やかに自己紹介を始めた。
「私はエルカット・ロイエンタールだ。君達は?」
エルカット・ロイエンタール? どこかで耳にした名前だ。でも、どこで聞いたのか思い出せない。宿のお客様に同じ名前の方がいたのだろうか。
日焼けした肌に深いシワが刻まれているが、なかなかのハンサム。年齢は五十代後半に見える。
服装はとてもラフで、ゆったりしたアイボリーの編み上げシャツにこげ茶のズボン、足元は黒いロングブーツだ。
シンに視線を向けると、シンは左手を胸に当て、軽くお辞儀をした。
かしこまった挨拶。それはつまり、目の前の男性を高貴な方だと判断したという事。
私もシンに倣ってお辞儀をした。
「私はシン・アルステッドと申します。彼女はラナ」
シンが名乗ると、男性は一瞬顔色を変えた。そして私とシンを交互に見る。
「アルステッド」はシンの祖父の姓である。元はこの国の貴族だ。
だからこの男性がアルステッド家を知っていても不思議ではない。
と、私は思ったのだけれど、男性からは予想もしない言葉が飛び出した。
「物好きだね。こんな所へ新婚旅行かい?」
「ちっ、違います!」
慌てて否定すると、二人の声がピッタリ揃った。
男性はクスクス笑っているが、目は私達を吟味するように観察を続けている。
多分本当に言いたかったのはそんな事ではないのだろう。
そこで男性は、考え事でもするように口元に手を当て、ボソッと呟いた。
「うーん……やっぱり似ているなぁ」
「……? 誰にです?」
シンが問いかける。
すると男性は、今度は誤魔化さずにハッキリ言った。
「二週間くらい前、朝早くに滝の裏の神域に入って行ったのは君達だね?」
「――!!」
まさか私達の姿を見られていただなんて……!
あの日はちょっと様子を見るだけのつもりだったから、変装らしい変装をせずに旅人を装ってこの地に降りてしまった。
そこまでは良いとしても、問題はその後だ。
私は意図せず女神を降臨させ「この国を元の姿に」という願いを叶えていただいた。
洞くつの中にいた私達は外がどうなっていたのか知る由もないけれど、この方は見ていたのだ。
地面が揺れ、雷のような閃光が走る瞬間も、国土を満たしていた大量の水が瞬く間に消えるところも。
そしてそれらが起きる直前に、神聖な場所に入って行く私達の姿もしっかり目撃されていた。
この方は、あのタイミングで現れた私達をどう思っているのだろうか。
ひどく動揺して心臓が早鐘を打つ。
「あの……それは……」
「ああ、別に神域に入った事を咎めている訳じゃないんだよ。誰でも入れる訳じゃないからね。入れたって事は、その資格があったからだ。違うかい?」
シンはコクリと頷き、私は小さく返事をした。
「そう……です」
「うん、正直に言ってくれて良かった。さっきは揶揄ってすまなかったね。実はずっと探していたんだ、君達の事を」
「え……?」
一気に警戒心が高まる。
私達が困惑している事に気づいた男性は、気まずい空気を振り払うように慌てて説明を始めた。
「あ! 待て待て、探していたのは捕まえようとかそんな理由じゃない! 要するに何が言いたいかっていうとだな――」
男性は感無量の面持ちで目に涙を浮かべ、スーッと息を吸い込んだ。そしてこちらがビクッとするほど大声で捲し立てながら、ズンズン近づいて来る。
「ありがとう!!」
「……え?」
「君達のお陰でアルテミは復活した! 王として礼を言うよ! 私の代でこの景色が見られるなんて、こんなに幸せな事はない! 泣く泣く国を離れた民達も、どれほどこの時を待ち望んでいたか……。皆知らせを聞いて、急いでここに戻る準備をしている。隣国にいる者達は来週にも帰国するだろう。君達のお陰だ。ありがとう、本当にありがとう!」
そう言ってシンと私を一度に抱きしめ、何度も何度も「ありがとう」を繰り返した。
突然の事に思考が追い付かなかったが、少し経ってある事に気づく。
……待って。王って言った?