201・ドアの向こうへ
私がドアの向こうを観察していると、すぐ横の勝手口のドアが開いて朝の鍛錬を終えたシンが木剣を持って入って来た。
「あ、おはよ。オーナー、レヴィのやつ俺らが寝てる間にドアを付けて行ったみたいだな」
「おはよう、シン。このドアを開けてみた?」
「いや……」
「見て見て、向こうは知らない部屋なの。すごく不思議ね」
シンに部屋を見せる為に大きくドアを開ける。
向こう側は石積みの壁で、割と広めの倉庫のような部屋だ。
二つ並んだ小さな窓からは風に揺れる木の葉が見え、柔らかな朝の光が差し込んでいる。
シンは興味深そうにドアに触れ、向こう側の部屋を覗いた。
「このドアをくぐればアルテミなのか。何か、有名な秘密道具みたいだな……」
「ああ! 確かに!」
朝からこんなに楽しい気分になったのはいつ以来だろうか。
誰かと日本の漫画の話が出来る時が来るなんて考えもしなかったから、シンが仁さんの記憶を持っている事が嬉しくてたまらない。
ドアを開けたまま他愛もないお喋りをしていると、動物の形をした妖精が何匹かこちらに飛んで来て、私達を誘うように周りをクルクル回って元の部屋へと戻って行った。
彼らはそのままどこかへ行ってしまうかと思えば、何かを訴えるようにこちらを見ている。
「おいでって言ってるみたい。朝食の準備が遅れてしまうけど、ちょっと行ってみない?」
「……ちょっとだけだぞ?」
シンも興味があったのか、まんざらでもないという顔をして先にドアをくぐった。
私はシンに続き、ドキドキしながら室内へと足を踏み入れる。
異空間へと渡るのだから何かしらの違和感があるかと思ったが、何の抵抗も無くあっさり通れた。
空気が少しひんやりしている。
それに新築のような木の匂いがした。
室内を見回したがこの部屋には小さな窓が二つと出入り口となるドアの無いアーチ型の開口部しかない。
妖精達は私達がついて来たのを確認して、そっちへ飛んで行ってしまった。
「シンはこの建物を覚えてる?」
「いや、梁や柱が新しいし、最近建てたものなんじゃないか?」
「ふーん、じゃあこの部分は誰かが増築したのね……ところでレヴィはどこに居るのかしら?」
「そう言えば昨日の夜、明日の朝続きを話そうって言っていたな」
「でしょ? なのに今朝はまだ姿を見せていないのよね」
「少しその辺を探してみるか」
私達は開口部から廊下に出て、先ほどの妖精を追いかけた。
左右の突き当りにあるドアのうち、妖精達が飛んで行った左側のドアが半開きになっている。
ギィ、とドアを押すと、そこは色とりどりの綺麗な花が咲き乱れる素敵な庭だった。
レンガの小道の先には白い壁に藁ぶき屋根の可愛らしい家が建っている。
「オーナー、あれが俺の記憶にあるライラの家だ。だったらこっちの建物は何なんだ?」
シンはそう言うと、今居る建物を確認する為に中庭に出てくるりと振り返り、建物を見上げた。
「マジかよ……。オーナー、レヴィが言っていた通り……お、おい、どうした?」
ライラの家を前にした私は、突如言葉に出来ない感情が溢れ出し、ポロポロと大粒の涙を流していた。
あの家を見て懐かしくて愛しいと感じるのは、魂に刻まれた記憶があるからだ。なのに当時の事が何も思い出せないのが酷くもどかしい。
シンは涙を流す私に気づくと、慌てて駆け寄って来た。
「なあ、どうしたんだよ? まさかあの家を見てライラの記憶が蘇ったのか?」
心配そうに顔を覗き込むシンに、私はフルフルと首を横に振って答える。
自分でもよくわからない。説明しようの無い感情が私を混乱させているのだ。
ウィルに消された記憶を思い出した時も様々な感情が入り乱れたが、あの時とは質が違う。
あれは結局、当事者である私を無視して勝手に思い出を取り上げた彼と、それを止めてくれなかった大人達への憤りだった。
今涙が出るのはこの場所が懐かしいからだろう。でも、もっと強烈に感じているのは死にたくなるほどの「絶望」だ。
大人になったライラは一体どんな人生を歩んだのだろうか?
シンとタキから聞いた前世の話は楽しくて幸せな話ばかりだったのに、物凄く違和感がある。
ライラに何があったのか知りたい。何の根拠も無いけれど、ライラの宝物を見つけられたら何かわかりそうな気がする。
私は涙を拭って真っすぐにシンを見つめた。
「シン、早速明日から宝探しを始めましょう」
「ああ、それは良いけど……お前は大丈夫なのか?」
「私自身は何も覚えていないのに、魂がこの場所を覚えていたみたい。ライラはこんなに素敵な家で暮らしていたのね」
「……大工だったライラの父親が女神の為に建てた家なんだ。近くで見てみよう」
綺麗な庭を眺めながらレンガの小道を進む。すると、なぜか窓と勝手口のドアが開いている事に気づく。
シンは慎重に家の中を覗き、声を掛けた。
「誰か居るのか?」




