196・繋がる過去
コンコンコン……と、ドアをノックする音で目が覚めた。
視界に入るのは見慣れた天井。アルテミに居たはずの私は、いつの間にか宿木亭の自分のベッドに寝かされていた。
体を起こしてボーっとしていると、カタッとテーブルに何かを置く音が聞こえ、誰かが私のいる寝室に近づいて来る。
寝室のドアは開いたままだ。
「あ、良かった。起きていたんだね」
「タキ……」
「今朝は早くから動き回ったし、そろそろお腹が空いた頃じゃない?」
タキが持ってきた物なのか、バターとバニラの甘い香りが鼻をくすぐる。
その香りに反応して、くぅ……と小さくお腹が鳴った。
そう言えば、すぐ宿に戻るつもりで朝食も取らずに出掛けたから、今日はまだ何も食べていなかった。
「ラナさんが元気になるように、兄さんが特別な賄いを作ったんだ。テーブルに置いてあるから、早めに食べてね」
タキはそれだけ言って部屋を出て行こうとした。
私はハッと我に返り、タキを呼び止める。
「待ってタキ! 今何時なの? 急いで仕込みを始めなきゃ……!」
「ああ、慌てなくても大丈夫。ランチの準備ならあらかた終わったよ。あ、そうだ。兄さんは今日、ラナさんを休ませるつもりみたいだけど、どうする?」
「どうするって、仕事するに決まってるじゃない」
「ハハッ、だと思った。じゃあ、兄さんにもそう伝えておくね」
「ありがとう、タキ」
タキが部屋から出て行くと、廊下からシンの声が聞こえてきた。
「タキ、あいつの様子は?」
「大丈夫だったよ。兄さん、そんなに心配なら自分で確かめに行けば良かったじゃないか」
「だって俺の顔を見てまた倒れたら――」
二人の声が徐々に遠くなり、その後は聞き取れなかった。
「私が取り乱したのはシンのせいじゃないってちゃんと話さなきゃ。それに……前世の記憶の事も、話して大丈夫よね」
いつもの服に着替えた私は、居間のテーブルに置かれた賄いを見て目を瞬いた。
バケットで作ったフレンチトーストには粉砂糖が振りかけられていて、その横にミックスベリーのソースをたっぷりかけたバニラアイスが添えてある。
「これ、前世で何度か行ったカフェのメニューに似てる……」
前に作ってくれたふわふわパンケーキの時も思ったけれど、たまに彼は異世界の料理を知っているのではと感じる時がある。
パンケーキは私が口頭でレシピを教えたから作れたのだと、あの時はそんなに気にならなかった。
でも私が教えたのは作り方だけで、盛り付け方は話していない。
それなのに彼は私の記憶通りの一皿を再現してみせたのだ。
そして今回のフレンチトースト。
この国にフレンチトーストに似た料理は無い。
もしかしたらこれはシンのお母様直伝のアルテミ料理という事も考えられるが、温かい料理と冷たいアイスクリームを一皿にのせるこの盛り付け方は、どう見ても異世界の、しかも私が生きていた頃一般的だったものだ。
「……やっぱり、シンの前世は仁さん? でも彼は私と違って前世の記憶なんて無いわよね。どうやって確認したら良いのかしら……」
席に座り、シンが作ってくれたフレンチトーストにナイフを入れる。
すると、パリッと薄い飴が割れる音がした。
粉砂糖で隠れていて気づかなかったが、表面はグラニュー糖をまぶして焦がしてあるらしい。
これはブリュレ風フレンチトーストだ。
ワクワクしながら一切れ口に運ぶ。
バケットには甘い卵液がしっかりしみ込んでいて、外はパリパリ、中はとろりとした食感だ。カラメルの苦味が良い塩梅に甘さを調整してくれている。
続けてアイスクリームを口に運ぶ。バニラアイスと甘酸っぱいソースの相性は抜群である。
そして私は誰も見ていないのを良い事に、たっぷりのベリーソースとバニラアイス、フレンチトーストをいっぺんに頬張った。
「んー、幸せ……!」
食事のマナーを気にせずに食べるなんて、転生後初だ。
甘い物を食べると幸せな気持ちになる。何とも言えない至福のひと時である。
しかしゆっくりもしていられない。
早く厨房に行って二人を手伝わなくては。
「それにしても……よくこんな手の込んだものを仕込みの合い間に作ろうと思ったわね。忙しかったでしょうに……シンは優しすぎるわ」
さっきまで、仁さんを事故に巻き込んでしまった罪悪感で心が潰れそうだったけれど、シンの気遣いのお陰でとても癒された。
そこでふと、以前シンと二人で花を買いに行った時の会話を思い出した。
私が彼の気遣いを褒めた時、照れ屋のはずの彼が「……誰にでもってわけじゃねーけどな」と真顔で意味ありげな言葉を返してきたっけ。
さすがにあれにはドキッとした。
私に好意を持ってくれているのは確かだと思う。だけど、その度合いがわからない。ちょっと良いなと思っているだけなのか、恋人になりたいのか。
「考えてみたら二人は似てるかも。仁さんも思わせぶりなところがあったけど、何も進展しなかったのよね……」
もしあの事故が起きなければ……。私から気持ちを伝えていたら、友達以上になれたのかしら……。
「もしも」なんて考えるだけ無駄なのに、つい考えてしまう。
だけどそんな事を考えるより前に、今を生きる私達には優先してやらなければならない事がある。
アルテミを救っていただいたお礼に、今度は私が女神の願いを叶えなければならないのだ。
今日の仕事が終わったら、シンに相談しよう。
食事を終えて厨房へ向かう頃には、ランチタイムが始まっていた。店内はすでに満席で、客達の話し声でワイワイ騒がしい。
私は厨房に立つシンの側に行き、小声で話し掛けた。
「シン、心配かけてごめんなさい。今朝私が取り乱したのはあなたのせいじゃないのよ。あと、ブリュレ風フレンチトースト、とっても美味しかったわ。ありがとう」
シンはそれを聞いて一瞬動揺を見せたが、すぐ手元に視線を戻してオーダーされた料理に取り掛かった。
「……少しは元気出たか?」
「ええ。仕込みを手伝えなかった分、午後から頑張るわね」
「あんまり無理するなよ」
どんな反応を見せるかわざと料理名を出してみたのだが、多分シンは私の言った料理を知っている。
早くシンと話をして確かめたい。近くにいるのに話せないのはもどかしいが、私は閉店時間まで我慢した。
その日の夜、いつものように私の部屋で食事をしながら今朝のアルテミでの出来事をタキとチヨにも伝えた。
行ってみたらまだ水が引いていなかった事。女神が現れ、アルテミを元の姿に戻してほしいという私の願いを叶えてくれた事。
そしてその願いを叶えた見返りに、アルテミのどこかに隠された女神の娘の宝を探し出さなくてはならなくなった事。
それにレヴィエントと再会し、浄化した妖精のその後の話を聞いた事まで。
私はその流れのまま、気を失った理由を話そうとした。
しかしそこで、突然シンが割って入った。
「ちょっといいか」
「何? どうしたの兄さん?」
「……皆に聞いてほしい事があるんだ」
シンは不安そうに皆の様子を窺いながら、躊躇いがちに口を開いた。
「あ……あのな、実は俺には……前世の記憶がある」
「ええ!? い、いつから!?」
タキがシンに詰め寄る。
「雨乞いの時に女神の光を浴びたって話をしただろ」
「うん」
「あの時は俺にどんな変化があったのか言えなかったけど……あの光を浴びた途端、一気に前世の記憶が蘇ってきたんだ」
私は予想もしていなかったシンの告白に驚き、言葉が出なかった。
私のように記憶があるのかも、とは考えていた。だけど、彼が前世を思い出したのはつい最近の事ではないか。その時一緒にいたのに、自分の事で一杯一杯だったからまったく気が付かなかった。
チヨも驚きのあまりポカンと口をあけてシンを見つめている。
しかし、タキだけは興奮気味に次々質問を浴びせた。
「ねえ、どんな記憶なの? レヴィが言う通り前世でラナさんに関係していたなら、アルテミに居た頃の記憶? 名前は? 兄さんは前世でなんて名前だったの?」
「急にどうしたんだよタキ?」
「いいから答えて!」
「……俺の前世の名前は……成神仁。この世界とは違う異世界の人間だった」




