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16・未熟者の後悔



 幼馴染のエレインが学園を追われてから、一ヶ月が過ぎた。


 あいつは本人の言っていた通り、あのパーティーの二週間後には屋敷を追い出されてしまっていた。

 あれから体調を崩したらしいが、それでも修道院送りにするとはな。あいつの爺さんは、本当に容赦のない人だ。

 あの両親では、爺さんを止める事は出来ないだろうとは思っていたが、兄のルークが味方についても駄目だったのか。



 あんな事にはなってしまったが、俺個人はあいつに何の恨みも無い。むしろ、幸せそうな殿下とサンドラを見せつけられて、蔑ろにされているエレインに酷く同情していた。

 王太子妃となるエレインの側に居たくて、無理を言ってフレドリック殿下の側近候補に入れてもらったというのに、俺は何をしているんだ? 味方をすべきはエレインの方だったのに、これでは本末転倒だ。


 結局あの噂を流したのは誰なんだ? エレインが殿下に隠れて俺とも深い仲だという、どこからともなく湧いた二股疑惑。あれのせいで、あいつの名誉を守る為、近付く事も話す事も出来なくなってしまった。どこかの誰かじゃあるまいし、エレインはそんな女じゃない。 

 だから早急に手を打って、いかにもサンドラに傾倒しているかのように振舞い、あいつから離れる事で噂は消えたが、殿下とサンドラの事で悩んでいるであろうあいつの話を聞いてやりたかったのに、肝心な時に何も出来なかった。悩みを聞いてやることさえ出来れば、サンドラを襲わせようなんて馬鹿な考えを起こさずに済んだかもしれないのに。

 

 王弟殿下の思惑がどの様なものなのかは知らないが、余計な事をしてくれた。あの方がフレドリック殿下に執着しなければ、エレインは変わる事無く、今も清い心のままでいただろうに。サンドラに嫉妬するほど殿下に心を奪われてしまったのか? 大切に扱われていた訳でもあるまいに、女心は理解できない。



 あいつとは幼い頃、良く一緒に遊んだ仲だった。うちの屋敷の庭で、母の大切なバラや、庭師の手入れした草や花を摘んで花冠を作り、俺は良く叱られていた。

 あの花冠を頭に乗せたあいつは、長い髪が風に舞い、日の光に透けるように輝いて、まるで本物の天使のようだった。照れてはにかむ姿が可愛くて、あの頃の俺は、母に何度叱られようとも、あいつのために花冠を作る事を止めなかった。


 初恋だった。


 我が家の階段に飾られた、絵画の中の天使に憧れた幼い頃の自分は、そのまま絵から抜け出た様なエレインに初めて会った時、雷に打たれたような衝撃を受けた。その後頻繁に顔を合わせる様になると、彼女の見た目の可愛らしさだけでなく、性格の良さもあいまって、好きになるのはあっという間だった。

 しかし明るく振舞う彼女とはうらはらに、家では祖父からの厳しい躾けに耐えている事を知った俺は、足に残る虐待の痕を見て、自分が守ってやると誓ったのに、それがどうだ、約束を守るどころか……。


 俺はあの日の行動が本当に正しかったのかと、今になって疑問を抱き始めていた。いくら聖女への暴行を企てたとは言え、あそこまでする必要は無かった。

 あいつの怯えた顔を見て、正直心が大きく動いた。だが、そこで惑わされてはいけないと思い、次の瞬間には手に力を込めてしまっていた。


 あいつは反論こそすれ、何の抵抗もしなかった。らしくもなく潔く罪を認めない往生際の悪さに、つい苛立ちを感じてしまった。俺がサンドラの護衛を任されたと知っていて、それでも襲わせたのかと失望もした。

 お前を信じたいのに、なぜ証拠が残るようなやり方をした。あれさえ無ければ、お前を信じる事が出来たというのに。


 俺は他の者達の様に、サンドラに好意を持っているわけでは無いが、最初に襲撃された時、殺されかけて本気で怯える彼女を見ているせいか、どうしても、あの目を見ると守らなければならないという使命感に突き動かされてしまう。

 最初の襲撃はプロの刺客で、間違いなく殺す気でかかって来ていた。何とか彼女に怪我を負わせずに済んだが、あの時誰かが近くを通りかからなければ、二人共無事では済まなかっただろう。皆の前では取り逃がしたなどと言ったが、あの男達が逃げてくれなければ、こちらの命が危なかった。

 二度目の襲撃は、ただの脅しのつもりだったのか、殺気は無く、動きも無駄が多かった事から、プロではなく町のチンピラを雇ったのだろう。

 しかし今になって考えてみれば、あのエレインが下町のチンピラと交渉など出来たのかという疑問も残る。嫉妬に燃える女なら、そのくらいの事はやってみせるという他の者達の言葉にあの時は納得してしまったが、はたしてそうなのか? あの後は勿論あの者達を探したが、情報は何も得られず、そのままあの断罪の場であいつを責める材料にされてしまった。何だか出来すぎている。パーティーの数日前に脅し程度の襲撃をさせて、殿下や周りの者達を煽り、一体何がしたかったんだ? 殺されかけても殿下から離れようとしなかったサンドラが、今更あんな脅しで怯むとでも思ったのか?


 最後に見た、エレインの失望に満ちた顔が頭から離れない。あの時は何故か逆に、こちらが見放されたという気持ちにさせられてしまった。


「あの……エヴァン様、今、お一人ですか? 少しお話ししたい事があるのです」


 放課後に、中庭のベンチでボーっと一人考え事をしていると、珍しくエレインの友人達が話しかけてきた。確か彼女は、マリア・カルヴァーニ伯爵令嬢。エレインとは特に仲良くしていたはずだ。あいつが居ない今、この俺に改まって何の話がしたいというのだ。エレインを追い詰めた俺を、集団で批難する気か? ならば、思う存分やってくれ。俺を責めて、殴ってくれても構わない。その程度の事では、エレインにした事は帳消しになどならないが。


「何か?」

「多分、こんな事をしてもエレイン様は喜ばないかと思いますけれど、あなたは知っていた方がよろしいかと……」


 もったいぶって、何が言いたいんだ? 俺を責めに来たのではないというのか。 


「私達の知っている事実を全てお話し致します。これをお聞きになった後は、事実確認をするなり、心に留めておくなり、お好きにどうぞ」

「で、話とは、エレインの事か?」

「はい、そちら側でエレイン様がした事になっている嫌がらせは、事実無根です。まずはインクの件ですが、あれはサンドラさんがエレイン様のインク壷を盗もうとしていたというのが始まりなのです。私を含め、見ていた者が何人かおります。慌てて落としたそれを誤魔化そうと、自らのドレスで隠し、エレイン様が止めるのも聞かず、蓋が外れてほんの少し零れたインクをスカートで拭いたというのが事実です。エレイン様は彼女を咎める事も無く、気に入ったのなら差し上げるわと言って、お気に入りのインク壷を、新品のインクと一緒に彼女にプレゼントしていました。

 サンドラさんに言い寄っていた方も廊下から見ていました、パウリー子爵のご子息ですわ。彼はスカートで床を拭き始めたところまで見て、走ってどこかに行きました。あの方が殿下に告げ口したのは分かっています。あのパーティーの時は、エレイン様ご本人が何も喋らないでと目で訴えていたから、証言することを皆我慢したのです。あの方は、ご自分があの様な辛い状況に置かれても、私達の事を巻き込みたくないと心配してくださる様な方なのです。それはエヴァン様も良くご存知のはず」


 そんな事は誰よりも知っている。それでもあの男達が持っていた指示書は、確かにエレインの書いたものだった。筆跡も確認したが、俺が昔もらった手紙の文字と酷似していた。しかもあいつはアルフォードから取り寄せた、珍しい緑がかったブルーのインクを愛用している。あれはこの学園では誰も使っていない、特殊な物だ。


「……ちょっと待て、サンドラにインクをやったのか? では、あいつでなくても、あのブルーのインクで服を汚せたという事になる。それにあの指示書を書く事も可能ではないか。サンドラは聖女だぞ? 聖女が嘘をついたというのか?」


 俺は混乱し、信じていたものが全てひっくり返されて、考えが上手く纏まらなかった。とにかく今言える事は、エレインが犯人とは言い切れなくなったという事。それは嬉しい反面、自分のした事の愚かさを思い知り、ザワザワと心の奥がざわついて、一気に血の気が引いた。


 俺は何に惑わされていた?

 無条件であいつを信じるべきだった。

 この時俺は、ずっと引っかかっていたものの正体に気付き、死んでしまいたいほどの後悔に押しつぶされた。


「さあ……? 私達は真実を伝えるのみ。憶測はそこに含みません。私達はサンドラさんが殿下にあのような訴えを出していた事など、まったく知りませんでした。私達とサンドラさんとの間に、いじめなどは存在しませんでしたから。全て、エレイン様が事前に注意して止めさせていたのですもの。彼女が訴えていた嫌味だって、言っていたのはあの派手なケイティ様のグループで、エレイン様はそれを窘めていただけでした。それも、サンドラさんが殿下に会いに行っている時の話です。なのにまるで直接言われたかのような口ぶりでしたわね。この学園内では、私達の誰かは必ず最低一人、エレイン様と一緒に行動していました。なぜなら、父にそう指示されていましたから。ですから、一対一で彼女に嫌がらせをする機会は無いのです。それでもやったと言い張るのでしたら、一緒に居た私達も処罰の対象にされなければ、筋が通りません。私達全員を、退学処分にして下さいませ」


 そうそうたる顔ぶれの、このご令嬢達を一斉に退学になどすれば、学園の評判は地に落ちるだろう。ここは歴代の王が通ってきた由緒正しい学園であり、ここを卒業する事は貴族のステータスにもなる。

 しかし、この翌週、彼女達は退学ではなく、転校と言う形で学園を去ってしまった。エレインに肩入れする者は皆、第一王子ウィルフレッド殿下の元に集結したのである。


 そして、サンドラの件を調べ始めた頃、彼女の実家の火事の一報が入ったのだった。実際にエレインのインクを持っているのか確認したかったが、インク壷もインク瓶も、焼け跡からは見付からなかった。


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