186・アルテミの第三王女シェリア
誘拐事件が解決した翌朝、ワイリンガム城は大変な騒ぎとなった。
救出した被害者を城近くの宿で一旦休ませ、落ち着いたところで家族のもとへ帰す手続きを始めたところ、その中に異国の姫君が紛れている事が発覚したのだ。
捜索依頼を受けた兵士は依頼主から少女の特徴と名前しか聞いていなかったのだから混乱するのも当然である。
お忍びでの旅の途中で誘拐されたアルテミの第三王女シェリアは、はぐれた侍女や護衛達と合流する為に身元を明かすと、すぐに城の客室に移され手厚いもてなしを受けた。
そしてシェリアとはぐれてしまった侍女は、王女が無事保護されたとの知らせを受けて城に駆けつけたのだった。
侍女は案内された部屋に入るなり、窓辺の長椅子に腰かけていた王女の前でへたり込み、そのまま土下座のような体勢で謝罪を始める。
汚れた衣服が彼女がどれだけ必死に主を探していたかを物語っていた。
「シェリア様! ああ! ご無事で何よりでした……! 私がお側を離れたばかりに何日も恐ろしい思いをさせてしまい、申し訳ございません!!」
「顔を上げなさい、子猫を追いかけて路地に入ってしまった私が悪いのです。幸い待遇は悪くありませんでしたし、怪我もしていません」
侍女はシェリアの様子を見ようと顔を上げた。そして元気そうな姿にホッとするも、すぐに異変に気づく。身に着けていたはずのアクセサリーが無いのだ。
「……シェリア様、耳飾りはどうされたのですか? まさか、大事なペンダントを取られたりなどしておりませんよね?」
シェリアは一瞬考えを巡らせた。
金目の物を出せと言われた時、こっそり下着の中に隠した黒曜石のペンダントは助けてくれた者達に渡してしまっている。
救出に来てくれたラナ達に何かの縁を感じ、渡せばまた会えると確信したのだ。しかしそれを侍女に言えばきっと叱られるだろう。
だから手袋を外して左手の中指にはめた紋章入りの金の指輪を侍女に見せて話を逸らす。
「何も取られていません。犯人が連行される時、すべて私に返してくれましたから。それより、例の物は見つかりましたか?」
「は、はい、それが……別行動させていた護衛達の報告によると、王都内の質屋にそれらしき物を買い取った店は無いそうです。やはり、ラナ・クロンヘイム様から石を譲り受けた人物を探すしかありません」
「そう……アルフォードでは結局空振りでしたし、お輿入れの前に手放した可能性が高そうね」
「あの、シェリア様。念の為この国に嫁いだノリス公爵夫人にも……」
コンコン、とドアをノックする音が響く。
会話を止めて返事をするとすぐにドアが開き、メイドが来客を告げた。
「失礼いたします。ウィルフレッド殿下がお見えになりました」
「あ……はい、どうぞ」
シェリアは座っていた窓辺の長椅子から応接セットの方へ移動し、立ってウィルフレッドを出迎えた。
そして扉をくぐったウィルフレッドの姿に思わず目を奪われる。ポーっと見惚れていて相手が話し始めた事にも気付かないほどだった。
ウィルフレッドに同行したヒューバートはその様子を見て眉をひそめる。
「シェリア様、我が国の騒動に巻き込んでしまい申し訳なかった。怪我などはありませんでしたか?」
シェリアが何も答えず黙って見つめていると、たまらず侍女が返事をした。
「私はシェリア様の侍女でメイと申します。怪我も無く無事保護していただき、感謝いたします」
「そうか、それは何よりだった。侍女殿も主が消えてさぞ心配だっただろう」
「私にまでそのようなお気遣い、恐れ入ります。この度は正式な手続きを踏まずに王都入りしてしまった事、深く反省しております。護衛も連れず迂闊な行動を取った私どもの方こそご迷惑をおかけいたしました」
「ああ、護衛についてだが、また何かあっては困るので出国までこちらで用意した者を付けさせていただく。それで、王都入りした目的は観光か? 入国記録によるとアルフォードに立ち寄ってからこの国に入ったようだが」
「いえ、観光では……」
ウィルフレッドは探るような目でシェリアと侍女を見る。
護衛と言えば聞こえは良いが、要するに国を出るまで監視役を付けると言ったのと同義である。
アルテミは何十年も前に国土のほとんどが水の底に沈み、すでに滅んだとされる国。
各地の情勢は耳に入っているが、現在のアルテミの動きについては情報が届いていなかった。
戦と大災害で住む土地を無くした民は近隣の国々に移住する事を余儀なくされ、生きる為に仕事を求めて遠く離れた大国ワイリンガムにもたくさんの人が流れてきている。
そしてその子孫の多くはシンやタキのように今もこの国の民として暮らしているのだ。
アルテミの王族として存在が確認出来ているのは姫巫女の孫のシン達兄弟のみ。
この二人については当時の移民記録が残っていた為、現在はウィルフレッドの計らいによりアルテミの王子として認められている。
今回シェリアが身に着けていた指輪の紋章でアルテミの王族であると判断したものの、本当に王族かは確認のしようがない。
そこで、嘘を見抜く力を持つウィルフレッドが面会に訪れたのだ。
「殿下、私達は人を探しに参りました。アルテミからこの国に移住した男性です」
「名前がわかれば記録を調べられるはずだ。後で文官が来るから相談してみるといい」
「はい、ありがとう存じます。アルフォードへ行ったのも我が国の出身者に会う為でした。ご本人はすでにお亡くなりでしたが、国王陛下とはお目通りが叶いました」
ウィルフレッドの見る限り、二人に嘘をついている様子は無かった。
気にかかるのは、アルフォードのアルテミ出身者と言えばラナの曾祖母という事だ。身分を隠してこの国に入り、コソコソ何かを探っているなら放っては置けない。
「それから……殿下、出来れば滞在先を変えたいのですが……」
「城では何か不都合な事でも?」
「他にも連れが居るのです。彼らと連絡を取り合わなければならないので、気軽に出入りできる下町の宿屋が望ましいのです」
下町の宿屋と聞いてラナの営む宿木亭を思い浮かべたが、トラブルの元になりそうな者達を連れては行けない。
城に招く事を躊躇するという事は、合流するのは騎士の類ではない卑しい身分の者だと思っていいだろう。
「ではこちらで宿を手配しよう」
「いえ滅相も無い。宿ならすでに取ってあります。ですので文官とのお話が済みましたら失礼させていただきます」
「わかった。あなた方に付ける護衛は廊下に控えている。何か困った事があれば私に連絡を」
ウィルフレッドはそう言ってヒューバートと共に部屋を出た。
「ヒューバート、彼女は嘘をついていなかった。現在のアルテミがどうなっているのか調べてくれ」
「はい、承知しました。シンとタキにこの事を伝えますか?」
「……いや、それはまだいい。では俺は父上に報告してくる」




