185・またお会いできて光栄です
「あら。シン、タキ、早かったわね。お部屋は片付いたの?」
私が声を掛けると、二人は気まずそうに目を合わせた。なぜか持ち帰ったはずの鞄を持ったままである。
「あー……それがな、片付いたけど意味が違うっつーか……」
何だか歯切れの悪い返事だ。
シンが言いにくそうにしていると、隣のタキが言葉を続けた。
「ラナさん、僕らもここに住んでいいかな? あの部屋を追い出されちゃったんだ。っていうか、ラナさんの答えを聞く前に荷物はこっちに向かってるんだけど」
「ええ!?」
馬車の音が聞こえて窓の外に目をやると、屋根の上に荷物を括り付けた馬車が宿の前で停車した。よく見ると車内にも詰め込めるだけ物が詰め込まれている。
御者台には二人が借りていた部屋の大家であるサンタクロース……もとい、白いひげがトレードマークのノーマンが乗っている。
私の視線に気付いたノーマンは、こちらに軽く会釈した後馬車を降り、優雅な足取りで宿に入ってきた。
「お嬢様、またお会いできて光栄です」
「突然どうしたのノーマン? なぜ二人を部屋から追い出したりしたの?」
実は何ヶ月も家賃を滞納していたとか? うちのお給料では足りなかったのかしら?
と、心の中で呟いているつもりが、うっかり口から出てしまっていた。
私の呟きを聞いて思わず吹き出したノーマンは、ニコニコしながら答える。
「ふっ……、心配しなくても家賃は頂いております。これはあなたのおじい様の指示なのです」
「おじい様の?」
「はい。ここは夜になると若い女性二人だけになってしまうとか」
「ええ、まあ……。宿泊のお客様だけなら私とチヨが居れば十分ですから」
「なるほど……あの方が心配なさるはずだ。ご存じかと思いますが、外には常に護衛が待機しております。しかしそれでは夜間に建物の内部で何かが起きた時、いかなる精鋭達でも役に立ちません」
「それで強引にでもシンとタキをここに住まわせるというのね……」
確かにこの間はシンが居てくれたから大事に至らなかった。
だからおじい様は私達が宿を離れている隙に無断で開かずの間の改修に踏み切ったのだわ。
私に言えば反対すると思って、内緒で計画を進めていたのね。
心配しなくてもお客様に黒いモヤが出ていれば私とタキが浄化をするし、いざという時にはヴァイスが助けてくれる。
でもそんな事はこの人にもおじい様にも話せない。
おじい様を安心させる為に言う通りにするのは構わないけれど、シン達にだって住む場所を選ぶ権利がある。
川沿いにある2LDKの素敵なアパートから、職場であるこの古い宿に移る事に抵抗は無いのだろうか。
「シンとタキはそれでいいの?」
私が尋ねると、二人は優しく笑って頷いた。
「俺達も出来ればそうしたいと思っていたんだ。だが住めるような部屋が無かっただろ」
「それに、男の僕らが一緒に暮らすとなると、ラナさんに迷惑を掛けるかなって。ね、兄さん」
「ああ。いくらここが宿屋でも、未婚の女が男と暮らすなんて外聞が悪いからな。その辺、お前が平気なら俺らは喜んでここに住まわせてもらう」
この言葉にはチヨが黙っていなかった。チヨは不満顔で二人に詰め寄る。
「二人とも、私は良いんですか? 私だって未婚の女性ですよ!」
「お前は良いんだよ。誰も変な勘ぐりなんてしないから」
「兄さんの言い方はアレだけど、チヨちゃんは僕らの妹みたいな存在だからね」
「……むう。今はそうでも四年後、五年後はわかりませんよ」
二人が客室を使う事に不満を言うのかと思えば、チヨは意外なところに引っかかっていた。
しかしタキに「妹みたいな存在」と言われてまんざらでもないチヨは、唇を尖らせながらも嬉しそうにしている。
「シン、私の事ならそんなに気を遣わなくても大丈夫よ。むしろ皆、シン達は前からここに住んでいると思っているかも。チヨは二人がここに住む事、どう思う?」
部屋数が増えて喜んでいたチヨがこれを喜ぶとは思えない。
それに自分の使っていた客室を空ける為に、狭い物置き部屋に移る事を選んだ彼女が納得するだろうか。
しかし、チヨはまったく嫌な顔をしなかった。
「良いと思います。でも改修した三階の部屋は客室にしますよ。あんな静かで綺麗な部屋を従業員が使うなんて勿体ないですから」
「ん? せっかく俺達の為に直した部屋を使うなって言うのかよ。じゃあどこならいいんだ?」
「そうですね……二階と三階の階段横の部屋なら寮として使ってもいいんじゃないですか?」
「あら、階段の横って前にチヨが使っていた部屋ね」
「はい。そこなら何かあった時駆けつけやすいですし、道路に面したあの部屋は外の騒音や階段を上り下りする音が聞こえて客室としてはあまり良くないんです」
「そうなのね……。ごめんなさい、私てっきりチヨは反対すると思っていたわ。それか二人で一部屋を使えって言うのかと……」
これを聞いて、チヨは苦笑いをした。
「ですよね。でもシンとタキが夜間も居てくれると安心じゃないですか。今まで夜間の接客が怖いと思った事は無かったんですけどね。えへへ……」
「チヨ……」
「ラナさん、そんな顔しないでください。今までが順調すぎたんですから」
「そうね。これからは気を引き締めていきましょう」
チヨは口には出さないけれど、あの事件が相当怖かったのだろう。黒いモヤが出ていなくても、彼らのように平然と襲い掛かってくる人が他にも居るかもしれない。
私の為ではなくチヨの為に、宿の安全を確保しなくては。従業員を危険に晒すなんてオーナー失格だわ。
「シン、タキ、今日からよろしくね」
「ああ、よろしく頼む」
「よろしくね。ラナさん、チヨちゃん」
「さあ、皆で二人の荷物を運び入れましょう。それが終わったらお肉の買い出し! 午後の営業から食堂を再開するわよ!」
「おー!」
こうして二階の階段横の部屋にシンが、その上の階にタキが住む事になり、私達の新しい生活が始まった。
その翌日には誘拐事件の後処理を終えたリアム様が宿に帰ってきたが、ウィルフレッド殿下は週末になっても顔を見せなかった。
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