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174・マリアの気持ち

「おい、それ本当なのか?」

「えっと……」

 

 シンに詰め寄られたが、私は動揺のあまり言葉が出ない。

 あの婚約解消にはウィルフレッド殿下の暗殺未遂が関わっているし、私の口から話せる内容ではないのだ。

 マリアは婚約解消の理由を知っているのだろうか。知っていたらシンの前でこの話題を出さないだろうし、もしかすると幼さ故の我がままという認識なのかもしれない。

 

「マリアはなぜそれを聞いたの? つまり……どんな経緯でおじ様とそんな話題に?」

「ウィルフレッド殿下がエレイン様に執着する理由を知りたかったの。お父様ならご存じかと思って今朝問い詰めたのよ。そうしたら渋々答えてくださったわ」

「そう……」

「殿下はご自分で婚約を解消したのに、今になってエレイン様と接点を持とうとしていらっしゃる。何だか私には、それがとても身勝手で傲慢に思えてしまって……」

「納得出来ない?」

「ええ、そう。ギリギリまで迷ったのだけど……やっぱり私はエレイン様の気持ちを優先したいわ」


 私と婚約した記録を消しただけでなく、本人の同意も得ずに殿下に関わるすべての記憶を私から消してしまったのは、身勝手以外の何ものでもない。

 この様子だと、マリアは私が記憶を消された事までは聞いていないようだ。

 というか、マリアのお父様はそこまでご存じないのね。知っていれば私に話してはいけないと注意するはずだもの。

 

「マリア、ありがとう。殿下と私との板挟みにあわせてごめんなさい」

「いいのよ。傲慢だなんて無礼な事を口にしたけれど、ウィルフレッド殿下はとても素晴らしい方よ。もし気が変わる事があればいつでも言ってね」


 殿下が素晴らしい方なのは知っている。しかし私には王妃になる素質がなく、他に進む道を見つけてしまった。今のマリアの立場では私を殿下の側へ行かせたくないだろうに、殿下の気持ちを汲んで差し上げたいという思いも捨てきれないようだ。


「私の目標は王太子妃となったエレイン様の侍女になる事だったわ。もうその夢は諦めていたけれど、まだ可能性は残っているのよね」

「いいえ、可能性はゼロよ。言ったでしょう? 私には今の暮らしが性に合っているの。殿下には……私から気持ちを伝えるから、マリアは説得した事だけを報告するといいわ」


 成績優秀な彼女ならきっと侍女になれただろう。

 しかし状況は大きく変わった。今や彼女が王太子妃候補の一人なのだ。マリアの複雑な心境は計り知れない。

 リアム様の話だと、殿下はマリアと距離を取ろうとしている風だった。

 マリアを夜会のパートナーに指名して期待させないよう隣国からダリアを呼び、そのダリアの代理を私に依頼したくらいだ。

 そのくせこんな時にはマリアを頼りにするのだから、何というか……ズルい。

 もし夜会で耳にした噂の通り、マリアがウィルフレッド殿下をお慕いしているのなら、私はどうしたらいいのだろうか。

 殿下の定宿の女将であり、下町の協力者という関係にある事をマリアは知らない。私が王都を離れなければ、そのうちマリアをもっと悩ませてしまうかも。

 私がフレッド様の正体に気づいたように、自分の正体が殿下にバレないという保証はどこにもないのだ。


「エレイン様。殿下との復縁は考えられないとしても、学校へ通うのは無理なの? あなたが居ないと寂しいわ……」

「マリア、私はもう独立して宿屋を経営しているわ。学校に行く暇は無いし、学歴も必要無い。誘拐事件が解決したら、もうこうして公の場に出る事も無いわ」

「じゃあ、エレイン様とはもう会えないのね」

「そんな事ないでしょ? マリアが会いに来られないなら、私が花を買いにここへ来ればいいのよ」


 私がそう言うと、マリアの顔がパッと華やいだ。


「本当? 私、手紙を書くわね。ケビンに秘密の連絡係をお願いするわ!」

「まあ! それは良い考えね! だったら私の料理を届けてもらおうかしら。ふふっ、もっと早く気づけば良かったわ」

「本当ね! じゃあ、そろそろ会場へ戻りましょう」

「あ、待ってマリア。最後にひとつだけ訊きたい事があるの。耳を貸してくれる? シンは十歩下がって耳を塞いでね」

「ん? ああ、わかった。聞くなって事だな」

 

 シンが十歩下がって耳を塞ぐのを確認した私は、マリアにひそひそと話しかけた。


「ねえ、マリアはウィルフレッド殿下をお慕いしているの?」


 するとマリアは目を見開き、真顔で首を横に振った。もう答えを聞かずとも、断固として違うと顔に書いてある。


「まさか! 私には密かにお慕いしている方が居るわ! あなたまで私をそういう目で見ていたの?」


 マリアは憤慨し、きっぱりと否定した。

 この様子から、私が夜会で耳にした心無い噂話は、マリア本人の耳にも入っているのだと直感した。私に学校へ来てほしい理由のひとつはきっとそれだ。

 他に好きな人が居るのに、殿下に擦り寄っていると思われるのは苦痛だろう。否定したところで嫌味で返されるのがオチだし、そんな時は耳を塞ぐしかないのだ。


「ごめんなさい、もしそうなら殿下に会わずに手紙で済まそうかと考えたの。他意は無いのよ」

「いいえ、私こそエレイン様は何もご存じないのに失礼な態度だったわ。ごめんなさい……」

「ちなみにその方は今日お見えになっているの?」

「誘拐事件の捜索に加わっているから今日は来られないって、昨日これを頂いたわ……。それにあまりこういった公の場には……」


 彼女の細い手首には、白金のブレスレットがキラリと光っていた。

 ブレスレットには宝石と白金で細工した小ぶりな花の形のチャームがいくつか付いていて、マリアはそれを愛おしむように反対側の手で撫でた。

 使われている宝石はピンクトルマリンと小粒の真珠のように見えるが、よく見ると真珠ではなく綺麗に磨かれた白い石のようだ。

 あの白い石、どこかで見た覚えがある。


「公の場に出られない方? まさか身分違いの恋?」

「ちが……身分はうちと一緒よ! 仕事が特殊で自由な時間がほとんど無い方なの!」

「それでは会う事もままならないじゃない。お名前は何というの?」

「……名前を聞いてもエレイン様はご存じない方よ。それに、お付き合いしている訳じゃないわ。勝手にお慕いしているだけ」


 マリアはそう言って気まずそうに目を逸らす。

 相手の方については追及されたくないようだ。これ以上訊かないでと線を引かれた気がした。

 誰……? マリアにこんな顔をさせる男性が居るなんて今まで聞いた事がない。私が学園を去ってから知り合った方なのかしら?

 そうじゃないとしても訳ありの方のようだし、気の進まない相手(フレドリック殿下)と婚約した私に、好きな人が出来たとは言いだしにくかったのかもしれない。

 しっかり者のマリアが顔を真っ赤に染めて話す姿に胸がキュンとした。

 前世では恋バナなど鬱陶しいだけだったのに、私はマリアの気持ちが聞けて何だかとても嬉しかった。

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