170・カルヴァーニ邸へ
今朝は雲一つ無い晴天で、絶好のガーデンパーティー日和だ。
私は今日の主役であるマリアより目立たぬよう、なるべく主張の少ないドレスを着て、ドレスと揃いの小ぶりな帽子を被った。そしてもちろんノーメイク。
素顔のまま人前に出るのは何だか落ち着かないけれど、エレインとして外に出るなら仕方がない。
そして、うちで大切に保管されていた例の衣装に着替えたシンは、私が整えた黒髪のウィッグを被り、皆にその姿を披露した。
前髪と襟足を長めにカットしたウィッグは、前世でプレイした女性向けゲームに出てくるメインの王子様じゃない方の、やや影のある私の推しキャラの髪型だ。
それは思った以上に効果を発揮し、どこか陰のある近寄りがたい雰囲気に仕上がっている。
出掛ける準備を済ませた私達は、皆に見送られてパーティーが始まる時間より一時間早く家を出た。
私達の馬車には、馬に乗った護衛が前後に二名ずつ付けられていて中々物々しい雰囲気だ。
「なあ、ケビンが働いてる屋敷までなら馬車で一時間も掛からないだろ。家を出るのが早すぎたんじゃないか?」
「大丈夫、ちょっと寄りたい所があるの。ねえシン、考えたのだけど……誰かにあなたの事を訊かれたら、アルフォードの曾祖母と縁のある方のお孫さんだと話す事にするわね」
「ん? 爺さんが言ってた設定と違うけどいいのか?」
「あれでもいいのだけど、なるべく嘘が無い方が私もシンも堂々としていられるでしょう?」
「まあ、確かにな。俺は黙ってオーナーの隣に居ればいいって言われてるから、説明の方は頼む」
「了解。シン、慣れない事をさせて申し訳ないけど、今日はよろしくね」
シンは微笑んで軽く頷くと、窓の外に目を向けた。
私達が屋敷に連れて来られた時は真っ暗で何も見えなかったけれど、シンは小さな頃に父親と通った道を思い出しているのか、時折何かに反応しながら優しい顔で流れる景色を眺めていた。
それからしばらくして、私達を乗せた馬車はある通りで停車した。
行き先がわからないまま黙って窓の外を眺めていたシンは、通りに並ぶ店の看板を見てあからさまに嫌な顔をした。
ここは以前、チヨにお使いを頼んだポロンというカップケーキ専門店のあるジェノス通り。
ショーウィンドーには可愛らしいドレスや靴、デコラティブなコンパクトミラーやメイク用品などがディスプレイされ、どこを見ても女の子が好きそうな物で溢れている。
通りに面した建物の色はパステルカラーで統一され、十代から二十代前半の女の子達をターゲットにしたお店が建ち並ぶ、言わば流行の発信地だ。
「お……おい、懸賞金目当ての奴らが血眼になってお前を探してるってのに、ここで悠長に買い物を楽しむつもりか? まさかおとりになる気じゃないだろうな」
「ええ? そこまでする気はないわよ。でも、マリアへのプレゼントを買うついでに、エレイン・ノリスが行方不明ではない事を町の人達にアピールしたいの。ダメ?」
エレイン・ノリスの特徴は下町にも知れ渡っているくらい有名だ。
今、この格好の私がノリス公爵家の紋章入りの馬車から降りて通りを歩けば、自然と視線が集まるだろう。
カルヴァーニ邸のパーティーに出席して貴族の間で私の事が噂になっても、一般市民にまで情報が届くには時間が掛かってしまう。私は早急にこの問題を解決させたいのだ。
おじい様とお父様の許しさえ出れば、すぐにでもこうしたかった。
今日の護衛は四人。きっと他にも隠れてついて来ているだろうし、すぐ側にシンとヴァイスが居てくれる。おまけにいつもより巡回している兵士の数も多いのだ。
ここで私を攫おうとするほど馬鹿じゃないと信じたい。
「……わかった。何かあれば俺がお前を護るから、思うようにやれ」
「ありがとう、シン!」
心配性のシンなら反対するかもと思っていたけど、拍子抜けするくらいあっさり了承してくれた。
そして先に馬車を降りたシンは、私に手を差し延べて優雅に馬車から降ろすと、その手を自分の腕に回させた。
シンとは何度か手を繋いて歩いた事はあるけど、腕を組むのは初めてでちょっと緊張する。
宿を出てから変にシンを意識しなくなっていたのに、また症状がぶり返しそう……。
そんな事を考えていたら、後ろから私の名を呼ぶ声が聞こえた。
「エレイン!」
周囲の人達が一斉に私を見た。通りの向こう側を歩いている人までその声に反応して辺りを見回し、紋章入りの馬車とプラチナブロンドの髪の私に目を止める。
注目を浴びる覚悟はあったけど、これは予想外。
「あーあ……面倒な奴に見つかったな。無視するか?」
「周りの人がこれだけ反応しているのにそれは無理よ。シンはなるべく目を合わさないようにね」
私がクルリと振り返ると、声の主は猛ダッシュで近づいて来ていた。
「エレイン、こんな所で何をしてるんだ? もしかして、自分に懸賞金が懸けられているのを知らずに戻ってきたのか?」
「久しぶりね、エヴァン。懸賞金の件は知っているわ。それでもお友達の誕生日を祝いたかったのよ」
「ああ、今日はマリア・カルヴァーニの誕生日だったか……」
「プレゼントを買ったらすぐに行かなければならないの。用が無いのなら失礼するわ」
軽く会釈をして目的の店に向かおうとすると、エヴァンに腕を掴まれた。
「待ってくれエレイン。やっと会えたんだ。少し話しをする時間をくれないか」
「彼女から手を放せ」
私が困っているとシンがエヴァンの手を強引に剥がし、私の肩を抱いて引き寄せた。それを見たエヴァンは呆然とした表情を浮かべて私に問いかける。
「エレイン、その男は誰だ? 信用出来る者なのか?」
「……私はこの方の所でお世話になっているの。あの……もういいかしら? プレゼントを選ぶ時間が無くなってしまうわ」
少し突き放すようにそう言うと、エヴァンは自分の胸に手を宛てて頭を下げた。周囲の人達は何事かと興味津々でこの様子を眺めている。
「待て、これだけは伝えたい。あの時は本当にすまなかった! 足に怪我をさせていたと後から知って、ずっと謝りたかった!」
「……声が大きいわ。場所を考えてくださる?」
周りを見なくても私達に好奇の目を向けられているのがわかる。
エヴァンもその事に気づいて失敗したという顔をした後、声を落として喋り続けた。
「あぁ……すまない。思いがけずお前に会えて、動揺してしまった。今は屋敷に帰っているのか?」
「ええ、しばらくの間だけ」
「ならば、正式に謝罪をしに行かせてほしい。俺も忙しくてあまり時間は取れないが、ちゃんと話をしたいんだ。図々しい願いなのは承知している」
私は頷いて返事をし、差し出されたシンの腕に手を回して目的の店へ向かった。背中にエヴァンの視線を感じる。
彼が悪い人じゃない事はよく知っている。サンドラの中に居た妖精が他の人にも影響を与えていたのではないかと思うほど、あのパーティーの日のエヴァンの行動はおかしかった。
あの頃私の中にある女神の力が解放されていたら、状況はまったく違っていたのに。こんな事を考えても意味はないけど、たまにふと考えてしまう。
「謝罪を受けるのか?」
「……酷い目には遭わされたけど、彼は幼馴染みだもの。もうあれから半年以上経ったわ。反省しているなら、お互いにいつまでも引きずっていたくないでしょう?」
「さすがはオーナー、懐が深いな。それでスッキリして前に進めるなら、その問題は片付けちまった方がいい」
「ただし、私が屋敷に滞在している間に来なかったらそれまでだけど」
それから私達は周囲の注目を浴びながら、マリアへのプレゼントに以前から目を付けていた美しいガラスのペンとインク壺のセットを購入し、カルヴァーニ邸へと向かった。




