13・プラシーボ効果でしょ
視線が痛い。
今朝は自分の足で歩いて来たタキだけれど、まだ本調子では無いので、今日も私の部屋で休ませている。何が起きたのか分からないけれど、とても不思議な事が起こったという事だけは分かった。そのせいで、今朝シンが出勤して来てからというもの、彼の視線が気になって仕方が無い。何が言いたいのかは、分かっている。きっと昨日の口論の続きをしようというのだろう。
それに今日は好奇心いっぱいのチヨが加わった。
昨日は私の味方だったじゃない、裏切り者。
「ラナさんて、やっぱり魔法が使えるんじゃないですか? タキの回復の仕方は普通じゃないですよ。だって、宿を始める前のおにぎり屋の時も、食べると元気になるって言われてましたし。あと、これは言ってませんでしたけど……ラナさんが別のお仕事で居ない日に、勝手におにぎりを作って売ってました。ごめんなさい。それでなんですけど、いつも買ってくれるお客さんに言われた事があるんです。ラナさんが売ってる時のおにぎりじゃないと、体力が回復しないって」
「ええ? あなた、私が居ない時は宿のお手伝いをしていたんじゃなかったの?」
チヨは宿屋の一室を借りる代わりに、平日は老夫婦の仕事を手伝うという約束だったのだ。おにぎりの売り上げ金の管理はチヨに任せているとは言っても、そんな事をしていたとは思わなかった。どうりで予想より少しだけ儲かっていたはずだ。
「ごめんなさい、ごめんなさい。お手伝いも勿論してました。売った数も一日20個限定だったし、何日かで止めました。それに、やっぱり私一人で売ってもあまり売れませんでした。食べても元気が出ないからって。私、美人なラナさんの作ったものだから元気が出るって言ってたんだと思ってました。でも違ったんですね、本当に体力が回復してたんですよ」
自惚れ過ぎかもしれないけれど、実は私もそうなのだと思っていた。綺麗な女性が作ったものを食べると、元気が出るよ。と冗談を言われているのだと解釈していたのだ。
でも、本当に体力が回復するというなら、きっとアレよ。ほら、何の効果もない偽物の薬を飲んで、病気が治るみたいな、そんな感じの話を前世でチラッと聞いた事がある。何て言ったかしら? 何とか効果……プライバシー効果? じゃなくて、プライム……プラズマ…………プラカード?
「あのー、ラナさん、聞いてます?」
「プラシーボ!!」
「な、何ですか急に! ビックリするじゃないですかっ」
チヨは私の突然の大声に体を竦め身構えた。そして仕事をしながらこちらの会話に聞き耳を立てていたシンも、ビクッと体が跳ねていた。
「プラシーボ効果だわ! スッキリした……。ふふふ、謎が解けたわ。チヨの言った通り、思い込みなのよ、私が作ったものを食べると元気になるって思って食べるからそうなるだけだと思うわ。タキもそうなのよ、シンがお粥を食べさせる前に何か言ったからじゃない? 私も栄養のある物だって先に教えていたと思うし、タキがお粥を食べれば健康になれると信じて食べたから、効果が出たんだわ。きっとそうよ。だって、私には本当に魔力は無いんだから」
私は一人で納得していたが、シンは怪訝な表情でこちらを見ているし、チヨも頭の上にクエスチョンマークがいくつも飛び交っている様な顔をしている。
「ぷらしーぼこーかって何ですか? 聞いた事がありません」
「あ……えっと、私も詳しくは知らないんだけど、聞いた話では、タキに起こった事がまさにそれよ。これを食べれば元気になれるっていう思い込みで、体が回復する事もあるんですって」
二人はまだ納得は出来ていないようだが、私はそうだと思う事にした。でなければ、本当に説明がつかない。
「ふぅーん、ラナさんは色々物知りですよね。前のお仕事が特殊なのかな……? ところで話は変わりますけど、前のお仕事は別の人に任せて来たって言ってましたよね、どんなお仕事してたんですか? 仕立て屋さんか、料理人ですか? それとも、知り合いだって言っていたお嬢様のお世話係とか? 立ち居振る舞いがその辺の人とは違うし、知識も豊富で、もしかしてそうかなってずっと思ってたんですけど」
一ヶ月前のあの日、週末でも無いのに顔を出した私にチヨは驚いていた。今までは、本業が忙しいからと誤魔化して、週末だけ来ていた訳だけど、フレドリック殿下を支える役目はサンドラが担ってくれるだろうし、それにある意味適性が無くて令嬢をクビになった様なもの。
だから他の仕事は辞めて宿屋に専念する事にしたと言ってあるのだ。私が宿に専念することを喜んでくれて、他のことは気にならなかったのか、チヨはその後も詮索して来る事は無かった。
「もしかしてオーナーは、公爵の屋敷で働いていたんじゃないのか? チヨの言った令嬢の世話係が当たりなら、辞めてここに来た時期とも合う。王太子様の婚約者だった令嬢が、たしか同じ頃に……」
「ストップ! それ以上の詮索は止めてちょうだい」
シンには興味の無さそうな話なのに、私の事を知っていた事に驚いてしまった。それだけ王太子の婚約破棄は衝撃的な事件だったという事か。テレビやラジオも無いこの世界では、王族や貴族が何をして居るのかなど、民が知らない事の方が多い。噂程度は耳に入っても、正確な情報を持っている者は実に少ない。前世の世界ならこんな時、大々的に報道されていたんだろう。ネットで検索して、振られた公爵令嬢の顔を見てやろう、何て事が簡単にできなくて良かったとつくづく思う。
「あ、駄目よ、シン、身分のある方の所で働く人は、外部の人間に中の事を話をしちゃいけないのよ。和の国ではそういう決まりだけど、この国は違うの?」
「チヨの言う通りよ。もうこの話は止めて欲しいわ」
シンとチヨは、今ので私がノリス公爵家の令嬢付きの使用人だったのだと解釈して、今後は口をつぐんでくれるだろう。
最後の晩の様子からして、実際に私付きだった側仕えの中には辞めてしまった者もいるだろうし。だって皆相当怒っていたもの。
高位貴族と平民という身分差が、本当に邪魔で仕方が無い。チヨ達が知ればきっと、今まで通りの関係ではいられなくなってしまう。それは絶対に嫌だった。私はここでは、ただの宿屋の女将ラナで居たいのだから。
「ごめんなさい、急に思い出して、口から出てしまいました。シンも、もうこれ以上の詮索はしちゃ駄目です。何となくわかったでしょ?」
「ああ。悪い、もう聞かないから、そう構えるなって。関係者にしたら嫌な話題だよな、ごめん」
「もうこの話はお仕舞いよ。さあ、仕事仕事。シン、手が止まってるわよ。チヨも、持ち場に戻ってね」
仕事に戻ったシンは、昨日同様、テキパキと料理を作っていった。私もそれに負けない様にドンドン調理を済ませていく。バイキング用の料理は次々と食堂に運ばれ、もうすぐお客様が来る時間だ。
お昼が近づき、私は今日もタキの為に何か作る事にした。朝見た感じでは、お粥の必要は無さそうだった。だから私は、豚汁と、うちの看板メニューであるおにぎりを作ってシンに持たせた。
「シン、今日も先に休憩に行っていいわよ」
シンは私からお盆を受け取り、一拍置いてまた私の方へ返して来た。
「ん? どうしたの? タキの苦手な食材でも入ってた?」
「いや、今日は俺の代わりに、オーナーがあいつと一緒に食ってくれないか? 話したい事があるみたいなんだ」
「それは構わないけど……? もしかして、女神様の話かしら」
「はは、実はあいつ、昔から勘が鋭いところがあって、人の胸の所に黒いモヤが見えるとか、背後に虹色に輝く光が見えるとか、以前はそんな話を良くしていたんだ。それが体調を崩す少し前くらいからかな、その話をしなくなっていた。それが昨日、帰ってからあんたの事を女神様だと言い始めて。……先に言っておくが、別に頭がどうかしてるって訳じゃないぞ。そこは誤解しないでほしい。で、夢に出て来たあんた似の女神の事を話したいらしい」
まあ、タキは霊感少年という事? すごいわ、彼が貴族ならば神官となって神の声を聞く役目に就くものなのだけど。虹色の光って、オーラが見えるって事よね。黒いモヤは邪な心という事かしら。
「わかったわ。そういう人が居る事は知っているから、心配しないで。じゃあ、先に休憩に入らせてもらうわね」
「ああ、タキの事、頼むな」
私は二人分の昼食を持って、タキの居る自室に向かった。




