162・地味で目立たないエレインお嬢様、期間限定で復活します
「おはようございます、エレインお嬢様」
聞き慣れた声に起こされ目が覚めた。
窓から入る朝の陽ざしの眩しさに思わず目を細める。
まだ頭がハッキリしないがこの状況に違和感を覚えた。肌に触れるシーツは肌触りが滑らかで、布団がふかふかしてとても軽い。
そして視線の先にあるのは私が子どもの頃から愛用しているロココ調の家具たち。それにフリルいっぱいの花柄のカーテンは私が家を出た日にかけられていた物だ。
「……!?」
全身から血の気が引くのを感じた。捨てたはずの部屋で自分付きの側仕えに起こされた私は、急に現実に引き戻されたような感覚に見舞われた。
あの宿屋での幸せで満ち足りた日々はすべて夢だったのだろうか?
寝ぼけているのか、どこからどこまでが夢なのかがわからず混乱した。
しかしそんな私の心情などお構いなしに、二名の側仕えが部屋の中を忙しなく動き回っている。
「お嬢様、皆さん朝がお早いのですね。もうお目覚めになられて庭で体を動かしていらっしゃいますよ」
「皆さん……?」
「まあ! もしや寝ぼけていらっしゃるのですか? 昨夜お嬢様と一緒にいらしたお客様方の事ですよ。大変な状況なのはわかっていますが、一時的にでもお嬢様が帰ってきてくださって本当に嬉しいです」
そうだ、私は昨夜の騒動のせいで強制的に宿屋のメンバーごと家に連れ戻されたのだった。
今回の誘拐騒ぎが収まるまでは営業を停止して全員屋敷に避難するように、というのがおじい様からの伝言だったけれど、私とチヨはともかく他に住む家のあるシンとタキまで連れてこなくても良かったのではないだろうか。
第一あの宿屋の経営者は私であってノリス公爵家とは関わりが無いのに、考える暇も与えずこんな事をするのはちょっと強引すぎる。
私を心配しているのはわかるけれど、とにかくどういうつもりなのかをおじい様から説明していただかなくてはならない。
昨夜私達を出迎えてくれたのは執事とメイドと元々私についていた二人の側仕え。そしてちょうど帰宅したルークお兄様だった。
到着した時間が深夜を過ぎた頃だった為に各自用意されていた部屋に直行してそのまま就寝となり、まだ両親やおじい様と顔を合わせていない状態なのである。
ちなみに、眠らされていたチヨは結局起きる事なく客間に寝かされた。きっと朝目覚めた時、私以上にパニックになった事だろう。
「思いがけず家族と再会する機会を得たけれど、もっと落ち着いた時に宿の皆を紹介したかったわ……」
ベッドから出た私は顔を洗う前に窓を開けて外を眺めた。
そして芝生の上でシンがルークお兄様と剣の稽古をしているのを見つける。
「シン!」
思わず声が出てしまった。私の声を聞いてお兄様とシンがピタリと動きを止めこちらを見た。
シンは三階の窓から手を振る私に気が付くと、笑って手を振り返してくれた。なんだかホッとして無意識に頬が緩む。
その隣に居るお兄様が放心状態になっているけど、それは見なかった事にしよう。
令嬢らしく振舞っていた頃の私はむやみに大声を出したりなどしなかったし、寝間着のまま男性の目に触れる事もなかった。きっとこんなに生き生きとした私を見るのが初めてで、お兄様は戸惑っているに違いない。
「あ! ラナさーん!」
「チヨ! タキ! おはよう!」
チヨとタキも私に気づいて大きく手を振ってきた。私も笑顔で二人に手を振る。
どうやら二人は庭のベンチに腰掛けてシンを応援していたようだ。
小さな頃から見慣れた景色の中に大好きな三人が居る。不思議な感じがするけど、何だかとても嬉しかった。
そしてくるりと振り返ると、側仕え達がポカンと口を開けて私を見ていた。やはり彼女達も初めて見せる素の私に戸惑っているようだ。
それから急いで身支度を整えた。
もちろんここではお化粧をしない。着る物も置いていった物から選んで身につけた。
フリルがいっぱいの白いブラウスに、ペチコートでボリュームを持たせた濃紺のロングスカート。髪は垂らしたままで細めのリボンをカチューシャのようにして巻き、てっぺんで蝶むすびにするのが私の定番のスタイルだ。
今の私は誰が見ても地味で目立たないエレイン・ノリス公爵令嬢である。
「あら? お嬢様、見た事のない素敵なペンダントをしておいでですね。もしやお庭にいらっしゃる殿方からの贈り物ですか?」
「えっ?」
側仕えは私の下げているペンダントを見て、少し冷やかすような視線を向けてきた。
「私も昨夜から気になっていました。お嬢様はあまりアクセサリーをお付けにならないのに、お休みになる時も外しませんでしたね。どちらの殿方がお嬢様の恋人ですか? 私は美しくて優しそうな方がお似合いかと思います」
「あら、私は背が高くて逞しい方の殿方だと思います。だって昨夜お嬢様を見る時の目がとーってもお優しかったもの」
「ちょっ……ストップ!」
もう、変な事を言うから顔が熱いわ。そういえば、この二人はチヨと少し似たところがあるのだった。他人の恋バナが大好物なのである。
「残念ながらあの二人のどちらも恋人ではないし、このペンダントはアルフォードの曾祖母の形見よ。普段は仕事の邪魔になるから服の下に隠しているのだけど、今日はお母様にお見せしようと思ったの」
やっと私から惚気話を聞けると思っていたのか、二人はちょっとつまらなそうな顔をした。いつか聞かせられたらいいのだけど、まだまだ先になりそう。
庭に出ると、四人はベンチに集まって楽しげに雑談していた。そしてなぜかお兄様とシンが固く握手を交わし、ハグまでしている。
「おはようございます、ルークお兄様。ふふ、私が休んでいた間にもう打ち解けてしまったのですね」
「おはよう、ラナ。あー……そう、すっかり仲良くなったんだ。彼は本当に料理人なのか? 俺と互角に剣で渡り合えるとは驚きだよ。おっと、そろそろ皆が食堂に集まってくる時間だな。では諸君、朝食の席で会おう」
お兄様の様子がおかしい。私とまともに目を合わさないし、とぼけた顔をして逃げるように屋敷に入ってしまった。
私に何か隠してる?
「……変なお兄様。じゃあ私達も食堂へ行きましょうか」
するとチヨとタキがクスクスと笑い出した。どうしたのかと尋ねても二人は答えてくれず、ならばとシンに視線を向けると、シンはスタスタと屋敷に向かって歩き出してしまった。
「ねえ、シン。ルークお兄様と何かあったの?」
「……別に。タキと剣の稽古をしてたら俺に勝負を挑んできたんだよ」
「え? どういう事?」
剣術を習い始めたばかりのシンに勝負を挑むだなんて何を考えているの? 騎士団に所属するお兄様が勝つに決まっているじゃないの。
私はてっきりお兄様がシンに稽古をつけてくれているものと思っていた。部屋から見た時はそう見えたけれど、実は激しくやり合っていたのね。道理で私から逃げる訳よ。
「多分昨日みたいな事があった時に、ちゃんと妹を守れるのか確認したかったんじゃないのか? よくわかんねーけど、俺を認めるってよ」
「ごめんなさい、あなたを試すだなんて失礼よね。まったくもう、お兄様には困ったものだわ。後で厳重に注意しなくては」
そして食堂に到着した私達は、母と父から少々鬱陶しいほどの歓迎を受けたのだった。




