160・これが私のせいならば 前半
「先に言っておくけど、この誘拐騒ぎはお前のせいじゃないからな」
部屋に入るなり、シンは私にそう言った。声が少し怒っている。
私は心を読まれたのかと思い、ビックリして彼の顔を見た。
しかしシンはこちらを見ずに部屋の奥のキッチンへと直行し、パパっと皆のカップをテーブルに並べて魔法でお湯を沸かし始めた。水を入れたポットに手のひらを当て、そこから熱を加えるのだ。私達の前ではすっかりこのやり方である。
「私のせいじゃないって……どうして? だってこうして王都で暮らしているのに、行方不明という事にしているのが原因でしょう?」
「違うって。無責任に噂を流した奴と、金欲しさに女を誘拐してる奴らが悪いんだ。お前、フレッド様の話を聞いてる間、自分を責めてただろ?」
「それはだって……元はといえば私がフレドリック殿下の浮気を放っておいたのが悪かったのだし……」
私のネガティブな発言を聞き、シンはやっとこちらを向いてくれた。何にイライラしているのかわからないけれど、シンは怒っていた。不機嫌なその顔を私に見せまいとしてキッチンに向かったらしい。
シンは喋り出すのと同時に、ポットを一旦鍋敷きの上に置いた。
「はぁ? 何で今あいつの名前が出てくるんだよ。つーかお前は被害者なんだから、自分にも非があるなんて考えるのはもうやめろ」
「そんな事言ったって……私がもっと殿下の行動に目を光らせていれば、人前で婚約破棄なんてされずに済んだのよ。殿下の私への仕打ちを理由に、話し合いで円満に婚約を解消していればこんな事にはならなかったと思わない?」
シンの言いたい事もわかる。フレドリック殿下に嫌な思いをさせられたのは事実だし、私は被害者で間違いない。でも私は能天気にあの婚約破棄事件で家を出られてラッキーだと喜び、素性を隠して今までここで楽しく暮らしていたのだ。
今が幸せだからこそ、あの婚約破棄事件が元で赤の他人を巻き込む誘拐事件が発生したとなれば責任を感じてしまう。
政略結婚に愛は無くとも、伴侶となる相手には敬意を払わなければならない。フレドリック殿下は迂闊にも聖女との恋に溺れ、最低限の気遣いも忘れるような愚かな人だった。
あちらの希望で婚約したのに、人の集まる場所で別の女性を堂々とエスコートして婚約者に恥をかかせるなど言語道断。私は彼の行動を黙認せず、殿下からぞんざいな扱いを受けているとすぐ父に相談すべきだったのだ。
そうすれば破談となり、私を逆恨みしてジェラルドが道を踏み外す事も、今回の誘拐事件が起きる事も無かったかもしれない。
以前おじい様はあの件に関して、知らなかったでは済まされないとお怒りになっていた。私がしっかり対処出来ていれば、きっとこんな事態を引き起こす事は無かったのだ。
「あのなぁ、お前が何と言おうと悪いのは他の女に目移りしたあの野郎だからな。あー! マジムカつく! 何でお前がいつまでもその件で苦しまなきゃなんねーんだよ……」
シンはブツブツと文句を言い始めた。
きっとウィルが居る間は我慢していたのだろう。フレドリック殿下に対してだけではなく、誘拐犯や噂を流した誰かに対しても憤りを感じているようだ。それに彼の言葉の端々から、婚約破棄後の王家の対応にも不満を抱いている事が伝わってくる。
私が未だに婚約破棄の余韻で煩わしい目に遭わされている事を腹立たしく思い、シンは不機嫌になっていたのだ。
「シン……ありがとう。私の代わりに怒ってくれるのね」
こんな時だけど、彼が私の為に本気で怒ってくれるのが嬉しい。
そう思った瞬間、今この部屋にシンと二人きりという事を急に意識してしまった。気まずくなるからなるべく二人きりにはならないようにしていたが、今回ばかりは回避のしようがなかった。
意識さえしなければ今のように普通に話せるのに、私は本当にどうしてしまったのだろう。
ソワソワして落ち着かず、タキとチヨはまだ戻らないのかと廊下を確認しに席を立つ。
「そ……そういえばチヨは何をしてるのかしら? 着替えに戻っただけなのに随分時間がかかっているわね」
タキは二人分の荷物をまとめるのに時間が掛かるかもしれないけれど、チヨは寝間着に着替えに行っただけだ。
寝る前に顔を洗うには私の部屋のバスルームを使うし、いくら何でも遅すぎると思った。
「――さん! ――!」
微かに叫び声のようなチヨの声が聞こえた。彼女のこんな声を聞くのは初めてである。私はシンと目を合わせ、耳を澄ませた。しかし今度は物音一つ聞こえない。
「何? 今の、チヨの声よね?」
「ああ、何かあったのかもな。お前も来い。俺から離れるなよ」
私はコクリと頷いてシンの後ろに付き、急いでフロントに向かった。何だか胸騒ぎがする。ジェラルドが襲撃してきた時の禍々しさとは比べ物にならないけれど、殺意とは違う嫌な感じが前方の食堂から伝わってきた。
夜間はどの扉も施錠しているけど、もしも誰かが押し入ってきたのだとしたらシン一人では無理かもしれない。
「ヴァイス、ヴァイス聞こえる? 嫌な感じがするの。もしもの時は私に力を貸してちょうだい。前に私の体を使って悪者をやっつけたでしょう?」
(承知しました)
ヴァイスはどこからともなくスーッと現れてそう言うと、まるで猫のように私の足に頭を摺り寄せ、また姿を消した。これはジェラルドに襲われた時と同じ動きだ。
きっと彼はこうして私と一体化しているのだろう。でも特に何も感じない。一体化とはどのような状態なのだろうか。ふと、ヴァイスの着ぐるみを着る自分が頭に浮かんだ。
シンが食堂に繋がる扉を開けると、見覚えのある大柄な男性が私達を出迎えるようにこちらを向いて立っていた。
顔を見て、今夜の宿泊客の一人だとすぐに気づいた。印象に残っているのは目の前に居るこの男性だけだけれど、確か三人組だったはず。
ツインルームが一部屋しか空いていない為お断りしたのに、疲れていて他を当たるのは面倒だし、一人は床で寝るから泊めてくれと頼んできた変わり者だ。
もちろん料金は三人分払うというのでチヨが渋々オーケーしたのだ。
敷き布団代わりに毛布を五枚提供したけれど、やっぱりベッド無しでは眠れないとクレームをつけにきたのだろうか。
「やはり床では眠れませんでしたか?」
シンの後ろから出て話しかけると、その男性は私を見て首を傾げた。
「あれ……? プラチナブロンドってこんな色じゃないよな。俺達の見間違いか?」
男性は私の髪を見てそう言った。今私はウィルの助言を聞いてグレー系ベージュのウィッグを被っている。だから夕食時に厨房の私を見ていた男性は混乱してるようだ。
シンは反射的に男性の手を掴んで足払いをかけ、床に転がして一瞬で制圧した。明らかにシンの方が体重が軽そうなのに、転がされた男性の体はビクともしない。
「クッソ、何しやがる! 俺は客だぞ! 兄貴! 見てないで助けろよ」
するとそれを聞いた仲間の一人がフロントからこちらに向かって歩いてきた。床に転がされた男性より細身で、冒険者のような身なりをしている。
チヨはどうしたのかとフロントの方を見ても姿は見えない。もう一人の仲間に捕まって声も出せないのだろうか。
「何なんだお前ら! 客なら客らしく朝まで部屋で休んでろ! この先は関係者以外立ち入り禁止だ。そこで止まれ!」
シンは制圧した男性から手を放す訳にもいかず、こちらに向かってくる男性に止まるよう言った。しかし男性は無視してズンズン進んでくる。
こんな状況なのにチヨが無反応なんてどう考えてもおかしい。
「チヨ! 大丈夫なの? 返事して!」
「ああ、あの小娘ならうるさいから部屋で大人しくしてもらってるよ。あんた、その髪はどうした? 俺達が夕飯を食ってた時は確かにプラチナブロンドだった。まさか染めたのか?」
私はこの会話中にこの人達の浄化を試みた。しかし彼らは最初から黒いモヤが出ておらず、何も変化がない。嫌な感じはするのに悪い人達ではなかったのだろうか。
すると、私に迫ってきていた冒険者風の男性の手が私の髪に伸びてきた。




