12・私は何も見ていない
「ご苦労様、それ以上家に近づかないでね」
「しかし、それだと聖女様の警護が出来ません!」
「毎回同じ事言わせないで! あなた、私達家族の会話を盗み聞きするつもりなの? 警護なんか必要無いわ。この辺りはみんな知り合いばかりで、よそ者がうろついていればすぐに分かるんだから。私の言う事を聞けないっていうの? 聖女の力で罰を与えるわよ」
「っ……! 分かりました。万が一何かあれば、大声で叫んでください。すぐに向かいます」
学園から家まで護衛をしてきた兵士達は、サンドラの家から大分離れた路地で待機を命じられた。本来ならば、家の前に立って警護すべきなのだが、壁が薄いため、会話が聞かれてしまうことを嫌ったサンドラは、絶対に彼らを家に近づけなかった。
「ハァ……」
いつまでこんな所に住んでなければいけないのかしら? 私は聖女なんだから、少しの間くらいお城に住まわせてくれたって良いと思うんだけど。どうせ使ってない部屋なんてたくさんあるでしょうに、王族って意外とケチなのね。大神殿に私の為に立派な住まいを用意してくれるのは嬉しいけど、出来るまでの間は家族との時間を楽しめって。向こうにしたら親切のつもりかもしれないけど、こっちはそんな事望んでないわよ。
下町でも特に貧しい者達が住む、細い路地が入り組んだ地域にサンドラの実家は在った。父と義母、年の離れた小さな双子の弟の5人暮らしで、サンドラは長女としてこの家の生活を支えていた。父親は下級貴族の屋敷で下働きをしているが、収入は家族5人が食べていくのがやっとというもの。サンドラがその容姿を生かして街角で花売りの仕事をしてくれなければ、子供達に満足な量の食事をさせてやることも出来ないという貧しさだった。
「サンドラ、もう国からお金は貰えないのかい? 1年前はたんまり貰えたじゃないの。やっとあんたを聖女だって認めてくれたんだろ? だったらさぁ毎月の生活費くらい出してくれても良いんじゃないの? ほら、あんたの何とかって王子の彼氏に頼んでみなよ」
「いい加減にしてよ! あんなにたくさん貰った支度金、一体何に使ったの? 知らないうちに全部無駄使いしちゃって。何これ? この家にこんな豪華なカーペットなんか必要ないでしょ! あれは私のドレスを買い揃えるためのお金だったのに!」
あばら家のような粗末な家に、何故か豪華なカーペットが敷かれている。小さな弟達にその価値は分からず、泥だらけの汚い靴でその上にあがり、すでに見る影も無い状態になっていた。
「だってあれを毎月貰えると思ってたんだ、仕方ないだろ。借金返して、残りでこの敷物を買って、子供達に着る物買ってやって、あんたの服だって買っただろ。文句言いたいのはこっちだよ! 先にあんたの分なんて買うんじゃなかった。あたしらの服を買う金は無くて、未だにボロのままなんだからね。家具だってこれから一つずつ買い足して行くつもりだったのに、結局敷物しか買えなかった」
「お金の使い方を間違えてるわ! こんな敷物うちには合わないし、この子達にあんな高価な服は必要無いでしょ? なのになんで私の服は中古なの? ちゃんと仕立てたのは最初の一枚だけ。それだって一日しか着てないのに、いつの間にか無くなっていたわ。みすぼらしい服を着て王子様達と一緒の学校に通わなくちゃいけない私の気持ちも考えてよ!」
義母はまったく理解できないという顔でサンドラを責めた。父親はこんな時いつも、妻を少し窘める事しかしてくれない。優しいけれど、愛した先妻を亡くしてからは生きる気力を無くしてしまって、今は気の強い後妻の言いなりという頼りない父親だった。
後妻も初めからこんな性格だった訳ではない。嫁いできた当初はサンドラの母になろうと頑張っていたのに、あまり懐かなかった上に、夫は優しくても先妻を想い続け、後は余生を送るだけというような無関心さ。そのせいで、いつの間にかこの家を牛耳る傲慢な女になっていた。
「はあ? あんた、それでもお姉ちゃんなのかい? 可愛い弟達に綺麗な服を着せてやりたいと思わないの? あんたは彼氏に買ってもらったんだから良いじゃないの。何の文句があるっていうのさ」
「もうその辺にしないか。あまりサンドラを困らせるんじゃない。この子は聖女様なんだぞ? そのうち王子様と結婚して、家族を養ってくれるさ」
サンドラはどうして自分はこんな家に生まれてしまったのかと神様を恨んだ。母親が生きてさえいれば、もっとまともな暮らしをしていただろう。
美人で気立ての良かった母は、サンドラが幼い頃に原因不明の病に倒れ、どんどん痩せて、花が枯れる様に亡くなってしまった。
その後、父親がサンドラの世話をさせるために再婚したのが今の母親だ。
新しい母親は家にお金があればあるだけ使ってしまう人で、父の収入でも節約すれば普通に暮らせるはずなのに、娘の稼ぎまで当てにして、いつも余計な買い物をしてしまうのだ。そしてそれは大概、生活に必要な物では無い。
もうイヤ。こんな家族なんて要らないわ! 神様がいるなら、今すぐみんなを私の前から消してよ!
サンドラは早くこの家を出たかった。街角で花売りをしていると、花を買って行く貴族や商人などが声を掛けて来て、自分の妾にならないかと誘ってくるのだ。あの預言者が聖女だと言わなければ、あの日は貴族の妾になるつもりで、いつも花を売っている辺りをブラブラしていた。
そこからまさかの急展開で、聖女だと言われ、王子とお近づきになって、恋人にまでなれるだなんて、誰が想像出来ただろうか。それなのに、なぜ未だにこんな所で暮らしているのか。
義母との言い争いは、決まって彼女が酔っ払ってから始まる。そしてその後は、やんちゃ盛りの弟達の面倒を見なければならない。
聖女への貢物として、貴族達が持って来た高級な酒をあびるほど飲んだ両親は、ガーガーといびきをかいて眠ってしまった。この人達は、自分で買ったワインは水で薄めてチビチビ飲むくせに、人に貰った物は贅沢にがぶがぶ飲んでしまうところがある。苦労せず手に入れた物は大切にできない性質なのだ。それはお金も同様で、大して必要でない物でも、迷う事無く買ってしまうからいつまでも貧乏から抜け出せずにいるのだ。
サンドラが聖女だと認められた後、真っ先に自分達に奇跡を起こしてもらいたいと願う貴族達は、このあばら家に足を運び、神に捧げる酒を献上していた。中には果物や高価なお菓子などを貢ぐ者もいたが、神聖な存在に捧げるものとして、酒を選ぶ者が多かった。
この一ヶ月、両親は毎日そうして酔いつぶれ、サンドラは帰宅後は必ず双子の弟達の面倒を見ていた。しかし、この日は少し違った。もうこの生活に嫌気が差したサンドラは、弟達を放置して自室に篭り、出て行く準備をしていたのだ。
「フレドリックに貰ったドレス、鞄に入り切らないわ。気に入ってるのだけ先に持ち出して、あとから残りを取りに来るしかないわね。とりあえず、明日から誰かの家に泊めてってお願いしなくちゃ。エヴァンとアーロンなら、どっちが言う事聞いてくれるかしら」
ブツブツと身勝手な事を呟いていると、隣の部屋から弟達の泣き声が聞こえ、徐々に焦げ臭い匂いがしてきた。
「何? 焦げ臭いわね。まさか、またあの子達……!」
振り返ると、ドアの隙間から煙が入ってきていた。サンドラが恐る恐るドアを開けると、居間は煙が充満し、炎の向こうの弟の手にはマッチ箱が握り締められていた。
サンドラの居ない昼間に、何度か双子がボヤ騒ぎを起こしているとは聞いていた。だから、またどこかに火をつけて遊んだのだとすぐに分かった。マッチは手の届かない場所に仕舞ったはずなのに、知恵のついた彼らは、母親の買い集めた何の役にも立たないガラクタの入った箱を積み上げて、棚の上段から取り出してしまったらしい。
弟達はどうしていいか分からずに、炎から逃れて反対側の壁際に寄り、怯えて泣き叫んでいた。室内を良く見れば、弟達の遊び場にはおもちゃと一緒にサンドラのノートや教科書が置かれていた。その辺りで特に火の勢いを強く感じた事から、火元はそこだろうと確信した。炎はカーテンを伝い、あっという間に部屋全体に広がり始め、弟達は完全に逃げ場を無くした。そしてふかふかのカーペットの上で大の字になって寝ていた両親は、酔いつぶれて目覚める様子も無い。
逃げ場を探す双子の弟達は、ドアの向こうのサンドラの姿を見て助けを求めた。
「ねえちゃーん! あついー! あついー!」
「こわいよー! ねえちゃーん!」
サンドラはごくりと唾を飲み、そしてドアを閉めた。
「私は何も見ていない。散歩から帰ってきたら、火事になっていたのよ」
サンドラは窓を開け、鞄に詰め込んだドレスに後ろ髪を引かれながらも、着の身着のまま窓から飛び降りた。表の方からは、火事に気付いた隣人達の声がする。それに混ざって、離れた場所にいるはずの兵士の叫び声も聞こえた。サンドラの言いつけを守らず、すぐ近くに居たに違いない。
「中に聖女様がいらっしゃるはずだ! どこですか! 返事をして下さい! サンドラ様ー!」
サンドラは周りに誰も居ない事を確認しながら、息を切らして狭い路地裏を走り抜け、家から離れた所にある井戸まで来ると、顔を洗い、服などに煤汚れが付いていないか確認した。それから息を整えて、何事も無かったように歩いて家に戻ってきた。
すると途中ですれ違ったおばさんが慌てた様子で話しかけてきた。
「サンドラ! ああ良かった、あんたは家に居なかったんだね。大変だ、あんたの家が火事だよ!」
「ええ!? 弟は? トムとサムは無事ですか?」
家の前では近所の人達が、サンドラの警備に付いていた兵士達と一緒にバケツリレーで消火に当たっていた。
「あたしらが気付いた時にはもう火が全体に回っていて、兵士が一人助けに入ったけど、まだ戻ってきてないんだ。途中までトムがあんたを呼ぶ声は聞こえていたんだけどね、助けられなくて、ごめんよ。あの兵士もきっと駄目だろうね」
サンドラはワアッと泣き出し、その場に崩れ落ちた。
住民達の消火活動により、周辺に燃え広がる事はある程度避けられたが、消火に当たった者達の中には火傷を負う者が何人も出ていた。サンドラの家は完全に焼け落ち、家族四人と兵士は遺体となって発見された。火元は居間で、隣人からは最近何度か子供がボヤを起こしていたとの証言があり、マッチの使い方を覚えたばかりの子供の火遊びが原因だろうと結論付けられた。
近くの教会で朝を迎えたサンドラは、火事の知らせを受けて迎えに来たエヴァンに泣きながら抱きついた。
「エヴァン! ああ、私のかわいい弟達が! 私、大事な家族を一度に失ってしまったわ!」
エヴァンは抱きつくサンドラを引き剥がすと、事務的に連絡すべき事を伝えた。
「大変だったな。だが、お前だけでも無事で良かった。殿下も心配されていたが、迎えに行けないことを謝っていた。大神殿に増築中のお前の住居はまだ生活できる状態に無いのだが、お前は他に行くところが無いだろう? 神官用の粗末な部屋だが使って良いと許可が出た。女のお前をそんなところに入れるのはどうかとも思うのだが、暫くの辛抱だ」
サンドラは目を瞬いた。こんな事があったのだから、当然王宮で暮らす事になると思っていたのだ。それに、気のせいかエヴァンの態度がやけに冷たい。むしろ少し怒っているようにも見える。
「私、何もかも失ってしまって、心細いの。できればフレドリックの側に居たいわ」
「それは出来ない。聖女であるお前を穢す訳には行かないからな。心のふれあいは許されても、それ以上は聖女の力を失わせる危険性がある。殿下は未だにお前を妻にしたいと言っておられるからな。間違いがあっては困るのだ」
それ以降、サンドラが何を言っても無言を貫くエヴァンに連れられて行った先は、平民のサンドラには一生入る事が許されないはずの、白い石で出来た荘厳な大神殿だった。
そこでは、白い神官服に身を包んだ壮年の男性が恭しく出迎えてくれていた。サンドラがその男性の後に付いて行くと、エヴァンはぼそりと呟いた。
「サンドラ、お前は本当に聖女なのか?」




