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154・消えた公爵令嬢の噂

この先は書籍版に無い展開となっています。


 サンドラの中に居た妖精を浄化したあの日から一ヶ月が過ぎた。

 レヴィエントとはあれ以来会っていない。

 だけど宿に帰ったあの日の夜、浄化でかなり体力を消耗していた私のもとに、妖精界でお世話になったあの時の妖精達が現れ、私の身体を癒してくれた。

 今回は女神の加護のおかげで死にかけるほどのダメージは無かったけれど、きっとレヴィエントが私を労う為に彼らを遣してくれたのだと思う。

 その妖精達はまだ宿に滞在中で、彼らの愛らしい姿が日々私を和ませてくれている。

 そしてうちの料理を習いに来ていたチヨの実家の料理人達はというと、一通りレシピを覚えて全員無事に帰国した。

 私の不在中もシンは和の国の料理人達と上手くやっていたらしく、彼らが帰国する頃にはすっかり慕われて泣いて別れを惜しまれていた。

 そういえば、彼はいつの間にか庭師見習いのケビンとも仲良くなっていたし、王子だと知りながらウィルとも仲良しだ。おまけに食堂に来る男性客もシンを慕っている。 

 あの仏頂面と愛想の無い態度のせいか女性が近寄ってくる事はないけれど、同性には好かれるタイプらしい。

 そんな事を考えながらぼーっとシンを見ていると、私の視線を感じたのか黙々とハンバーグの種をこねていたシンがこちらを向いた。

 私は驚いてパッと目を逸らす。

 

「えーっと、マヨネーズは出来たし次はケチャップね。タキ、食材を取りに行くのを手伝ってくれる?」 


 咄嗟にタキに声をかけたけれど、彼はポテトサラダ用に茹でた大量のジャガイモを頑張って潰している最中だった。

 熱いうちに潰さなくては粘りが出て食感が悪くなってしまう。


「あ……今は手が離せないわよね」

「オーナー、俺が行く」


 シンが作業の手を止めてこちらに来ようとしたので、私は慌ててそれを止めた。


「だ、大丈夫よシン。私一人でも二度に分けて運べば済む事ですもの。二人ともそのまま作業を続けてね」

「待ってラナさん、僕の方はもう終わるから」

 

 宿に帰ってきたあの日から、私とシンはどこかギクシャクしている。

 原因は私だ。

 なぜか今まで普通だった事が急に恥ずかしくなってしまい、シンと話をする時は目を合わせられないし、不意に体に触れれば挙動不審になってしまう。

 そのくせ、どういう訳か気づけば彼を目で追っていたりもするのだ。

 それでたまにシンと目が合うと、パッと私から目を逸らしてシンを困惑させている。

 こんなのは前世でも経験した事がなく、自分の感情が上手くコントロール出来なくて困っている。

 私は自分がおかしくなったと思っているのに、周りの皆はなぜか生温かい目で私を見て微笑むのだ。


「ふふ、しばらくここを離れたのが良いきっかけになったのかな」

「何の話?」

「さあ? 何の話だろうね」


 タキは時々意味ありげな事を言うくせに、それがどんな意味なのかは絶対に教えてくれない。何なのかわからないが、ただ嬉しそうに笑って誤魔化すだけ。

 シンとも普通に接したいのに、上手く出来ない自分にとても腹が立つ。

 

 そして午後の営業が始まった。

 ランチタイムは皆せわしなく食事を済ませて出ていくけれど、午後からは違う。食事の後は軽くお酒を飲みながら会話を楽しむちょっとした社交の場となるのだ。

 店内は少し前に貴族の間で話題になっていた不運な公爵令嬢の話で持ちきりとなった。

 噂の出元は貴族の屋敷で働くメイドや下働きである。

 それも噂を流しているのは一人や二人ではなく、別々の屋敷で働く者達がそれぞれ耳にした情報を家族や友人に話しているのだ。

 娯楽の少ないこの世界では噂の拡散力は強く、その話は王都から周辺の村々にも伝わり、更に旅人によって各地へ拡散されてしまっていた。

 人伝に広まる情報には大抵尾ひれが付き、最終的には間違った内容になってしまう事も多いけれど、今回ばかりはどういう訳か誰から聞いても同じ事が伝わってくる。

 屋敷で知った情報を外部に漏らす事は固く禁じられているはずなのに、不思議な事に噂を流した者を探し出す動きは見られず、この件に関しては誰一人罪に問われる事は無かった。

 

 カウンター席を陣取る常連さん達が今日もその話題を持ち出して自分の考えを言い合い始める。

 その話題の何がおもしろいのだろうか。出来ればそろそろ別の話題に変えてもらいたいのだけど、ここ二~三日はずっとこの調子である。


「可哀そうにねぇ、悪女に仕立て上げられた公爵家のお嬢様はどこへ行ってしまったんだか……聖女様にはがっかりだよ」

「仕方がないよ。聖女と言っても所詮人の子さ。王子様が自分に興味を持ってくれたんだ。手放してなるもんかって必死だったんだろ」

「だからってなぁ……婚約者を奪い取った上に、自分の勘違いで相手を悪者にして追放しちまったんだから。どうにかお嬢様を探し出して元の生活に戻してやらないと可哀そうだよ。女将もそう思わないか?」 

「え、ええ」


悪気が無いのはわかっているけど、その質問を私に投げかけるのはよしてほしい。まさかその令嬢が目の前に居る私だとは思いもしないだろうけど、毎回答えに困ってしまう。


「……でも、誤解が解けたのなら良かったじゃないですか。そのお嬢様も、もしかしたらどこかで幸せに暮らしているかもしれないし……」

「ハッハッハ、甘いよ女将は。将来王妃様になるはずだったお方だぜ? それ以上の幸せなんかあるもんか」

「権力を持つ事が幸せとは限らないのだけど……」

「何か言ったかい?」

「いいえ。行方不明になったその方の耳にも、この話題が届くといいですね」

 

 話をまとめるとこうだ。

 当時王太子だったフレドリック殿下は、慣れない環境に戸惑うサンドラを気に掛けるうち、彼女の様子がおかしいと気づいて訳を聞いた。サンドラは王子が自分ばかりを構うせいで、婚約者が自分を疎ましく思って意地悪をしてくると訴えた。

 その後も嫌がらせは続いたが、王子と相思相愛となった事を申し訳なく思ったサンドラはいじめに耐えた。

 しかし耐えるうちに意地悪はエスカレートしていき、ついにはサンドラの命が狙われ、激怒した王子は大勢の前で婚約者を断罪し、婚約破棄を宣言した。婚約者はその後修道院に送られて、自分の行いを悔いている。

 と、ここまでがフレドリック殿下が書いた劇のシナリオで、聖女の覚醒を祝う祭りで観劇した者達が知っている内容である。

 しかし、最近出回っている話は聖女を襲撃した犯人が捕まり、それを指示した者も判明して婚約者には関わりがなかったと公式に発表がなされたというもの。

 おまけに、サンドラが王子の婚約者から受けた仕打ちというのはすべて彼女の被害妄想で、サンドラを想うあまりフレドリック王子は何の疑いも持たず信じてしまい、無実の者を断罪するに至ったという事になっている。

 この噂が事実と異なる事はシン達も知っている。そのせいか、この話を耳にすると彼らは途端に不機嫌になってしまう。

 しかしこれは仕方がない。

 国がサンドラを聖女として神殿に置き続けたいのなら、彼女の悪事は隠さねばならず、その上でノリス公爵令嬢が無実だった事を世に知らせるには、こうするよりなかったのだろうと私は理解した。

 逆に、下町で彼らとは何の接点も無いはずの公爵令嬢の事がこれほど話題になる方がどうかしているのだ。誰かが故意に流したともとれるけど、そんな事をして一体誰が得をするのか。


 そしてそれから数日後。

 とうとう消えた公爵令嬢の噂に尾ひれが付き、私がやっと手に入れた自由で幸せな平民生活を脅かそうとしていた。

 

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