147・最後のわがまま
アーロンがサンドラのもとを訪ねてきた日から四日が過ぎた。
天使を召喚する為にサンドラが与えられた猶予は二週間。
今日ここへ来る事になっている王弟殿下の目の前で天使を呼び出せなければ、彼女は聖女という肩書きだけではなく、今まで与えられてきたすべてを取り上げられる事になるだろう。
側仕えからの報告を聞く限り、サンドラは一応毎晩就寝前に神に祈っていたようだ。しかし作法を知らないサンドラは、ベッドの上に座った状態で胸の前で指を組み、ブツブツと何かを繰り返し呟いていただけだという。
祈ったところで無駄な事は本人が一番よくわかっているとは思うけれど、彼女の行動は監視されている。
それはもちろんサンドラを快く思わない王弟殿下の耳にも届くのだから、たとえ無駄でも彼女は朝から晩まで必死に祈り続けるべきだった。
それとは対照的に、巫女や神官達は朝早くからソワソワと空を見上げ、各々が神に祈りを捧げながら天使が舞い降りる瞬間を待っていた。
しかし残念ながら、本当に神が願いを聞き届けてくれない限り、どんなに待っても天使が現れる事はない。その噂の天使の正体は私とシンなのだから。
私達は別にやましい事をした訳ではないけれど、巫女や神官が純粋な気持ちで空を見上げる姿を見ると、ちょっと後ろめたい気持ちになる。すべての事情を知るイリナ様と神官長も困惑の表情を浮かべていた。
聖女の住居へ向かうと、側仕え達が王弟殿下をお迎えする準備を進めていた。
拝殿側の回廊に赤いカーペットが敷かれ、ひじ掛け付きの豪華な椅子が一脚設置されているのが見えた。そこが王弟殿下の席なのだろう。
今日この場を仕切っているのは私ではなく、聖女の管理を任されているイリナ様と前任者のイーヴォである。私はといえば、今日は黙って儀式を見学するだけでいいのだけど、何か手伝える事はないかと様子を見にきた。
部屋の扉を開けると、サンドラとイーヴォが言い争いをしている最中だった。
「そのドレスの気分じゃないわ!!」
「これの何が不満だと仰るのですか! 聖女様、王弟殿下が予定より早く到着なさるかもしれません。あなたには気持ちを集中させる時間も必要でしょうし、早く支度を済ませてしまった方がいいのではありませんか?」
「そんなのわかってるわよ! ライラはまだなの? イーヴォが私の側仕えに用事を言いつけてしまったし、お化粧はイーヴォに頼めないじゃない!」
「今朝になって急に予定が変わって手が回らないのです。ここに神官や巫女を入れる事は出来ませんし、着替えのお手伝いくらいなら私がしますから、早くしてください!」
慣れ親しんだイーヴォが相手だと甘えが出るのか、私に対する態度と随分違う。これが側仕え達の言っていた私が来る前のサンドラなのだろう。
毎日密かに彼女からにじみ出る黒いモヤを浄化してしているというのに、今朝はやや濃いめのモヤが出ている。
「おはようございます、聖女様。イーヴォ、ここは私に任せてください」
私が声をかけると、サンドラは嬉しそうな顔をしてパッと振り向いた。イーヴォは私が現れた事で少しホッとした表情を浮かべ、軽く会釈して他の仕事をしに向かった。
何だかバタバタしていると思ったら、王宮から何か知らせが来て予定が変わったようだ。
「ライラ! やっと来たわね。遅かったじゃないの」
「わがままを言ってイーヴォを困らせていたようですね」
「イーヴォなんて全然ダメ! 今日は特別な日だからお化粧もドレス選びも全部ライラがやってくれなきゃ嫌よ」
あまり動じていないのかと思いきや、サンドラの目に不安の色が見て取れた。私はサンドラから出る黒いモヤをさり気なく祓いながら化粧台の前に誘導し、椅子に座らせメイクを始める。
よく見るとサンドラの手が小刻みに震えていた。
流石に緊張しているのだろう。でも今回は自分で蒔いた種なのだから自業自得だ。
私の事はさておき、五年もの間タキを苦しめたサンドラを助けるつもりは毛頭無い。
私は彼女に聖女らしく清楚な雰囲気に見えるメイクを施し、サンドラが四日掛けて自分でリメイクした若草色のドレスを選んだ。
聖女として祀り上げられても、彼女には期待されているような力は備わっていない。けれど、私はこの四日間サンドラを観察していて、針仕事こそ彼女の天職ではないかと感じたのだ。
家で家族の衣服を直していたサンドラはとても仕事が丁寧だった。
確実に天使の召喚は失敗する。その後ここを追い出されてしまっても怪しげな花売りや貴族の愛人などやる必要はない。贅沢さえ望まなければ針子として食べていけるはずだ。
穏やかに暮らせる道もある事に気づいてほしかったが、サンドラは不満そうな顔をして首を横に振った。
「ライラ、別なのを用意して」
「せっかく上手にリメイク出来たのに、何かご不満ですか?」
「そんなツギハギだらけのドレスを着て王族の前に出ろって言うの?」
「ツギハギ……ですか。では、いつもと同じですがこちらにしましょう」
完成した時はとても喜んでいたのに、こんな反応をされるとは思わなかった。
貴族でさえいつも新品を着ている訳ではなく、直したものも普通に着ているのだ。リメイクしたドレスを着る事は別に恥ではない。
ここで贅沢な暮らしをするうちに、サンドラはそんな事も忘れてしまったらしい。
サンドラが身支度を済ませて一時間もせず、殿下が到着したと連絡が入った。イーヴォがサンドラを拝殿で待機させるのを見届けた私は、イリナ様のもとへ急いだ。




