138・光の玉の正体
「え……?」
今のはもしかして妖精? ここには居ないのかと思っていたけれど、植物の無い建物内で見かけるだなんて、何だか変ね。どこかから迷い込んでしまったのかしら……?
私はその光の玉に誘われるようにフラフラとその場から離れ、こっちにおいでと言わんばかりに進む方向を示すそれを追いかけるうちに、この建物の玄関ホールまで来てしまっていた。
そこは今まで見てきた無機質な石の壁や床ではなく、温かみのある木を使った内装で、先ほどイリナ様と別れた場所と比べてかなり年季が入っていた。広さは違えど、町の教会に近い印象だ。
正面の玄関扉は何故か開いたままになっていて、右と左には長い廊下がある。左の廊下は出来たばかりなのか、まだ木の香りがするほど新しい。
「あのー……どなたかいらっしゃいます……か?」
誰かが居た形跡があるので私は恐る恐る呼びかけてみた。
右手の壁際には木箱や麻袋に詰められた新鮮な野菜などの食材が積み上げられ、ここから見える外の荷車にもまだいくつか荷物が残ったままになっている。これを見る限りでは、誰かがそれらを運び入れていたのだと思うけれど、どこへ行ったのか人の姿は見当たらない。
耳を澄ましてみても、外から小鳥のさえずりが聞こえるばかりで私の呼びかけに反応は無く、近くに人の気配を感じなかった。ここに居た人達もサンドラの捜索に駆り出されてしまったのかもしれない。
そしてここまで来て、私はあの妖精らしき光の玉を見失った。あれを追いかけてどうするつもりだったのか自分でも良くわからず、我に返った私は何も告げずに来てしまった事を思い出し、慌てて元居た場所に戻る事にした。
「大変……! 早く戻らなきゃ……」
踵を返し、イリナ様の元に戻ろうとしたその時、隠れてついてきたヴァイスが大きな白いライオンの姿で私の行く手を阻んだ。
「ちょっ……と……何してるのよヴァイス?」
私は慌ててヴァイスを隠す様に両手を広げ、周囲を確認する。
ここには妖精が見えるほど霊力の高い人がたくさん居るというのに、ヴァイスはそんな事お構い無しに堂々とその姿を現した。
あの儀式の時、私と一緒に女神から授けられた力の影響で、彼は油断すると普通の人にすら姿が見えるようになってしまったのだから、ここではより一層気を付けなければならない。
しかし私がいくら隠そうとしても自分の何倍も大きな彼を隠せるはずもなく、早々に諦めた。
「もう……せめて子犬サイズにしてほしいわ。誰かに見られたらどうするつもり?」
(心配せずともこの近くには誰も居ません。そんな事よりラナ様、レヴィエント様を追わなくてよろしいのですか? 出発前、あれほど捜していらしたのに)
「……レヴィエント?」
(……まさか、先ほどの妖精が何者なのかも知らず、ただ闇雲に追いかけていたのですか?)
私はコクリと頷いた。
「だって、なんだか妙に気になってしまって……本当にレヴィだった?」
(はい、間違いありません)
「そう……だから気になったのね。レヴィは私達をどこかへ誘導したかったのかしら」
(そうだと思います。しかし、ここで見失ってしまいましたね)
右の廊下を見ると幾つか扉が並んでいて、突き当りには食堂と書かれたプレートが付いている。という事は、手前にあるのは厨房と食品庫の扉なのだろう。
そして左の廊下の先には、のぞき窓のついた重厚な扉がある。まだ具体的な場所は聞いていなかったけれど、あれがイリナ様の言っていた聖女の住居へ繋がる唯一の場所なのだとすぐにわかった。
何故なら、先ほど建物へ入る前に黒い霧を浄化したというのに、あの扉と壁の隙間からは未だ黒いモヤが流れ出ているのだ。
……んん? 何か変だわ。サンドラは自分の部屋を出て、今は行方不明のはずよね? だから神官達が手分けして館内を捜し回っているのに……あそこにモヤがあるってどういう事?
「ねえヴァイス、レヴィがどの方向へ行ったのか、あなたは見ていた?」
(左へ行ったように見えましたが、その先は分かりません)
「左ね……あの扉に鍵がかけられていなければ良いのだけれど。とりあえず行ってみましょう」
ヴァイスに姿を隠すよう指示を出し、辺りを警戒しながら左の廊下を進み、突き当りの扉の前に立つ。黒い霧がモヤモヤと漂っていて、何だかとても嫌な感じがする。
それでも私はドアハンドルに手をかけ、ぐっと力を込めて引いてみた。すると拍子抜けするくらい簡単に扉が開く。
いくら神殿内と言えど、聖女の住居ならばセキュリティーはしっかりしていると思ったのに、そこは施錠もされていなかった。
「不用心ね……」
ドアを開けると、そこは大神殿をぐるりと囲っていたあの回廊の続きだった。直接部屋に繋がっているのかと思えば回廊はそのまま存在し、高い壁に囲われた閉鎖的な空間に、白くて四角い平屋の建物が鎮座していた。
中が覗けるような窓は無く、人の目線より高い位置に明り取りの細長い窓がいくつも並んでいる。
「まあ……誰も居ないわ。さすがに誰か居るかと思ったけれど、ここには警備の為の兵を置いていないのね……」
回廊を右に進み、建物の全容を確認すると、大神殿側の壁が一部前に突き出し、神社の拝殿を思わせるものが作られていた。
鈴の代わりに小さな鐘がぶら下がっているけれど、賽銭箱を置いて上から縄を吊るせば、もっとそれらしくなりそうだ。
その中に何があるのか見たかったけれど、残念ながら柵の向こうは幾重にも重ねられた薄布のカーテンがかけられていて、中を見る事は出来なかった。
この建物には入り口らしき扉が二つ。ひとつは綺麗な彫刻が施された扉、もう一つは装飾の無いシンプルな扉だ。彫刻が施された方はメインの出入り口だろう。
「こっちの扉は何に使われているものなのかしら……? 勝手口? ここから禍々しい何かを感じるのよね……」
私は来た時から気になっていた装飾の無い扉の前に行ってみた。
黙って見ていると、薄っすら黒い霧が扉を覆っていくのがわかる。私はいなくなったと騒がれているサンドラが、実は誰にも見つからずここに居るのではないかと考えた。
試しにその扉を開けてみる。するとそこにも鍵はかけられておらず、中は整理の行き届いた倉庫だった。並べられた棚の上には、見るからに高価そうな壺などの陶器類が置かれ、高級な日用品や珍しい布などが綺麗に収納されている。
少し中に入ると、奥の方に家具や大きな鏡があるのが見え、鏡にはモゾモゾ動く何かが映っていた。私はそれが何なのか確認する為に、慎重に近付き始める。
すると、見慣れた白い長髪の男性がスッと立ち上がり、髪をかきあげながら優雅に振り返った。
「見つけた……! そこで何をしているの?」




