10.3・元気になーれ
この日シンは、弟が近くに居る事で安心したのか、いつもより仕事に集中しているようだった。
最近お昼はバイキング形式で対応しており、盛り付けの手間が掛からない分厨房はかなり楽になった。
時間に余裕ができた私はお昼を目前に、とりあえず今日のところは消化の良い物をと思い、タキの為に鰹だしでしっかり煮込んだ野菜入りのお粥を用意した。
出汁の匂いだけで食欲が湧いてくる。
「いい匂い。これを食べて、タキが少しでも健康になりますように」
私は鍋底が焦げ付かないように混ぜながら、心の中でタキの姿を思い浮かべて、元気になーれと祈りを込めた。
「シン、タキに食事を作ったから、今日はあなたが先に休憩に入って良いわよ。一緒に昼食を取ってきたら?」
小さめの土鍋と取り皿を二人分と、シン用のおかずを何品か皿に取り分けた物をお盆に乗せて手渡した。シンは戸惑っていたけれど、朝から集中して頑張ってくれたおかげでお昼に出す料理は全て出揃っており、この後は減った分を少し作り足せば問題ないだろう。
「……あいつの為に部屋を貸してくれただけでも有り難いのに、こんな事までしてくれるのか? 何て言うか、その、ありがとう。じゃあ、お言葉に甘えて先に休憩に入らせてもらうな」
「いいえ、どういたしまして。ごゆっくりどうぞ」
シンは照れたように笑い、私の部屋にいる弟のもとへと急いだ。何だかいつもより表情が柔らかいのは気のせいだろうか。
「タキ、起きろ。昼飯はオーナーがお前の為に作ってくれた特別料理だぞ」
「ん……もうそんな時間? こんなに熟睡したの久しぶりだ。いい匂いだね、それは何?」
「お粥って料理だ。これも和の国の料理だぞ。俺が作るより遥かに美味いから、あったかいうちに一緒に食おう」
シンはベッドから起き出したタキをいつものように抱き上げて運ぼうとしたが、タキはそれを拒み、自力で隣の部屋のテーブルまで移動した。いつもならヨロヨロと心もとないゆっくりした歩き方なのに、なんと普通に歩いてみせた。
「兄さん、熟睡出来たせいかすごく体が軽いよ。いつもの悪夢を見なかったんだ」
「あ、ああ。お前、顔色も良くなったな。そんなに寝心地が良かったのか?」
チラリとエレインのベッドを見た。シーツは普通だし、毛布も特別なものには見えなかった。
「ベッド自体はうちのと変わらないよ。布団もね。うーん、ラナさんの匂いがリラックスできるのかな? 良く分からないけど、ベッドに入ってすぐに眠りに落ちたみたいだね。こんな事初めてだ」
「……へぇ。そうか、良かったな。ほら、熱いから気をつけろよ」
シンは何と無く今までに感じた事の無い感情を抱いたが、それが何なのかは考えなかった。タキにお粥をよそってやり、自分の分も取り分けると、優しい味付けのお粥を一口食べてみた。
「おお、美味い! タキ、食べてみろ」
「……!? 本当だ、美味しい!」
タキはここ何年も見せた事がない食べっぷりで、あっという間に皿を空にした。そして更に自らおかわりをして、もりもり食べ始めたのだった。これにはシンも驚いて、呆然としてしまった。
「お、おい、大丈夫か? そんなに急に腹に詰め込んで、後で痛くなっても知らないぞ」
「お粥って凄く美味しいね。口に入れた瞬間から体にしみこんで行くみたいなんだ。これならいくらでも食べられそうだよ」
「確かに美味いけど、もうその辺で止めておけよ。いつもの3倍は食べてるぞ?」
タキはシンの為に用意されたおかずにも手を伸ばし、それをパクッと口に入れ、突然ピタリと動きを止めた。
「あー、もう、馬鹿が、気持ち悪くなったのか?」
タキは首を横に振り、口に入れた鶏のから揚げを咀嚼し始めた。
「これも美味しい……お肉食べたの、何年ぶりかな」
彼はずっと飢えていたかのように食べ続けた。お粥は土鍋いっぱいに作られていたのに、結局半分はタキのお腹に収まった。
「大丈夫か? もう休め。気持ち悪くなったらすぐトイレに行くんだぞ」
「大丈夫だよ。お腹いっぱいになったから、もう少し寝るね。兄さんの分まで食べちゃってごめん」
「そんなの良いから、とにかく休め」
タキは先ほどよりもしっかりとした足取りでベッドに戻った。そして布団に入り横になると、すぐに寝息を立て始めた。
「どうなってんだ? 俺だって同じもの食べたんだ、薬の類が入ってたとは思えないし、美味いからって、あんなに急に食えるようになるものなのか?」
そんな事をつぶやくシン自身も、午前中の疲れが嘘のように消えていたのだった。




