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134・神殿へ

 いよいよ神殿に潜入する朝、私は侍女の変装として前もって考えていたプランをやめ、もっとシンプルなものに変更した。

 侍女には特に制服などの決まった服装は無いというので、白のブラウスに黒いベストとスカートを合わせ、ウィッグは落ち着きのあるブラウンのストレートロング。口紅は付けず、メイクはブラウンのアイブロウとアイメイクだけ。

 あとはこれに丸眼鏡をかけて完成だ。これだけでも十分に印象は変わる。

 イリナ様からの情報で、神殿に勤める女性達は誰もお化粧をしないという事を知ったので、変に悪目立ちしない為にも、これ以上手を加える事は出来なかったのだ。

 

 最後にもう一度レヴィエントを探したけれど、結局彼に会う事は出来なかった。


「もう……レヴィったら、こんな時にどこへ行ってしまったのかしら……?」


 私はスッキリしない気持ちのまま、イリナ様の待つ教会へと向かった。

 教会の前では、イリナ様との別れを惜しむ町の人達が大勢集まり、彼女を囲んで順番に感謝の言葉を伝えていた。

 町の人達は知らず知らずのうちにイリナ様の手で癒され、ありがたい事に、彼女がここへ来て以来この辺りでは小さな諍いすらも起きていない。

 最近黒い霧をほとんど見なくなったのは、彼女が町の人達と交流する日々の中で、大きく膨らむ前の小さなモヤをさりげなく祓っていたからだ。

 タキもイリナ様に黒い霧の祓い方を教わってからは、外でモヤの出ている人を見かける度、すれ違いざまそれを祓うようにしている。された側はタキやイリナ様が何をしたのか気づいていないだろうけれど、次の瞬間には負の感情が消え、心が軽く晴れやかになっているはずだ。

 本来ならば神殿を出る事も無く、ここに居るはずもなかった彼女は、この短期間で町の人達にずいぶん慕われていた。

 私は皆がイリナ様との別れを済ませるまで、教会の入り口の前でゆっくり待つ事にした。イリナ様を見れば、まだまだ対応に追われて私の存在に気づきそうもない。


 そしてしばらくすると、イリナ様は出勤途中のシン達兄弟を見つけて二人を呼び止めた。

 私もシンとタキを見てうっかり声をかけてしまいそうになったけれど、今は変装中。普段の私とはまったく印象の違う別人に成りすましていた事を思い出し、ハッとして口を閉じる。

 シンもまた、人垣の向こうに居る私を見つけ、一瞬口を開きかけた。しかしすぐに状況を察し、緩みかけた顔をいつもの仏頂面に戻して軽く会釈してきた。

 こんな他人行儀な挨拶は出会ってからこれまで一度だってされた事が無い。なんだか距離を感じてしまい、胃の辺りがチクリと痛む。

 永遠の別れでもあるまいし、そこまで感傷的になる必要も無いのだけど、自分がこれからしようとしている事を思うと、どうも思考がネガティブになってしまう。ちょっとへこんだ私は、シンに小さく会釈して返した。

 タキはそんな私達の様子を見て、優しく微笑みながら明るく声をかけてきた。


「イリナ様の侍女さんもおはようございます! いい天気ですね」

「おハ……ッおはようございます……! 本当、気持ちのいい天気ですね」


 驚いて思わず声が裏返る。今の私の事は無視して構わなかったのに、タキはわざと大きな声を出し、皆に私がイリナ様の侍女であると知らせた。

 自分でも周囲の人達にジロジロ見られている事は気づいていた。先ほどから無言で教会の前に立ち続けている人物が何者なのか、気になりながらも聞けなかったのだろう。

 皆の顔を見れば、納得した様子で小さく頷いていた。その時シンは、人の居ない方に顔を背けて下を向き、口元に拳を当てて肩を小刻みに揺らしていた。

 ほんの少し声が裏返っただけなのに、そんなに笑う事ないじゃない。そうやって取ってつけたような咳で誤魔化したって、あなたが笑っている事くらい見ればわかるんだから。

 

 タキは皆の様子を確認するとすぐにイリナ様へと視線を戻し、何事も無かったように再び話し始めた。

 

「イリナ様、あなたのお陰で僕は生きるのが楽になりました。もう外で人の悪意を感じても怖くありません。本当にありがとうございました。お元気で」

「あなた達も元気でね。何か困った事があれば、いつでも神殿にいらしてください。出来る限り力をお貸します」

「はい、ありがとうございます。……じゃあ行こうか、兄さん」

「ん……ああ」


 シンとタキは別れの挨拶を済ませると、私の方へ近づいて来て「がんばれよ」「がんばってね」と囁くような小声で励ましの言葉を残して行った。この世から一つの命を消してしまう罪悪感に沈む私を、昨夜あの二人は優しく慰め、励ましてくれた。

 そう、今は余計な事を考えている場合ではない。これ以上被害者が増える前に、私は私にしか出来ない事をする。ただそれだけだ。

 シン達が去った頃には他の人達も皆仕事に向かい、やっと私の順番が回ってきた。


「おはようございます、イリナ様」

「おはようございます。申し訳ありません、ずいぶん待たせてしまいましたね」


 イリナ様は喜びと戸惑いを混ぜたような、少し照れくさそうな表情を浮かべてこちらにやって来た。心なしか何か吹っ切れたような爽やかさを感じる。


「いいえ、お気になさらず。この短期間で、ずいぶん町の人達と打ち解けたのですね」

「フフ、神殿に籠っていては、一生経験出来なかったでしょうね……」


 私達が話をしていると、通りの向こう側を走る子供達が、イリナ様に向けて手を振ってきた。イリナ様はそれを見て、眩しそうに眼を細めながら手を振り返す。これがここへ来てからの彼女の日常だった。しかしそれも今日でおしまいだ。

 

「あの……イリナ様にとって、ここでの生活は良い経験でしたか?」

「はい、もちろんです。一般の方達とのこうしたふれ合いは初めてで……正直言って初めのうちは戸惑いも多かったのですが、ここでの生活はとても楽しかったです。出来る事なら、これからも積極的に外の方々と交流していきたいものです……」


 それが無理な事はイリナ様もよく知っている。

 以前はそうでもなかったけれど、ある時を境に神殿はとても閉鎖的な場所になってしまったらしい。イリナ様はその理由をよくご存じのようなのに、私には話してくださらなかった。

 今は儀式で外に出る場合を除き、王族の他に一部の有力な貴族以外が巫女に会う事はまず無いと言っていい。 

 イリナ様に聞いて初めて知ったのだけど、巫女の多くは霊力の他に治癒魔法も使えるらしく、実は何気にハイスペック。

 イリナ様を筆頭に、神に仕える為とは言え神殿に籠らせておくには惜しい人材なのだ。もしも外部との接触を許されるなら、彼女達は喜んで自らの持つ能力を発揮させる事だろう。


 それからすぐに迎えの馬車が到着した。どうやら御者はただの雇われ者のようで、この時点で私の存在を訝しむ者は居なかった。

 私達は早速馬車に乗り込み、神殿へと向かう。


「ラナさんの偽名はライラでしたね。侍女のライラとしての仕事ですが、わたくしの身の回りの世話をする必要はありませんので、仕事の手伝いをお願いします」

「はい」

「わたくしが大神殿で自分の役割を果たしている間、あなたはわたくしの代わりに聖女の元へと出向き、新しく側仕えとなった女性達の監督をして、聖女の様子を報告してください」

「はい。今は神官がひとりでそれをこなしているのですよね」

「ええ、イーヴォという新人神官です。彼には、ラナさんの事を教会から連れて来た侍女のライラとして紹介しますので、後は上手くやって下さい。こんな事しか出来なくて、申し訳ないのですけれど……」

「いいえ、神殿に入れるだけで十分です」

 

 しばらくすると馬車は神殿の前で止められ、私は目の前にそびえ立つ白い建物を見上げた。正面から見ると入り口部分は何本もの大きな柱が天井を支えるパルテノン神殿のような外観で、その奥に大神殿があり、聖女の住居や神官、巫女達の住居もある。

 神殿の敷地はぐるりと高い壁に囲まれており、その中がどうなっているかは一般に知られていない。

 外からは何度も見た事はあるけれど、見えるのはどこまでも続く白い壁と、大神殿らしき建物の屋根のみ。中に入るのはこれが初めてだった。

 サンドラの居る場所には何人もの貴族が出入り出来ているらしいので、こことは別の出入り口があり、直接そこへ行けるようになっているのだろうか。


「イリナ様……気のせいか黒い霧が神殿をうっすらと覆っていませんか?」

「……どうしたのでしょうか? 本当に薄くではありますが、黒い物が全体を覆っているように見えますね」


 とても嫌な予感がする。もしかしたら、また別の被害者が出ているのかもしれない。サンドラ付きの側仕えを選ぶ際の条件ならしっかり伝えたはずだけれど、神官長は言った通りにしてくれたのかしら……?

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