131・王弟グレイアム対サンドラ ~中編
「ひ……酷い……! 偽者だなんてあんまりよ!」
「聖女様……! お教えした事をもうお忘れですか……!」
サンドラは頭の中が真っ白になり、つい普段の口調のまま反論していた。
初めは王弟グレイアムの高圧的な態度に恐怖心を抱いたが、それ以上に自分の功績を認められなかった事に苛立ちを感じ、衛兵に守られ安全な距離を保って柵の外に立つ王弟グレイアムに向かってツカツカと歩み寄った。
雨乞いの儀式からの帰り道、馬車の中で最低限の礼儀作法を教えたつもりだったイーヴォは、王族相手に食って掛かるサンドラの言動に驚き、彼女が王弟に近づく前に慌てて止めに入る。
「なによ、邪魔しないで……!」
「何か誤解があるのかもしれません。とにかく、あなたは今下手な事を仰らない方がよろしいかと思います」
「だって! 私、雨を降らせたでしょう? それなのに……!」
「わかりましたから。一旦落ち着いて座りましょう」
興奮気味のサンドラを宥めすかし、どうにかいつもの椅子に座らせたイーヴォは、これは決して自分の役割ではないと思いつつも、無礼を働いたサンドラに代わり、王弟グレイアムに謝罪の意味を込め、胸に手を当て軽く頭を下げた。
「殿下、聖女様は殿下にかけられた突然のお言葉に驚き、少々取り乱してしまったようです。申し訳ありません」
事前に礼儀作法を教えたと言っても、所詮は付け焼刃。サンドラは一年もの間、手本となる多くの貴族令嬢達と一緒に学園生活を送ったにも関わらず、彼女達から何一つ学ぶことなく退学したのだ。たった数日レクチャーを受けただけで簡単に身につくはずもない。
それどころか、彼女は当時あえてその逆を行った。
エレインのインク事件の時、無理して貴族に合わせなくとも、教養も無く隙だらけな素のままを男性達に見せる事で、彼らにとって身近な令嬢達よりも新鮮に映り、さらに弱いところを見せて甘えれば、王子でさえも簡単に落とせると学習してしまった。
しかし、それで何かを手に入れる事が出来ただろうか。当時王太子だったフレドリックとの交際で、彼女は一時的に優越感を味わったかもしれないが、買い与えられた上等なドレスは全て火事で焼失し、平民から王妃になるという大それた野望は、聖女として認められた時点で不可能な話だった。
せめて、聖女らしく振舞えるだけの礼儀作法を身につけていれば、王弟グレイアムにここまで睨まれる事はなかったかもしれない。
「……相変わらず無礼な娘だ。なるほど、その危機感の無さ……ここへは外からの情報が回らないようだな」
「どういう意味?」
「聖女様……!」
ジェラルド・パウリーが足しげく通っていた頃は、彼がサンドラになんでも教えていたが、宿屋の女将ラナを襲った罪で牢に入れられてしまってからは、もうどこからも外の情報が入らなくなっていた。
ここで働く側仕え達も、余計な事は伝えるなと神官長に言い含められている。
王弟グレイアムは怪訝そうな表情を見せるサンドラに向けて、まるで自分の功績であるかのように得意気に話し始めた。
「聞け。お前達が投げ出してきた村に、この国の民を救う本物の救世主が現れた。大勢が見ている前で、あの古い本に書かれた通りの奇跡を起こした者がいるのだ」
「本って何よ? 私だって雨を降らせたわ!」
興奮して無礼な口を利くサンドラを窘め、イーヴォは再度王弟に頭を下げる。
「聖女様、お黙りください。これ以上は庇いきれません」
「では聞くが、お前に作物を成長させる能力はあるのか? その者達は、広大な畑の作物を短時間で収穫出来るまでに成長させたそうだ。現地の者達は、その姿を見て天から舞い降りた天使と呼んでいる」
サンドラはガタっと椅子から立ち上がり、頭をフル回転させた。晴天の空に雨雲を呼び、嵐を起こしただけでも奇跡だと思っていたのに、目の前の男が言っている事はそれを遥かに上回る。
「天……から舞い降りた……?」
「そうだ。翼の生えた獣に乗って空から降りてきたと聞いている。空を飛んで移動するなど、普通の人間でない事は明らかだ」
「そんなの見間違え……」
「見間違えでも偶然でもなく、何人もの民が目撃している。そして何の見返りも求めず飛び去ったというのだから、天使というのも頷ける」
これを聞いたサンドラの動揺は計り知れないものであった。
絶対に自分が聖女であると認めさせなくては、今の暮らしが維持出来なくなる。今はもう帰る家も、迎え入れてくれる家族も居ない。
どう言い訳するか、とにかく出来る限り考えを巡らせた。
イーヴォは王弟グレイアムの話を聞き、自分もかつて読んだ事のある聖女伝説の内容を思い出していた。そこには確かに、干上がった大地に雨を降らし、一晩で麦を実らせ飢餓に苦しむ民を救ったという一文が残されていた。
サンドラの働きもこれに当てはまると思っていたが、一晩で麦は育たなかった。そこまでの力を持っていなかったか、十分に力を溜めきれていなかったか、とにかく、好意的な解釈をしてサンドラを評価していたイーヴォだったが、本物が現れたと聞いて、すんなり納得している自分がいた。
「では、そちらが本物という事……?」
「それ! 私が呼び出したの!」
サンドラはイーヴォの言葉をかき消すように大きな声を出し、王弟グレイアムに向かって信じられない嘘をついたのだった。




