126・朝焼けの空を駆ける
只今、無数の星が瞬く夜空に向かって一気に上昇中。はるか遠くに見える山の向こうでは、太陽が顔を覗かせていた。
「きゃあああ……こっ……怖い!」
「ラナ! 馬鹿暴れんな。逆に危ねーって」
今までに体感したことのない速さで一気に上空まで昇ってきた私は、雲にも手が届きそうなその高さに目が回り、思わず情けない声を出す。すると、そんな私を落ち着かせようと、ヴァイスが優しく語りかけてきた。
(ラナ様、シンにつかまっていれば大丈夫です。絶対に落としたりしませんから、ご安心ください)
「あの……忘れていたけれど、私、実は高いところが苦手で……」
前世では遊園地の絶叫マシンが大の苦手で、特に、垂直に上がって急降下するタイプのアトラクションだけは、友人達に何度誘われても頑なに拒み続けてきた私。
この世界に絶叫マシンは無いから大丈夫だと、完全に油断していた。まさか、生身でこの広い王都を見渡せるほどの高さまで昇るなんて、誰だって想像だにしないだろう。
そんな私が何をしようとしているかというと、シンと一緒に、大きなライオン姿になったヴァイスの背に乗せてもらい、サンドラが雨乞いに失敗した村へ向かおうとしているのだ。
はじめは一人で行くつもりだったけれど、一緒に行くと言ってくれたシンに、素直に甘えて正解だった。怖くて無意識におかしな動きをした私を、シンはしっかりと抱きとめてくれた。
「ったく、しょーがねーな……俺につかまって目ぇ閉じてろ。そんなんでよく一人で行くなんて言ったな……」
「イメージしていたのと違ったのよ。こんなに高く飛ぶなんて思わなかったんだもの……」
頭上では徐々に星の輝きが薄れだし、朝焼けが辺りを赤く染め始める。眼下にはその美しい朝の光を浴びる王都の街並みが広がっているけれど、私はそれを眺める余裕も無く、ぎゅっと目を閉じシンに力いっぱいしがみつくのみ。
対してシンは生まれて初めて見る景色に圧倒されつつ、興味深そうに王都の街並みを眺めていた。
(ラナ様、では参りますよ。空を駆ければあっという間です。一時間ほど我慢してください)
ヴァイスはどれだけスピードを出すつもりなのか。馬車で数日かかる距離を、一時間で駆け抜けようとしている。
「わかったわヴァイス。ランチの仕込みに間に合うよう帰ってきたいから、急ぎましょう。シン、お願いだから絶対に離さないでね?」
「ああ。離さねーから、俺とヴァイスを信用しろ」
シンは前に座る私を片手で力強く抱き寄せ、もう一方の手でヴァイスに装着された馬具のような装備をしっかり掴んでいる。
初めて知ったけれど、ヴァイスは自分の装備を自在に具現させることができるらしい。
私を背に乗せる事に決まったとき、まるでアニメの変身シーンのように体の周りにキラキラをまとわせ、鞍や手綱といった馬具のようなものを一瞬で装着してみせた。
それを見た私は、もしかして自分にも同じ事ができるのではと考えてしまった。
時は遡って前日の午後。
その知らせは突然やって来た。
ランチタイムも終わり、皆でまったりと休憩していた時だった。
「ラナさん! ラナさんはいらっしゃいますか?」
「まあ、イリナ様。そんなに慌ててどうなさったのですか?」
私は腰かけていた椅子から立ち上がり、ドアの方へ向かって歩き出す。イリナ様の顔は青ざめていて、今にも崩れ落ちそうなその様子に、尋常でない何かが起きたのだという事だけはわかった。
「先ほど神殿から知らせがあったのですが……恐れていたことが現実になってしまいました」
私はイリナ様を手前のテーブル席に誘導し、チヨに目配せしてお茶の用意を頼む。
「あの……落ち着いて。まずはおかけください」
イリナ様は席に着くなり、焦る気持ちを落ち着かせようと、一度大きく深呼吸をした。
「雨乞いの儀式に出かけた一行が戻ってきたのです」
「え……? もう……ですか? 予定ではまだ各地を回っているはずでは……」
イリナ様は唇を噛み、首を小さく横に振った。
「二度目の儀式の最中に……聖女がひとりの巫女を呪ったそうです。儀式の場は騒然となり、中断したまま逃げるように帰ってきたとの事です。被害に遭った巫女は……今は遺体となって神殿に……」
イリナ様の話を聞き、私たちは言葉を失った。万が一サンドラが誰かを襲ったとしても、私がイリナ様の侍女として神殿に入った後、こっそり黒い霧を浄化すれば大丈夫だろうと心のどこかで思っていたのだ。
「そんな……! また人の命を奪ったのですか……? 自分の母親だけでなく、今度は何の関係もない巫女まで……」
「わたくしの代わりに儀式に同行した巫女の手紙には、亡くなった巫女の髪や瞳の色が聖女に移ったと書かれていました。彼女の能力は感情の高ぶりや嫉妬が引き金となるのですよね?」
胸騒ぎがした。
今までにサンドラの髪や瞳の色が変化したことは一度も無かったのではないだろうか。少なくとも、私が知っているサンドラはずっと黒髪に黒い瞳だった。それがこの国の貴族達にとって最高とされる美の基準なのだから、彼女が自らそれを手放すとは思えない。
「あの子は輝くようなブロンドヘアーに、空を映したような青い瞳がとても美しく、聖女様は自分に無い美しさを持つあの子を妬んだのではないでしょうか」
「そうなのかしら……? なんだか釈然としないわ。あ……! そこまで目に見える変化があったのなら、他人から美貌を奪えると本人が気づいてしまった可能性が……」
「うん、無いとは言い切れないね。イリナ様、聖女は神殿内では隔離されているんですか?」
タキは自分と兄を何年も苦しめた相手が、また更に被害者を増やしていたことに憤りを感じていた。しかも、今回は命まで奪ったというのだ。これはもう許せることではない。
「神殿の敷地内に、聖女のために建てられた住居があります。世話係は一般から集めた女性たちですし、ラナさんが神官長に進言した通り、今後は面会も制限されるはずです。なので、被害者が増えることは無いと思います」
「あの……イリナ様。面会を制限するのは良いとして、サンドラは一人で外出などしないのですか?」
「今はどうかわかりませんが、外出禁止ではなかったと思います」
イリナ様は早い段階で世話係から外された為に、詳しい事はよく知らないようだ。
「おいおい、ダメだろ。あんな化け物野放しにして、また被害者が増えたらどうすんだよ」
「そうね。化け物は言い過ぎだけれど、シンの言う通りだわ。イリナ様、聖女を外出させないように、神官長様へ手紙を出してくださいませんか?」
「はい、早いほうがいいですね。すぐに取り掛かります。あの……ラナさん。一つお聞きしたいことがあるのですが」
「なんでしょう?」
「ラナさんは女神の力をお持ちなのですよね?」
「ええ、まあ……」
「その力で、雨を降らせることは可能でしょうか?」
あまりに思いがけない質問だった為に、私を筆頭に、ここにいるメンバー全員が呆気にとられた。
確かに、水と豊穣の女神ならば出来るだろうが、私は普通の人間だ。やってみた事は無いけれど、天候を左右させるなんて事が、一個人に出来るとは思えない。
「あの……イリナ様、それはさすがに私にも……」
「ラナさん、無茶を承知でお願い申し上げます。雨乞いの儀式を引き継いでいただけないでしょうか。あなたなら、数百の農民の命を守れるような気がするのです」
イリナ様は真剣だった。ここへ来た本当の目的はそれのようだ。
このまま放っておいても自然に雨の降る日は来るだろう。しかしそれでは遅いのだ。たとえ気休めだとしても、神に祈る事しか出来ない巫女たちは、奇跡を信じて待つ人々の思いを背負い、毎年各地に出向いている。
儀式を途中で放り出す形になってしまい、イリナ様は放置された農村に住む人々を想い、心を痛めていた。
私だって何とか出来るものならしてあげたい。
しかし、彼女の頼みは神の領域。私から女神ライナテミス様に願えば叶えてもらえるだろうか。少しでも可能性があるならば、試してみる価値はあるかもしれない。
数百の人命に関わる事だ。それがたとえ無駄に終わろうとも、迷うくらいならやってみよう。
「わかりました。しかし移動には数日かかりますし、馬車の手配や諸々の準備も必要ですので、出発まで少しお時間をいただきますね」
「ああ……! 感謝いたします! 旅の準備はわたくしにもお手伝いさせてください」
私はイリナ様の頼みを引き受ける事にした。
すると、私の足元で休んでいた子ライオン姿のヴァイスが急に元の大きさに戻り、少し広い場所に移動してゆったりと翼を広げた。
(ラナ様、移動の心配なら無用です。私があなたをお運びしましょう)
「ええ? ヴァイス……運ぶってまさか、あなたの背中に乗れというの?」
ここに集まった人達は、チヨ以外全員がヴァイスの姿を見ることが出来る。しかし、ライオン姿の時の声は私にしか聞こえないので、私の言った言葉だけで何を話しているのか判断しようとしていた。
(空を駆ければあっという間です。早朝に出れば仕込みの時間には戻れるでしょう)
「オーナー、ヴァイスとなんの話してんだ?」
「あ……あのね、ヴァイスが私を乗せて村へ行ってくれるって。朝早く出れば仕込みまでに戻れると言うのよ」
「……そうか。それ、俺も行く。まさか一人で行く気じゃないよな?」
シンは何の迷いもなく一緒に行くと言い出した。でも私は一人で行くつもりだ。ヴァイスも一緒なら厳密には一人ではないし、問題無いと思ったのだ。
「一人で大丈夫よ。地上を行く訳ではないのだし、危険なことなんかないわ」
「またそうやって油断する。俺も行くぞ。ヴァイス、いいよな?」
ヴァイスはコクリと頷いた。
「なあ、雨を降らす事ばかり考えなくても良いんじゃないのか? 村の井戸が枯れたわけじゃなし、飲み水の心配はない。お前には歌で植物を育てる力があるんだ。豊作を願って歌いながら移動すれば、ただ雨を降らすより確実に作物は育つだろ?」
「そう……よね。そうだったわ。私には確実に役に立つ能力があったじゃない。ありがとう、シン」
シンの的確なアドバイスのおかげで、私は妙なプレッシャーから解放された。
そして翌日の早朝、一応変装のためだと言って、シンには私が趣味で作った魔法戦士の衣装を着せた。騎士の制服にも似たデザインで、風にたなびく純白のマントがついたものだ。
かなり前にシンに合わせて作ったので、サイズがピッタリなのは言うまでもない。それには羽の付いたつば広の帽子がセットだけれど、風に飛ばされるからとやんわり断られてしまった。
私の方は、いつもの旅のヒーラーの衣装を身に着けた。
「じゃ、行ってくるわね、チヨ、タキ。宿泊のお客様への朝食は二人にお願いするわ」
「うん、僕とチヨちゃんで出来るから、大丈夫だよ。兄さん、ラナさん、無事に帰ってきてね」
「シン、ラナさんをしっかり抱きしめて落とさないでくださいよ。くふふ、良い口実ですねぇ……」
「あ? なんか言ったか? チヨ」
タキは口元を隠して笑いをこらえ、チヨはシンの手の届かない距離までササっと逃げた。
「シン、ヴァイスの準備が出来たわ。行きましょう」
「おう」
私はシンと共にヴァイスの背に乗り、異世界らしく瞬間移動をするものと思って余裕で構えていた。まさか、裏庭から目にもとまらぬ速さで空へ急上昇するなんて思いもせずに。




