122・同行した巫女からの手紙
ランチタイム終了間際という時に、イリナ様が慌てた様子で食堂にやってきた。
私は軽く息を切らす彼女に厨房から声をかけ、今空いたばかりのカウンター席に座るよう促して、とりあえず冷たい水を一杯手渡した。
シンとタキはもちろん、お客様まで何事かと心配そうに彼女を見ている。
「イリナ様、そんなに慌てて、どうなさったのですか?」
渡した水を一気に飲み干したイリナ様は、コン、と勢いよくカウンターテーブルの上にグラスを置くと、困惑した表情を浮かべて私を見た。そして他の人に会話が聞こえないよう声を潜め、小声で話し始めた。
「……お水をありがとうございます。ラナさん、実は……わたくしの代理で今回の儀式に同行している巫女から、先ほど手紙の返事が届いたのです」
「え? まさか……また誰かが餌食に……?」
イリナ様の表情から、雨乞いの儀式が成功せずにサンドラが苛立ち、巫女の誰かを標的にしたのだと思った私は、カウンターの上に身を乗り上げるようにしてイリナ様に近づいた。
するとイリナ様は、おそらく鳥の足にくくりつけて届けられたのだろう、3センチほどの長さの細長い筒の中から、クルクルと巻かれた小さな紙を取り出し、それを開いて私に見せてくれた。
「いえ、それが……これを見てください。文字が小さくて読みにくいかもしれませんが、一度目の儀式は無事成功したと書かれています」
私はイリナ様の手からその小さな手紙を受け取って、書かれている内容を読ませてもらった。
――聖女様はその役目を立派に果たされました。次の地へ向かいます。心配ありません、あの方は本物です。安心して帰りを待っていてください。――
「聖女の事で注意すべき事を書いた手紙を、儀式の行われる地域へ荷を運ぶ人に頼んで届けていただいたのです。ラナさん、彼女は本物なのでしょうか? わたくしの経験上、運良く天候が変わっただけだと思うのです……」
「本物ではありますけど、何の力も無いはずです。運が良かったのでしょう……でもひとまず雨が降って良かったですね」
「はい。しかし、次も上手くいくという保証はありません。上手くいった後の失敗の方が怖いです」
「……彼女が運を使い果たしていなければ良いのですけど」
初めて行った儀式が成功して、今頃さぞかし舞い上がっている事だろう。元から持つ魂の徳の高さが、運を引き寄せているとしか思えない。
次の儀式でどれだけ頑張っても成果が出ないと分かれば、その時は誰かのせいにして相手を責め立てるだろう。
「オーナー、話をするならここはもう良いから、奥の部屋にでも行ったらどうだ?」
カウンター越しにコソコソと会話する私たちを見かねて、シンが声をかけてきた。見ればタキも頷いている。あと十分もしないでランチタイムは終了で、私のする事は、後片付け以外もう無いのだ。
店内に残るお客様方も食事を済ませ、会計をするためにチヨの居るフロントへ流れていた。
「シン、タキ、じゃあ、あとはお願いね」
「おう、片付けが終わったら俺達も部屋に行くから」
ニッと笑って片手を上げる二人に頷き返し、私はイリナ様と二人、奥の自室へ移動する事にした。
初めて私の部屋に入る人は、あまりの植物の多さに驚き、皆同じリアクションをする。それはイリナ様も例外ではなかった。
「……ここはまるで植物園のようですね。空気が澄んでいて、なんて気持ちの良い部屋なのかしら」
「ありがとうございます。妖精達の為に植物を置いているのです」
「妖精の……?」
「彼らは植物から生きる為の糧を得ていて、この宿には、目に見えない妖精がたくさん住みついているんですよ」
イリナ様は私の視線の先を見て、目を瞬いた。
「まあ! 本当! こんなにたくさんの妖精を一度に見たのは子供の頃以来だわ。妖精の宿木亭というのは、名前だけではなかったのですね」
「この宿を始めた初代オーナーが、妖精とお友達だったらしいです」
「素敵ですね。神殿にも昔はたくさんの妖精が飛び交っていたのですよ。しかしこの何年かは見なくなってしまいました……あ、そうそう。ラナさんが神殿に入るのは、ひと月後に決まったとお伝えしに来たのです」
「ひと月後ですか? その前に、引き継ぎなどもあると思っていたのですけど」
イリナ様はおっとりと微笑み、自分の胸に手を当てた。
「わたくし、このたび神殿に戻る事になりました。あなたのお陰で、もう療養の必要はありませんし、神殿には、わたくしにしか出来ない事もありますので」
「そうだったのですか。よかった……のですよね?」
神殿に戻る事が、はたしてイリナ様にとって良い事なのか判断出来ずに、私はおかしな質問を返した。それに対してイリナ様はクスクスと笑い、大きく頷いた。
「ええ、わたくしには戻ってやらねばならない事が山積みになっていますから。それで、あなたにはわたくしの新しい侍女として神殿に入っていただく事にしました」
「え? 聖女の世話係ではなく、イリナ様の侍女ですか?」
「あなたは浄化さえ済めば、もう神殿に残る意味は無いのです。聖女の世話係に収まれば、すんなり辞める事は難しくなると思います。なので、わたくしと一緒に神殿に入り、浄化が済み次第去っていただきます」
「でも、それだと聖女の居室に入れないのでは?」
「その場所は、これからはわたくしの管轄に戻ります。あなたを手伝いに行かせるなり、なにかしらの理由を付けて部屋に行かせる事は簡単です」
イリナ様はサンドラに追い出されたのではなく、病気療養の為に神殿を出た事になっているので、健康を取り戻した今は、戻って本来の務めを果たさねばならないらしい。
「わかりました。お気遣いいただきありがとうございます」
「ふふ、おかしな方ですね。こちらが助けていただく立場なのですから、当然ではありませんか。お礼を申し上げるのは、わたくしの方です」
この後、食堂の片付けを済ませたシンとタキも合流し、イリナ様は私に話した内容を二人にも伝えてくれたのだった。




