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121・渡りに船とはまさにこの事

「あ! あのー、ラナさん……」


 私が着替えをする為に部屋へ戻ろうとすると、チヨが申し訳なさそうにそれを引き止めた。


「どうしたの? チヨ?」

「えっと、ちょっと相談したい事があるんですけど……」

 

 珍しく口ごもるチヨの態度が気になり、私はその先を促した。

 そんなに言いにくい事なのだろうかと、ちょっと不安になる。  

 

「うん、相談って?」

「あ、着替えてからでいいです。その格好のラナさんだと、なんだか調子が狂うので……」

「……じゃあ、ちょっと待っててね。すぐに着替えてくるから」


 私は急いで自分の部屋に戻り、いつもの格好に着替えてメイクも直し、チヨの待つ食堂に向かった。

 すると、カウンター席に座って待っていたチヨが、険しい表情で手紙を読んでいた。

 その手紙は、時代劇で見るような半紙を折りたたんだ状態のもので、チラリと後ろから覗いて見ても、達筆すぎて何が書かれているのかサッパリわからなかった。


「ご両親からのお手紙?」


 私の問いかけに反応し、チヨは振り向いてコクリと頷いた。


「それで、改まって私に相談って、なあに?」

「……実は、あのー……、私の実家が料理屋を始めるらしいんです。それでですね、料理人をここへ修行に出したいっていう父からの手紙を、これとは別に少し前に受け取ってまして……」

「私のレシピを教わりたいってこと?」

「はい……駄目ですよね?」

「別に構わないけど」

「やっぱり駄目ですよね、すぐ断りの手紙を出しま……ええーっ? 良いんですか?」


 チヨは私に断られると思っていたようで、何の躊躇いもなくあっさり承諾された事に驚き、私の顔を二度見した。

 彼女は和の国から食材を仕入れる際、仕入れ値の件で実家にはかなり無理なお願いをしている手前、父親の頼みを断る事も出来ず、私にも遠慮して言いだせないまま、今回、手代の佐吉さんが直接宿まで返事を聞きに来てしまったのだ。

 今日は出掛けずに部屋に居たのだから、私を呼べばすぐに解決したというのに、チヨは一人でどうするつもりだったのか。

 そういえば二人でおにぎり屋を始めたばかりの頃、私に無断でツナマヨのレシピを高額で売るというルール違反を犯していたチヨは、割と最近までそれが悪い事だと知らずに、何かの時に自慢げに話してシンに相当怒られていた。

 私としては、そのお陰でこの宿の購入資金が賄えたので、特に文句は無かったのだけど。

 それにツナもマヨネーズも前世では珍しくも何ともないものだったし、むしろ高く買ってもらえてラッキーくらいに思っていた。

 料理人にとって、料理のレシピがいかに大事な商売道具であるかを知ったチヨは、実家の頼みとはいえ、前回の失敗もあって私には伝えにくかったのだろう。


「良いわよ。その代わり、厨房が狭いから受け入れは一度に二人までにしてね。あと、うちでは寝泊まりする場所の確保は出来ないわ」

「ありがとうございます! 宿泊場所は心配ありません。それに、こっちへ来る人は料理の基礎がしっかり身に付いているので、どんどん仕事を覚えさせてラナさんは楽をしてください」

「ふふっ、人にものを教えるのは決して楽ではないわよ? でも、チヨの家にはとてもお世話になっているし、恩返しをする良い機会だわ」


 チヨは何度も私に頭を下げ、感謝の気持ちを全身で表していた。 

 改まって相談したい事があるなんて言うから、何事かと思ったわ。ここを辞めたいと言われてしまうかと、一瞬緊張してしまったじゃない。


「いつから始めるのか、決まったら教えてね。シンとタキにも話さなくてはならないし」

「はい、よろしくお願いします。それでですね、レシピの使用料は売り上げの一割で話をつけたいと思ってるんですけど、どうですか?」

「え? お金を取るの?」


 その辺りの知識は今の私はもちろん、前世の私にも無い。家庭料理のレシピでお金をもらってもいいのだろうか。

 作って提供する分には材料費や手間もかかるので当然お金をもらうけれど、レシピだけとなると、なんだか少し気が咎める。 


「もちろんですよー。取れるところからはしっかり取ります」

「……そこはチヨにお任せするわ。将来の為にも、お金は必要だから」

「将来ですか?」

「ええ、将来温泉宿を開けたらいいなって思っているの。人を癒すっていう私の力が、有効活用出来そうでしょ?」

「いいですね! 温泉! でもそうしたら、ここはどうするんです?」


 出来れば手放したくはないけれど、ここを誰かに任せるとしたら、チヨしか居ないと思っている。でもそうすると、チヨとは離れ離れになってしまう。悩ましいところだ。


「まだ決めてないわ。だって、実現出来るかどうかもわからないもの」

「実現しましょう! ここは誰かに任せればいいんですよ。よーし、なんだかワクワクしますね! がんばって資金を貯めますよー」

「おー!」


 拳を振り上げて元気に宣言するチヨにつられて、私まで腕を振り上げていた。そしてクスクスと笑い合い、夢物語のような未来の話をチヨと二人で語り合った。


 そして翌日の朝、和の国に戻る前にもう一度佐吉さんが宿に現れたので、チヨが先に説明を済ませ、私も直接話をする事にした。

 私が快く引き受けたとチヨから聞いた佐吉さんは、旦那様に良い報告が出来ると言って、とても喜んでいた。


「おはようございます。はじめまして、女将のラナと申します」

「大谷屋、手代の佐吉と申します。今回は、私どもの無理な頼みを聞き届けていただき、ありがとうございます」

「こちらこそ、いつもお世話になっております。それで、料理人の方はいつ頃いらっしゃるのですか?」

「実は、料理人はすでにこの国に入っておりまして……」


 佐吉さんの話では、どんな料理を出しているのか一度試しに食べさせてみるつもりで、今回の船に乗せてきたという。

 そしてもしも話が上手くまとまり、すぐ弟子にしてもらえる事になった時の為にと、料理人達は身の周りの物を持ってきているというのだ。


「でしたら早い方が良いですね。今日のうちに他の料理人達に話をするので、明日からでも構いませんか?」

「それは願ってもない話です」

「こちらこそ、今回の話は渡りに船だったのです。近々、私が別の仕事で宿を留守にするもので、厨房が人手不足になる事を案じていた矢先のお話でしたから」

「そうでしたか。でしたら、女将が不在の間はうちの者を遠慮なく使ってください」


 佐吉さんとの話し合いはスムーズに進み、私は心配事がひとつ減った。

 厨房の事はシンとタキの二人だけでもなんとか回せるけれど、どちらかが体調を崩したりしたときに困るだろうと思っていたのだ。

 私が不在という事は、私の作った料理を食べて一日の疲れをリセット出来なくなってしまうという事。それに一番忙しいチヨの補佐を、ある程度フロント業務もこなせるタキに頼めないかとも考えていた。

 話し合いの中で、今後困った時には大谷屋から人材を回してもらえるよう交渉し、チヨの言っていた、売り上げの一割をレシピの使用料として頂くという事も含めて話はまとまった。

 それから少しして出勤してきたシンとタキの二人に、佐吉さんがこの国の言葉で流暢に説明すると、シンとタキは驚きつつも、気持ちよく引き受けてくれた。


「そういう事に決まったから、シン、タキ、明日からよろしくお願いね」

「おう、任せとけ」

「うん、チヨちゃんの事も心配しなくていいよ。僕が助けるから。ラナさんはいつから神殿に行くの?」

「その説明を聞きに、あとでイリナ様のところに行ってくるわ。本格的に仕事が始まるのは、多分まだずっと先になると思う。その間に、弟子として来る人達に料理を教えてしまうつもりよ」




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