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119おまけ・ウィルフレッドは鬼教官

「ゼェ、ゼェ……剣の修行……するんじゃっ、なかったのか!? 何でこんな……意味あんのかよ……!」


 ウィルフレッドに剣の稽古をつけてもらうはずが、シンは一人、息を切らしてグラウンドを走っていた。

 場内のランニングコースは一周が約一キロメートル。

 課せられたノルマは五周で、走り始めてから三十分近くが経過した。

 同時にスタートしたウィルフレッドはペースが速く、とっくに完走して今は涼しい顔で念入りにストレッチをしている。

 ラストスパートに入ったシンの視界に、素振りや組み手をする騎士達の姿と、リアムの指導を受けるタキの姿が映る。

 シンはてっきり、すぐにあの中に加わるものと思っていた。なのに魔法訓練の後、ウィルフレッドはシンに軽いストレッチをさせ、有無を言わさずここを五周走れと命じたのだった。

 

「ゼェ、ゼェ……五周……終わった」

「ずいぶん息が上がっているな。普段どんな鍛え方をしている?」


 呆れたように言われ、シンは言葉に詰まる。

 体力と足の速さには自信があった。

 ただ、持久走はもう何年もしていない。

 厨房での仕事は肉体労働と言っても走る事が無いし、職場は家から徒歩数分の場所にある。

 子どもの頃はタキや友達と何時間でも走り回って遊んだものだが、両親が死んでからは自分の為に何かをする時間など無いに等しい。

 むしろそんな暇があるなら少しでも睡眠時間を確保したかった。

 ウィルフレッドは誰もが自分と同じように日々体を鍛えていると思っているのだろう。実際、働く男達は筋肉隆々な者ばかりだ。誤解されても仕方がない。

 シンは呼吸を整えてウィルフレッドに答える。

 

「すみません、これから鍛えます」


 スタミナが足りないのには明確な理由はあっても、あえて言い訳はしなかった。

 ウィルフレッドは厳しい指導をすると言いつつ手加減するつもりでいたが、潔いシンの態度に好印象を受け、本気で育てたくなった。

 

「では……今日は五周で勘弁したが、次からは十周、訓練開始前に今のペースで走り切れ」

「十周!?」

「頑張れるだろう、愛する女性(ひと)を護れる男になりたいなら」


 ウィルフレッドはシンに背を向けて歩き出し、揶揄うでもなくどこか真面目なトーンで言った。


「やっぱ聞いてたのか……。頼むから忘れてください」 

「別に恥ずかしがる事ではない。俺にも同じような経験がある」

「へえ、殿下にも護りたい人が――」

 

 シンは言葉を呑む。

 ラフに会話しているが、王太子のプライベートをこんな風に聞いていい訳がない。

 しかし、シンを同志のように感じたウィルフレッドは自ら心のうちを語りだした。


「子どもの頃、数日だけ婚約者がいた。だが、俺が弱すぎて彼女の人生から消える事にしたんだ。護れるだけの権力が無かった」


 情勢に疎いシンでも、兄を差し置いて第二王子が王太子だった事は知っている。

 ラナが追放された一件でウィルフレッドが王太子に繰り上がった事も。


「王太子に就任した時、すぐ迎えに行こうとしたが、彼女はすでに手の届かない所にいた」

「え……それ……亡くなってたとか、そういう……?」 

「ハハハ! 安心しろ、王都のどこかで幸せに暮らしているそうだ。せめて幸せな姿を一目見たかったんだがな……俺は彼女の家族に嫌われているから、それも叶わない」

「見るのもダメって、そんなひどい別れ方したのか……。まあ、幸せに暮らしてるなら放っておくべきだろうな」

「お前が羨ましい、すぐ近くで愛する女性(ひと)を護れるんだから。決して手離すなよ」

「俺はあいつが嫌がらない限り絶対に離れたりしません。俺以外の誰かを好きになったとしても」

「かっこいいな」

「ハハッ、俺達何の話してんのかな」

「リアム以外でこんな話をしたのは初めてだ。不思議な男だな」

「そっちこそ。タキにだって本心見せた事ないのに、何でか喋っちまった」

「ああ、俺もだ」


 そして剣の修練場へと場所を移すと、リアムがやって来た。


「シン、これを使え」


 渡されたのは練習用の木剣。

 騎士達が持ち歩いているロングソードを模した物だ。

 シンは剣のグリップを確かめるように、片手で軽く一振りした。

 ヒュンッと空を切る音が鳴る。


「ところでシン、剣を握った経験は?」


 リアムが尋ねる。


「あります。子どもの頃、たまに父の組手の相手をした程度だけど」

「どうりで剣を振る姿が堂にいっていると思った。お父上は騎士か兵士だったのか?」

「いえ、騎士だったのは祖父です。祖父に鍛えられた父が俺にも剣の扱い方を教えてくれました。って言っても俺は遊びだと思ってやってたんで、剣術と呼べるかどうか」


 これを聞いたウィルフレッドは不敵に笑った。


「そうか、ならば教えるより実践だな。リアム、今日は俺がシンの相手をする」

「えっ……? 初日からそれはさすがに……まずは私が基礎を。でないと彼が怪我をしますよ」

「なに、本人が望んでいるんだ。そうだろう、シン?」


 ウィルフレッドの圧に、もう逃げられないと覚悟を決める。

 自ら厳しいとは言っていたが、シンは半分冗談だと思っていた。

 側近が本気で心配する稽古内容には少し不安を覚えるが、プロが初心者に怪我をさせる事などあるわけがない。

 シンは無理やりにでもそう信じる事にした。


「はい、お願いします」

「シン! 辞退した方が良い。今なら間に合う」

「大丈夫です。怪我をしたらタキが治してくれる約束なんで」

「馬鹿な、はじめから怪我する前提で来たのか。ハァ、どうなっても知らないぞ」


 シンは肩や首などを入念に回しながら、修練場の中央で待つウィルフレッドの前に進んだ。

 素振りをしていた騎士達は蜘蛛の子を散らすように中央を明け渡し、休憩がてら二人を取り囲んで見物を始めた。

 

「いきなり殿下の相手をするなんて……あいつ、無謀にも程があるだろう」

「彼の実力はわからないが、ポーションの用意をした方が良さそうだな」

「タキ、君の兄さんは大丈夫か? リアム様なら相手の力量に合わせてくれるが、殿下は……我々でもキツいぞ」

「うわー何か大変そう。兄さん頑張ってー! 怪我したら僕が治してあげるからね!」


 タキの声援を受けて、シンは無言で手を上げた。

 ここからは集中してやらなければ確実に怪我をする。

 剣を握ったウィルフレッドはすでに顔つきが変わり、好戦的な雰囲気を纏っているのだ。

 二人は剣先をクロスさせ、開始を待つ。


「シン、組手を始める。お前は俺の攻撃を受けるだけ、そっちからの攻撃は無しだ」

「はい!」

「ではいくぞ」


 号令とともに、ウィルフレッドの木剣が斜めに振り下ろされた。

 一撃が重い。

 最初はゆっくり探るように、それから徐々にスピードを上げて連打が始まった。

 シンは平然とした顔で受け流し、時にはよけてひたすらウィルフレッドの攻撃を受け続ける。

 鍔迫り合いはパワーで負けるとわかったシンは飛びのいて間合いを取り、またウィルフレッドの一方的な攻撃開始。これを何度も何度も繰り返した。

 開始十五分、騎士達はシンの実力に舌を巻いた。

 騎士団では組手は一回五分と決めて、数分休んでまた五分、それを何度も繰り返すというやり方で訓練している。

 それでも相当キツいのに、休みなしに十五分ウィルフレッドの剣を受け続けるのはシンの精神、肉体ともに相当負荷がかかっているだろう。

 周りの騎士達は二人の組手にすっかり見入っていた。

 防戦一方に見えて、そうでもない時もある。

 夢中になりすぎて、シンに攻撃のチャンスが訪れると「行け!」などと叫ぶ者まで現れる始末。

 ウィルフレッドも、シンが思いのほか自分についてくる為面白くなっていた。

 

「よくついてこられるな! シン!」

「いや、ギリギリ! 待て、これ、いつまで……」

「お前の剣を弾き飛ばすまで!」

「は? その前に、折れるって!」

「ならば折れるまでだ!」


 場内に硬い木がぶつかり合う音が延々鳴り響く。

 ウィルフレッドは楽しそうだが、受けるシンは必死である。

 最初の余裕は疾うに無く、ただ自分の体に剣が当たらないよう対応するだけだった。

 ――やべー、今何か切り替わっただろ……。

 シンはウィルフレッドの目の色が変わる瞬間に気づいた。

 そして集中力の増したウィルフレッドの剣は更にスピードを上げてシンに迫る。

 シンもいよいよスタミナが切れそうという時、激しく打ち合うシンとウィルフレッドの剣をリアムの剣がすさまじい速さで弾き飛ばした。


「そこまで!」


 途中からほぼ無呼吸状態だったシンはその場に倒れ、ゼーゼーと苦しそうに息をする。

 ウィルフレッドもさすがに息が上がっていた。


「ハァ、ハァ、ハァ……。シン、大丈夫か」


 シンはウィルフレッドに手を差し出されても、腕が痺れていて上がらない。

 返事をしようにも声すら出なかった。

 弾かれた木剣の持ち手部分に血が付いている。

 それに気づいたタキは、シンのもとへ駆け寄り手を取った。


「兄さん、手を見せて」


 この短時間でできた豆はすでにつぶれていて、シンの手のひらは皮が剥けて無残な状態だった。

 これでは包丁も握れない。


「うわ、酷い……でも、よく耐えたね。かっこ良かったよ、兄さん」

「ハッ……うるせ……」


 この状態でも悪態をつくシンに呆れながら、タキは兄の両手に治癒魔法をかけた。

 更に騎士の一人がシンに体力回復ポーションを飲ませる。


「……マズッ、確かに効くけどやばいなこれ」


 緑色の液体はメロンミルクのようで一見美味しそうに見えるが、口に入れた瞬間激甘で、鼻を抜ける臭いは草汁を濃縮したような青臭さ。しかも後味がめちゃくちゃ苦い。

 甘い果汁を煮詰めた物と苦みが強い薬草をブレンドしたような感じである。

 しかも体力は完全に回復する訳でなく、微妙にダルさが残る。


「オーナーのおにぎり、食わないで取っておけばよかった……せめて梅干しが食いたい」

「騎士団のポーション、そんなに美味しくなかったの?」

「最悪だ。舌が死ぬ」

「ハハッ、じゃあ次来る時は梅干しを瓶ごと持ってこようか」


 そんな話をしていると、ウィルフレッドに腕を掴まれシンは強制的に立たされた。


「ありがとうございます……?」

「ほら、始めるぞ」

 

 そう言ってスッと手渡される木剣。

 グリップの血は綺麗に拭われていた。

 

「え……休憩は?」

「治癒魔法とポーションで十分だ。タキ、ご苦労」

「お役に立てて良かったです」


 この後シンはウィルフレッドとの組手を計五回、騎士相手の模擬戦を全員分こなす事になる。

 

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