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110・素顔は晒せないのです

「あ、駄目……!」


 今の私はスッピンで、もしもフレッド様がウィルの代わりにパーティーなどに出席していたら、この顔を覚えているかもしれない。フルメイクを施している間は大丈夫だと思うけれど、さすがに素顔を見せれば、エレイン・ノリスだと気付かれてしまう可能性が高くなる。

 シンの方を見て、困った顔をしてフルフルと顔を横に振ると、シンは目を瞬いて、俺が出るのか? と自分を指差した。そして、室内が見えないように少しだけドアを開けて、フレッド様に対応してくれた。

 シンならきっと、状況を察してくれると期待した。もしかしたら、この役はタキの方が適任だったかもしれないけれど。


「お……シン、まだ居たのか……。女将は?」


 フレッド様はこんな時間にシンが私の部屋から出てくるとは思わなかったのか、その反応は少々微妙なものだった。厨房も食堂も明かりを落としているので、皆帰ったと思ったのだろう。

 私はササッと寝室に移動して、隠れて様子を見る事にした。その間に、クローゼットの中を物色して、顔を上手く隠せる物がないか探した。


「すいません、フレッド様。オーナーはもう寝る用意を済ませていて、人前に出られる格好じゃないんです。風呂上りで化粧もしていないから、恥ずかしくてフレッド様には顔を見せらんないって、今スゲー慌ててます。くくく……」

「ちょっと、シン! もう……そんな言い方をしたら、私の素顔がひどいみたいじゃないのっ」

「……シン、女将の素顔は……そんなに違うのか?」

「そうっすね」

「違います! あ、違いますってそういう意味じゃなくて……あの……」


 私はクローゼットの中のコスプレアイテムの中から、大きな丸眼鏡を取り出してかけ、物凄く怪しいけれど、念のために、掃除用に作ったマスクをつけた。


「ん? なんだ……寝室に隠れたのか? だったら、フレッド様を中に通して構わないよな?」

「どーぞ。フレッド様、お見せできる服装ではないので、声だけで失礼します」

「あ……ああ」


 私は寝室のドアを少し開けてその後ろに隠れ、フレッド様に声をかけた。

 こんな態度、失礼なのは重々承知しているけれど、この姿を見せる訳にはいかず、眼鏡にマスクという怪しげな変装をして、チラリと居間の様子を覗き見た。

 すると、フレッド様が私の隠れている寝室のドアの方を見たので、慌てて顔を引っ込めた。


「フッ……俺はまったく気にならないが、普段化粧をしている女性は、素顔を見られるのを極端に嫌うからな。いや、シンとタキが居るなら、ちょうど良かった。二人と話がしたかったんだ」

「俺達に? あ、それなら、俺達もフレッド様に聞きたい事があって……」


 シンはタキの方を見て頷き、フレッド様に向き合った。


「ああ、何だ?」

「いえ、フレッド様からどうぞ。その前に座りませんか?」


 シンはフレッド様に先を譲り、椅子に座らないかと提案したが、フレッド様はスッと胸の辺りまで手を上げて、それを拒んだ。どうやら長居をする気はないらしい。


「……単刀直入に聞くが、シンとタキは、何かの戦闘訓練は受けているのか?」

「は? いや……俺達は何も……。俺の方は……まあ、それなりに喧嘩の経験くらいならありますが、タキは体が弱くて、子供の頃からほとんど寝たきりの生活だったんで、最近まで運動らしい運動もしていなかったくらいで……」


 思い掛けないフレッド様からの質問に、シンとタキは一瞬面食らった顔をしたけれど、すぐにその意味を理解したらしく、タキは席を立ち、シンの隣に移動して、フレッド様に真っ直ぐ向き合った。

 フレッド様は、この宿の用心棒としての二人の力量を知りたかったのだろう。

 そして今度は、タキが自分達の要望をフレッド様に伝えた。

 


「あの、フレッド様。今日みたいな事がまた起きてしまうかもしれないので、僕達、魔法の使い方を覚えたいんです。お忙しいのは重々承知の上で、お願いします。僕達二人に魔法の使い方を教えてくれませんか?」

「俺からも頼みます。俺達、魔力を持っていても指導者が居なくてまともに使う事もできず、今日みたいに魔法で攻撃なんてされたら、正直太刀打ちできるかわからないんです。フレッド様の時間のある時でいいので、お願いします」


 シンとタキは真剣にフレッド様に思いを伝えた。

 この申し出にフレッド様は驚いていたけれど、しばらく考えて、二人にとって破格の提案をしてくれた。


「そうだな……週末でよければ、ここから近い東門の外にある魔法訓練場を使わせてやろう。お前達も休みの日でなければ、時間は取れないだろう?」

「良いんですか? やったね、兄さん」

「……まさかそんなちゃんとした施設まで使わせてもらえるなんて考えてませんでした。っていうかその前に、俺達に魔力があるって知っても驚かないんですか?」

「いや、驚いたさ。だが、お前達が只者ではない事は前から感じていた。もしかして、魔力を持っていると知られたら、問答無用で兵士にされるとでも思っていたのか?」


 二人がそれに頷くと、フレッド様は笑い出した。


「はははっ、なるほど。そんなもの、ただの噂だ。自ら志願してきた者は採用するが、魔力を持った平民を無理矢理兵士にする事は、今の王は禁止している。だから心配するな。ただ、私兵として欲しがる貴族は居るかもしれない。それでも、お前達にそれを断る権利があると言う事を知っておくと良い」


 フレッド様は、私の知らない事まで良く知っていた。女性には、学校でもそのあたりの説明はされていないのだから、仕方が無いといえばそれまでだけれど。


「女将、聞いているか?」

「は、はい。なんでしょう?」

「これから、週末はシンとタキは俺が預かる。その間、ここに護衛を一人寄越すから、警備の心配はしなくて良い」

「そんな……護衛まで……」


 一般市民として生活する今の私に、護衛を付けるなんて大げさなのではないだろうか。

 私を狙った犯人はすでに捕まっているのだし、そう思って私からフレッド様の申し出をお断りしようとすると、シンはそれを止めた。


「オーナー、ここはフレッド様に甘えさせてもらおう。休日で客の出入りが少なくなるとはいえ、ここにチヨとお前だけってのは俺も心配だ」

「そうだね。僕も、兄さんに賛成だよ。それとも、護衛が居なくても自衛する手段があるって言える? ここは甘えさせてもらおうよ」

 

 タキがそう言うと、今までどこにいたのか、ヴァイスの声が聞こえてきた。


(ラナ様、今なら声が聞こえますか? 私がおります。昼間の襲撃も、難なく私が撃退できたのですが、その前にフレッドが倒してくれたので、出番はありませんでした。窓から逃げる前に話しかけたのですよ。どうやら、私の声が聞こえなかったようですね)

「ヴァイス? あなた、消えたと思っていたらずっと私の側に居たの?」


 私は小声でヴァイスに話しかけた。すると、私の体から白い煙のような物が抜け出て、それはライオンの形に姿を変えた。


(いざと言う時には、以前のようにラナ様のお体を借りて応戦するつもりでおりました。余程強い力の持ち主であれば別でしたが、あの程度の者であれば、簡単に倒せましたよ。人前で忽然と姿を消すよりは、実は武闘派だったと思われた方が、後の安全面を考えても、この地に残りやすかったでしょう)


 そう言えば、前にイリナ様に会いに教会へ行く時に、ヴァイスに言われた言葉を思い出した。

 ヴァイスは、私に何かあれば問答無用でその場から連れ去ると言っていた。どんな手段を使うのかまでは聞いていないけれど、神隠しのように忽然と姿を消し、私をどこか別の場所へ連れて行くと言う事なのだろう。

 人目につかない室内ならともかく、今日のように人の多い町中でそれをやられていたら、きっと大騒ぎになっていたに違いない。そうなれば、私は近所の人達から奇異の目で見られる事になり、ここには居づらくなってしまう。

 あの状況下でも、ヴァイスは冷静に判断して、私を思って行動してくれたのだ。


「ありがとう、そこまで考えてくれたのね」


 私がタキに返事をしないでいると、タキは寝室を覗きに来た。そしてヴァイスの姿を見て、「あ……」と声を漏らした。


「そっか。そうだったね。ごめん、ヴァイス、君の事を忘れてたよ」

 

 それからタキは私の顔を見て、盛大に噴出た。


「ブハッ、隠れているんだから、そこまでしなくても大丈夫だと……思うよ……」


 笑うのを我慢しながら話すタキの声は震えていて、今にも大笑いしそうだった。


「……念のためよ」

「うん。そこまで用心深いなら、護衛を一人置いてもらう事に反対するべきじゃないと思うな。しばらくの間だけさ。僕と兄さんが訓練を終えたら、そんなの必要なくなるんだし、良いよね?」

「……ええ……わかったわ。二人共、私の事なんか気にせずに、頑張ってね。応援するわ」

「ありがとう。女神の応援がもらえたんだし、きっとすぐに魔法を習得できると思うよ」


 その後、シンとタキはもっと話を詰めるためにフレッド様の部屋に移動し、チヨは私の部屋で寝ると言って枕を持ってきた。今晩、シンとタキはチヨの部屋に泊まる事にしたらしい。あの小さなシングルベッドで体の大きな二人が寝るのかと思うと、少し気の毒に感じた。




 翌朝私が起きた時には、一旦着替えに家に戻ったのか、シンとタキの姿はすでに無く、チヨは自分の部屋に戻っていた。いつも通りに朝食の準備を始めると、まだ全然早い時間だというのに、フレッド様が身支度を済ませて下りてきた。


「おはよう、女将。良く眠れたか?」

「おはようございます、フレッド様。ええ、私、意外と図太いので。ご心配には及びませんわ。あの……もうお出かけですか? まだご飯が炊けていないのですけど」

「いや……昨夜は話が出来なかったから……ちょっと話がしたくて」


 フレッド様はそう言ってカウンター席に座って頬杖をつき、朝食の仕度をテキパキとこなす私の動きをじっと目で追っていた。

 まずはお茶を出す為に火にかけたケトルからは、シュンシュンとお湯の沸く音がし始めた。

 私はお茶を入れる前にキリの良いところまで野菜を切ってしまおうと急ぎつつ、フレッド様の事が気になって、手を動かしたままチラリとカウンターの方を見た。

 

「あの……? そんなにジッと見られていると、なんだか落ち着かないのですけど……?」


 わざわざ早起きしてまで話がしたいと言うのだから、何か言いたい事があるのだと思って待っているのに、フレッド様からは何も言ってこない。

 仕方なく私の方から声をかけると、カウンター席に座るフレッド様は、ハッとして頬杖をつくのを止めた。


「おい、刃物を使いながら余所見するな……!」

「え? あ……っ」


 その瞬間、サクッと指を切っていた。

 私は咄嗟にその手を隠し、洗い場に移動した。こんな時、前世のような絆創膏があれば良いのにと思わずにいられない。


「切ったのか?」

「あ……いえ、大した事ありません。こんなの良くある事ですから」


 傷は思ったより深く、パックリと切れていた。私は傷口を水で洗い流し、とりあえず清潔な布で包んだ後、フレッド様にお茶を入れてお出しした。

 

「女将、切ったところを見せてくれ」

「本当に大した事無いですから、お気になさらず」


 とは言っても、傷口を包んだ布には血が滲み、隠し通せるものではなかった。フレッド様は立ち上がり、カウンター越しに手を伸ばして私をつかまえ、その手を離してはくれなかった。


「大した事無いと言うなら、見せられるだろう。そっちの手を出せ。そのままでは、水仕事ができないのではないか? おにぎりだって作れない」  

「おにぎりは、もうすぐチヨが来てくれると思いますから、大丈夫です。あ、おにぎりといえば、中に入れる具は何が良いですか?」


 私が話を変えようとすると、フレッド様は厳しい目で私を見つめた。


「話を逸らすな。切り傷を治すくらいの事を、大げさに考えなくて良い。ほら、早く治してしまったほうが後が楽だぞ? 朝食の準備はこれからだろう?」


 フレッド様の今の言葉に、なぜか私は、以前どこかで似たような事を言われたような気がした。

 それはいつ、誰に言われたのだっただろうか。


「だって……また私の為に治癒魔法を使うおつもりでしょう? これから大切なお仕事があるとわかっている方に、朝から体力を消耗させるわけには参りません。後でタキに頼んで治してもらいますから、大丈夫です」

「いいから、四の五の言わずに怪我をしたほうの手を出せ」


 フレッド様は強引に私の手を取って、あっという間に傷を治してしまった。彼は影武者だというのに、こんな所もウィルに似ているのかと驚いてしまった。

 私は食事する前に治癒魔法を使わせてしまったお詫びにと、朝食に甘い玉子焼きをサービスした。


「こんなご褒美があるなら、いつでも怪我を治してやる。それにしても不思議だな。女将の作った料理を口にすると、なぜか力が湧いてくる。ここに来る客は、皆そう言っていないか?」


 フレッド様は玉子焼きをとても喜び、珍しくおどけたように笑って、美味しそうにおにぎりを頬張った。

 

「ええ、よく言われます。でもきっと、そんなの気のせいですよ」




 その後チヨは、フレッド様をお見送りする時になって、タイミングを見計らったように部屋から出てきた。

 もしかして、私とフレッド様の会話を聞いていたのかしら? そう言えば、私と話がしたいと言っていたのに、フレッド様からは特にコレといった話題も無かったわね。私が怪我をしたせいで、何を話そうとしていたか忘れてしまったのかしら?


 私はふと、ウィルと再会したあの最悪なパーティーの日の事を思い出した。


『お前は……あいつの事よりも自分の心配をしたらどうだ? まったく、呆れる程のお人よしだな。それはそうと、何故今、話を逸らした? さては、まだ他にも怪我をしているな。素直に言え。俺が一緒に居るうちに治した方が後が楽だぞ?』


 そうだわ……フレッド様のさっきの言葉は、治癒魔法で足首を治してもらった後、ウィルが私に言った言葉とちょっと似ていたのね。影武者をしていると、普段の言動まで似てくるのかしら?

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