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108・ラナへの想い

「フレッド様、お待たせしました。から揚げ定食と、玉子焼きです」

「ありがとう。美味そうだ」


 料理を運んで来た女将は、テーブルの上に定食の載ったトレイを置くと、部屋の奥にある棚の下段から何かを取り出し、俺の隣の椅子を引いてその上に包みを置いた。


「忘れる前に、これをお返しておきますね」

「ん?」


 見ると、それは俺がうっかりあの場に忘れていった、石屋で買った保冷石の入った包みだった。


「ああ、そうだった。何か忘れていると思っていたんだ……。すまない女将、持ってきてくれたのだな。重かっただろう?」

「いいえ。シンが持ってくれましたから、大丈夫です」

「そうか……。あ、そうだ、俺宛にここへ荷物が届く事になっているのだ。重いから、外に置いたままにしておいてくれるか?」

「はい、外でよろしいのでしたら、構いません。では、私はもう少し仕事がありますので、一旦戻りますね。ごゆっくりどうぞ」


 女将はそれだけ言って、微笑みながら軽く会釈して部屋を出て行ってしまった。

 仕事がまだ残っているというのだから仕方の無い事だが、危ない目にあったこんな日に、働き過ぎではないかと心配になる。

 

 ああして気丈に振舞っているが、平気である訳がないな……。気が紛れるように、わざと忙しくしているように見える。


 俺は湯気の立つ味噌汁を一口飲んで、ホッと息をついた。

 ああ……ここの料理は、身も心も癒される。


 事情聴取の最後にジェラルドから聞いたあの余計な話のせいで、何とも言えずイライラして落ち着かなかった気持ちが、ここの空気と料理のお陰なのか、すぅっと穏やかに治まっていくのを感じた。

 

 あれはただの、ジェラルドの憶測だ。気にする事ではない。

 フレドリックが本当はラナを好いていたなんて、本当かどうかわからないじゃないか。いや……むしろ、婚約していたのだから、それで良いというのに……。俺は何をイラついたんだ?


 本人から聞いた訳でもないと言うし、第一そんな話は聞いた事がない。あいつは叔父上に薦められるままにラナと婚約したんだ。政略結婚だと割り切っていたに違いないのに、サンドラが現れる前までのあいつがまともだった理由が、ラナにつりあう男になろうと努力した結果だと?

 いい加減な話だと言いたいが、確かに俺が一年以上前にパーティーで見かけた二人は、それなりに上手くいっているように見えたし、フレドリックは王太子として申し分の無い男だと思っていた。

 付き合う女で良くも悪くもなるとは……情け無い。


 あー、クソ……もう終わった事だというのに、ラナの傍らに居るのが自分ではなく、弟だという現実に打ちのめされたあの日の感情が蘇ってきた……。

 俺はヒリヒリするような哀しい気持ちを押し殺し、女将の作った甘い玉子焼きを食べながら、ジェラルドの話を思い出していた。


「サンドラは何故そんなにエレインを嫌う? 死んでほしいと望むほど嫌う理由は無いだろう。まんまと公爵令嬢から王子を横取りしたくせに、それ以上何を求めているんだ?」


 俺の質問に、ジェラルドは不敵な微笑みを浮かべて答えた。


「サンドラがあの噂を広めるまでは、多分フレドリック殿下は、エレイン様の事がお好きでしたから。それが未だに気に入らないんですよ」

「あの噂?」

「あー、もう全部話しますけど、僕を含む下級貴族の取り巻き相手に、サンドラが言い出したんです。エレイン様とエヴァン様は絶対に深い関係だって。二人がアイコンタクトを取る様子を見て、その空気感でピンと来たと言っていました。まあ、僕がそれを誇張して他の人に話したんですけど……」

「ああ、知っている」

「あの頃、噂を耳にした殿下はサンドラの思惑以上の反応を見せました。僕が思うに、エレイン様の事を何とも思っていないなら、あんなに怒らないはずです。それに、フレドリック殿下はエレイン様がエヴァン様と仲がいい事を前から気に入らなかったのでしょうね。サンドラが入学してからは、あてつけのように彼女にちょっかいを出し始めて、エレイン様にヤキモチを焼かせようとしていたようですが……エレイン様はまったく気にも留めないといった風でした」


 ラナの方は、嫌々婚約を受け入れたと聞いている。当然だろうな。


「そんな中で僕の流した噂を耳にした殿下は、エレイン様への熱が一気に冷めたようでした。あの方は元々、エレイン様に好意がある事を周囲には隠していたようですし、表面的にはあまり変わっていないように見えても、殿下の中では正反対の感情に変わったのではないでしょうか。可愛さ余って憎さ百倍といいますか……それでも、女の目から見れば、まだ未練が残っているように見えたのでしょうね。僕は今でもたまにサンドラの愚痴を聞いてあげているのですが、殿下はエレイン様の悪口を言うくせに、ふとした時、切なそうに彼女の姿を目で追っている時があるのが気に入らないと言っていました」


 何だそれは? だとすれば、エヴァンの方を罰しないというのは何なんだ? 嫉妬している姿を他人に見せたくないとでも? 


「だったら、なぜエヴァンを側近に加えた? 憎い恋敵だぞ? おかしいだろう」

「あの噂のお陰でエヴァン様はエレイン様と極端に距離を置くようになりましたし、彼の真面目さを知って、自分の支配下に置いたのではないですか? まあ、これは僕の予想ですけど、自分の側近にしてしまえば、裏切らないだろうという打算もあったんじゃないかと」

「よく見てるな」

「はは……僕はイジメられっこで友達が居ないので、ずっと人間観察ばかりしてましたから。でも、サンドラが僕をからかう奴等に物申してくれたお陰で、環境は一変しました。彼女はそれは自分じゃないって謙遜してましたけど、そいつらと僕の事を話しているところを見て、確信しました。確かに我がままな性格かもしれないですけど、良いところもたくさん有るんですよ……」


 ジェラルドはサンドラに利用されていたのに、いじめから救ってくれた事を恩に感じているのか、こんな目に遭ってもまだ気持ちは離れないようだった。

 得意の人間観察も、サンドラに関しては、目が曇ってきちんと判断できなかったのだろう。

 

 こいつの話を聞く限りでは、フレドリックは全てが嘘だったと知れば、ラナへの想いも元通りか? 自分が彼女にした事を考えれば、もう追い掛け回したりなど出来ないだろうが……だが、あいつの事だ。そう楽観的にもなれないか。

 フレドリックもラナを探しているらしいしな。本人は謝罪を理由にしているが、ジェラルドの話を聞くと本音はどうか分かったものではない。

 しかし、少しずつ全貌が見えてきた。

 あいつがサンドラへの態度を急変させたのは、ラナに想いが残っていたからかもしれないという事か。エヴァンがサンドラの行動を調べていると報告を受けたが、婚約破棄を宣言するきっかけになった襲撃事件は、サンドラの自作自演だったと聞いている。

 あいつも勿論、その報告は受けているだろう。

 俺は何があろうとフレドリックを許す気は無いが、あいつ自身は、ラナに会えたらどう償うつもりでいるのだろうな。


 そして黙々と食事を済ませ、食器を厨房に持って行こうとしたところで、タイミングよく女将が戻って来た。


「フレッド様、お待たせしました。あ、片付けは私がしますから、座っていてください。今、お茶を入れますね」

「待て、女将は夕食を済ませたのか?」

「いいえ、これからです。どうしてですか?」

「……なんだ? 思ったより、全然元気だな」


 先ほどは空元気なだけかと思ったが、目を見てわかった。人前でどんなに上手く取り繕ったところで、目の輝きまでは演じる事はできない。女将の目は、キラキラと輝いていて、無理をしているようには見えなかった。

 弱そうに見えて、意外にタフなんだな。


「ふふ、心配して下さったのですか? 私なら大丈夫です。だって、フレッド様がしっかり守ってくださったのですもの。それに、地域の方達の温かさに触れて、気持ちがとても穏やかになりました。あんなにたくさんの方達が、私を励まそうと集まってくれたのですよ? 元気になるに決まっています」


 女将はそう言って屈託の無い笑顔を見せ、俺にお茶を出してくれた。俺は彼女の意外なほどの強さと、その弾けんばかりの笑顔に心を鷲づかみにされてしまった。


 彼女が貴族の娘だったら……。いや、そんな事を考えてどうする。

 彼女はこうして、自由に好きな事をしているからこそ輝いていられるんだ。


 お茶を用意し終わった女将は、トレイを持ってドアに向かい、ふと立ち止まってその場で振り返った。


「あの……食事をしたいのですけど、構いませんか? すぐに済ませてきます。私からの話を聞きにいらしたのですよね」

「ああ、もちろん、構わない。だったら俺は一旦部屋に戻るが……」

「いいえ、どうぞそのままで。すぐに戻りますから、お茶を飲んでいてください。どうせ私からは大した情報は得られませんけれど。あ……シンとタキも呼びましょうか?」 


 タキからの話は直接聞いていないが、シンに事情を聞いていた俺は、きちんと話を聞きなおそうとは考えてもいなかった。


「……そうだな。皆から話を聞くべきか。頼む」

「わかりました。では、二人を連れてきますね」


 女将がトレイを持って出て行った後、俺はこの部屋に彼女と二人きりではなくなる事にホッとしたのか、がっかりしたのか、その瞬間に一気にそれまでの緊張が解け、椅子の背もたれに背中を預けてダラリと脱力した。


「ハァ……馬鹿か……俺は……」


 こんな時に、変に意識なんかするからガラにも無く緊張するんだ。俺は遊びに来たんじゃない。事件の被害者から事情を聞きに来たんだろう。

 まったく、情け無いな。女将と居ると、なぜか調子が狂う。

 思いがけず見る事ができた、あんな笑顔一つでここまで動揺するなんて、俺はこの年になっても、恋愛に関しては子供の頃と大して変わらないじゃないか。

 認めたくはないが、俺は女将に惹かれ始めている。

 このまま密かに想うだけなら、許されるだろうか……。今思えば、俺のラナへの想いは、幼い頃の友情の延長のようなものだったのではないだろうか。いや、もしかしたら、独占欲に近かったかもしれない。

 離れていた十年という時間はあまりに長い。

 その間、人伝に聞いた彼女に関する話から、勝手に頭の中でラナという理想の女性を作り出して恋していただけなのではないだろうか。

 しかし今のこの気持ちは、異性に対するときめきに他ならない。

 フレドリックは、サンドラに対してこんな思いを抱いていたのか? 兄弟揃って、手の届かぬ相手に恋をするなど、本当に愚かとしか言いようが無いな。


 この後、十五分ほどで食事を済ませてきた三人は、俺からの質問にしっかり答えてくれた。

 女将から具体的な話を聞き、ジェラルドが来た時の状況も教えてもらうと、本人は案外ケロッとしているのに対し、男三人は彼女がどれだけ怖い思いをしたのかと、揃って暗く沈んでしまった。

 ジェラルドはラナの友人であるマリア・カルヴァーニの名を騙っていたらしいが、本人は忘れていたのか、取調べの中でその事には触れていなかった。

 あの男はラナが誰になら気を許すのか、しっかり把握していたようだ。


 マリア・カルヴァーニ伯爵令嬢か……あちらも、早急にどうにかしなくてはならないな。

 

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