鐘を鳴らして
失恋した。片思いをしていた他校の――塾の先輩に告白をして、振られたのだ。理由は明快、「ほんとごめん。俺、好きな人居るんだ」。何が、ほんと、なのだろう。先輩は、困り顔で、お前のことは本当にいいやつだと思ってる・とか。ごめんな・とか。そういうことばかり、言ってきて、言いつつ。わたしを拒絶した。
――もっと、こっぴどく振られたかった。
夜空の満点の星が眩しい。まるで、宝石をばらまいて水で洗ったようだ。わたしは塾帰り、遅くまでやっている行きつけの美容室で、背中まであった髪をばっさり切ってもらった。前から見るとボブっぽいが、後ろ髪はミディアム。一新するために、久々にトリートメントとマッサージもしてもらって、かなり出費が痛かったけれど。
――次、先輩に会えたら、「こんにちは」って。
笑顔で、言えるようにならなきゃいけないんだから。そう思いつつ、一人で美容院のあったデパートのなかをうろうろしている。午後九時か……。そろそろ帰るかな。髪もさっぱりしたし、あとから気づいたけれど、振られて泣きじゃくるほどの恋でも、なかったのだし。
可愛い雑貨屋さんを見て回ったり、馴染みである、お香屋さんの店主さんとお話した。「あらぁ、さっぱりしたわねぇ」「失恋したんですよー」そんなやりとりをできる軽快さが、今は少し、いとおしい。
「あれ、鞍田?」
――名前を呼ばれ、惚けた。振り返るとそこには、クラスメイトの上森が居た。
「上森……」
「髪切ったのか! わっかんなかった。さっぱりしたじゃん」
「あんたもこないだ、髪切ったら別人だったもんねー。こんばんは」
「あっはは。まーな。こんばんは」
他人行儀にあいさつをするも、わたしは歩いてくる上森を拒むようなことはしなかったし、苦笑して微笑みかけた。「上森、こんな遅くまでここで何してたの?」
「ああ、俺? 母さんの誕生日が今日だから、プレゼント買いにな」
「へぇ。親孝行できてますなぁ。でも、当日に買うなんて計画性がない……」
「うるせーな」
「はは。何買ったのよ?」
わたしは視線を上森から外し、彼の手を見るが、何も持っていないことにを目にする。もしかして まだ買ってないの、と問いかけると、やはりそうだった。「二時間近く、悩んでる」
「うちの母親ってさー、花は水替えるのめんどくさがるし、料理は好きだけどエプロンもしねーしで、なんかこう、サバッサバしてんだよ。だからいっそ食い物にしてやろうかとも思ってたんだけど……」
「へぇ。わたしんちもそうだよ、花とか父さんが買ってくると『お酒がいいわよお酒』とか言うタイプ」
「わかってくれるか! 何かいいもんあるかな?」
そうねえ、とわたしは、いつも考えるくせで髪をいじろうとして――。
――、
髪が、短くなっていることに気づき、手を少しビクつかせた。
「……鞍田?」
そうだ、もう髪はない。切ったんだ。あの人への想いも、あの人へささげた情も。
なんだかむなしくなるも、苦笑してごまかす。「なんでもない」
「わたしの家でね、父さんが結婚記念日で、稀有な回数で成功したプレゼントは」
「おう」
「保湿パック、とかね」
「パック?」
「顔にやる、パックだよ」わたしはそう言って、少し考えてから言う。「ロフトとかに売ってるやつ」
「あれならいいやつだし、手頃な値段だよ」
「へー……そういうの、喜ぶもんなのか?」
「女の人なら、ほとんどは喜ぶんじゃないかな」
「なるほどな。……あのさ、悪いけど選ぶの付き合ってくんねえ? 帰りは送るから。俺そういうの、よくわからなくて」
苦笑いする上森に、わたしは頷いた。今、家に帰ったところで、もしかしたら、あとから泣いてしまうかもしれないし。それに、上森はサバサバしていて、いいやつだ。クラスでもよく喋る。
ただ、オフで会う機会はなかったから、少し新鮮かも。「ロフトは六階だったね」
「行こうか」
「おう! サンキュー」
わたしは上森と並んで歩き、エレベーター乗り場に向かう。
*
鞍田が髪を切っていたのは、正直かなり驚いた。
失恋かな、と感じた。いつも髪を丁寧に梳かしていて、「大事な人が、長い髪の子が好きだから」と笑っていたからだ。
でも、それを切ったということは。そういうことなのではないかな、と。
「気分転換?」
「え?」
「や。髪」
エレベーターを待ってる間、そう問いかけた。
「まあ、そんなかんじ」
鞍田の黒々とした髪が、首元でせわしなく揺れる。ふんわりと輪郭を包むように……ブロー? だっけか。それを施されたそれは、とても包容力のある女を演出させた。後ろ髪は、マフラーでよく見えないが。
「ちょっとさっぱりしたくてね」
そう言って、鞍田は軽やかに笑った。それから問いかけてくる。「あんた、こないだ髪長めから短髪にしたじゃん?」
「どう? やっぱラク?」
「ああ。髪洗うのとか、すげえ楽になる」
「そっか。ここまで短くしたの、すんごい久々だから、お風呂が楽しみ。楽しみといえば、入浴剤買っちゃおうかな。ロフトって見てるだけで楽しいよね」
「温泉の素とか?」
「それもいいけど、ハーブの入浴剤もね」
エレベーターが来て、扉が開いた。俺と鞍田で乗り込むと、老婦人。おばあさんが、うしろから乗り込んでくる。
「何階で降りられます?」
「ああ、五階でお願いします」
「わかりました」
鞍田は笑顔でおばあさんに頷くと、よく磨かれた爪の先、指先で五階のボタン押す。やがて、他に乗り込んでくる人が居ないことを確認してから、扉を閉める。「ありがとうね」おばあさんはそう言って微笑んでいた。
「いいえ」
微笑み返す鞍田に――やはり、何か悲しみのようなものを感じる。
――鞍田は、クラスメイトで。少し、気になる存在でもあった。これといって、はっきりした恋とは言えないが、元気で、明るく、男勝りというわけではなく、やることなすことが男気あふれるもので、俺は鞍田を尊敬していた。
今こうしておばあさんに、流れるような呼びかけを紡ぎ、何階で降りるかという問いかけも。それに。
「あー、寒いですねぇ」
「今晩は雪が降るそうですよ。身も凍りそうです」
「そうですね。生姜が美味しく、役立つ季節ですよね」
「そうねぇ。厚揚げをこんがり焼いて、生姜を少し乗せて、たらりと醤油をかけたらどうかしら」
「もう、言わないでくださいよ。お腹鳴っちゃいます」
「うふふ」
こういう、年代を越えた人との会話を紡げることも。スゴイとおもう。
「上森のマフラー、あったかそうだよねー。手編み?」
話題を振られ、「母さんのな」と俺は灰色のかぎ網マフラーを少しつまんだ。
「若いって素敵ねぇ。お二人は、恋人同士とか?」
「「え」」
俺と鞍田は声をそろえて驚き、顔を見合せる。鞍田は、少し赤くなっていた。「ちがいます、クラスメイトです」俺の弁解に、おばあさんは笑った。お似合いだけどね。そう言われ、鞍田と目と目を合わせてそれから逸らしたところで、五階へ着く。
「素敵なお話を、どうもありがとう」
「いいえ。それでは」
「お気をつけて」
扉が閉まり、俺と鞍田の二人だけの空間になる。――沈黙していた。ただし、きつく、苦しいものではない。恥ずかしさ、というものも確かに入り混ざっていたが、俺たちは自然とクスクス笑っていた。
「恋人同士だってよ」
「ははっ」
「俺ら、そんなにお似合いか?」
「さぁね? ただ、上森とわたしじゃ釣り合わないわ」
「なんだそれ、イヤミか」「わたしが上森に相応しくないからって意味だよ」。俺の不満に鞍田は手をひらつかせて笑い、六階に着くと先に降りた。俺もそのあとを追う。
「さーて、ロフト見るぞー。閉店時間も近いし、成る丈早く、ね」
「おう」
少し愉快な気持ちで、鞍田と歩きだした。
*
「ローズは、どの時代からも愛されてきた香りだよ。カモミールは精神鎮静効果があるんだって。アーモンドは保湿効果抜群。お肌のかさかさに最高! レモンは、果汁に栄養があるんだ。リンデンは、発汗作用のあるブロッサムティーとしても有名だね」
上森とフェイスパック売り場でいろいろなものを選び、品定めしながら、説明をしていた。
「おっまえよく知ってんなー。どこで仕入れたその知識?」
関心したようすで上森が言うと、わたしは答える。「趣味」
「趣味?」
「ハーブティーとかが好きだから、それでいろいろ図鑑で調べたりねー」
「なるほど。百万の味方を得たようだぜ」
「上森もそういう言葉知ってんだ」
「んーだよ、馬鹿にすんなよ」
あっはは、と、わたしは笑って、目についたものたちを手にしていく。そして、「これなんかいいんじゃない?」。好きなパックを八つまで詰め込んで、二千円、という企画ものだ。
「ほー。二千円なら俺も出せるな」
「ラッピング代は確か、かからなかったと思うよ」
「んじゃそれにしよ。何がいいと思う?」
「そこは息子が選んであげなきゃ」苦笑し、そっとその場を立ち退く。
「わたしが選んだら、わたしからのプレゼントになっちゃうでしょ?」
「それもそうだな」
アリガトな、と上森に礼を言われ、わたしは手をひらつかせて「ぶらっとしてくる」と、入浴剤売り場へ向かう。
――良い香りだ。
石鹸とか、シャンプーとか、もちろんハーブとか。そういった様々なものたちの匂いが入り混ざり、入浴剤売り場周辺はとても心地が良い。立っているだけとか、息をしているだけとか、匂いを嗅ぐだけで幸せになれる。
“新作”と書かれた入浴剤を手に取り、匂いを嗅ぐ。ラズベリーの香りだ。甘やかなその匂いに、胸をしめつけられる。
――あの人のために、自分を磨いて、磨いて、磨こうと努力して。
それで、お気に入りのクナイプの入浴剤を入れた湯船に浸かり、半身浴をよくしたっけ。汗が出るたび、暇つぶしに読んでいた本がびよびよになって、焦ったけど。それもそれで、よかった。
――もう、しばらくは。
そういったことも、しなくなるのだろうけれど。そう思った瞬間。
――ふわ。
懐かしい、大好きな香りが鼻孔をくすぐった。なめらかで、鼻孔に通り、嗅ぐだけでおおきな幸せを手に入れられることのできる香り。やさしい香り。なんだっただろう? なんのにおいだっただろう? そう考えていたら、傍にメンズ物の香水コーナーがあり、それが。
――先輩の……。
香りだ。
急速に、不意に孤独を感じ、今日起きたことを何気なく脳内で回想すると、後ろ頭をクッションで殴られたような打撲感を味わった。――
ぶわ。涙が出てくる。『ほんとごめん。俺、好きな人居るんだ』あの声も。『お前のことは、いいやつだと、本当に思ってる』あの気遣いも。『つらくないか? 一応、その、なんていうか、振ったけど、送ろうか』。その優しさも、何もかも一番じゃない。わたしは、きっと、二番でもない。
うつむき、入浴剤を棚に戻し、涙がこぼれたので髪で隠そうと。隠そうと。――
「う……」
隠せない。
「うぁ……」
ないんだ。
「う……ぁあああ……」
切って、捨ててしまった。
「うぁああ! あぁあ……あああ!!」
わたしはしゃがみ込み、両手で顔を覆って号泣しだす。
この匂いが、わたしを泣かす。この匂いが、わたしを幸せにする。
この匂いが。この、長くない、髪が。――「鞍田!」
――しゃがみ込んで泣きだしていたが、見て見ぬふりをする客たちのなかで、唯一。上森が声をかけてきて、「どうした、大丈夫か」「具合悪いのか」「とりあえず、店を出よう」。そう、必死にわたしを起こして背中を撫でてくれた。
そう、ドツボだった。
家に帰って一人で泣いていたら、どうなっていたのだろう?
そして。上森が居ないで、心に溜まるもやもやを見て見ぬふりをし。店の中を徘徊していたら、わたしは。
どうなっていたのだろう。
*
「そうか……」
俺は鞍田を泣きやませ、駅前のロータリーのベンチに座っていた。どうやらやはりカンはドンピシャリで、鞍田は塾の先輩に失恋をしたらしい。
「好きだったんだな」
「……」
「大好きだったんだな。もう、無理しなくていい」
泣きたいなら、泣けばいいからだから。「強がるな」
「失恋したから髪を切らなきゃいけないとか、そういう決まりはない。切り落とす約束でもない。俺は、俺は、お前の今の髪型も似合うと思う。でも、お前が無理して切って、必死に気丈を振る舞って笑っているんだったら、そんな髪型は要らない。切らなければよかったって、はっきり言う」
「……でも……」
「また、伸ばせよ。」
何を言っているのか、自分でもよくわかっていないのかもしれない。でも、俺はするすると出てくる鞍田への言葉に、俺自身、驚いていた。
「お前が長い髪、ひとつ結びにしてたとき、好きだった。ポニーテールを靡かせて、さらりと気配りができて、クラスメイトの男女関係なく笑うお前の様子も、いじめられてるやつに『辛いなら、言え! どんな理由があれど、いじめるやつが、百パーセント悪い』って言ってんのも、見たよ。それで、そのあと、いじめてるやつを、相手が男たちにも関わらずゲンコツでのしてたのも、すげぇと思った。芯が、な……」
「あると思ったんだ」。だから。
「だから、恋に対しても真っ向から対峙して、まっすぐに気持ちを伝えたお前が、容易に思い描けんだよ。なぁ」
「……わたしは、そんな……」
「潔いんだ! でも、それが仇になることもある! もっと、もっと、」
鞍田の冷たい手を、自分の手で握りしめ、震える声で言う。「弱くなれ」
「 よわく、なれ。 」
――三年になって、この一年近く、何気なく、目で追っていたお前のことを。俺が、知らねぇわけないだろ。
「よわくなったら、わたしらしくない」
「らしさ、ってなんだよ。そんなん、どうでもいいじゃねーか」
「どうでもよくない! わたしは、わたしはッ……」
鞍田は俺の制服にしがみつき、ぼたぼたと涙を流し、うつむいた。
「あの人が、『笑顔の素敵で、髪がきれいな子が。いい』って言ったから……!」
それに、むくいたいだけなのだ、と。鞍田は言った。
――必死だ。
俺は視線を落とし、少し黙ったが。
「もう一度、言う。似合うよ」
「……」
「似合う。でも、伸ばしてくれ」
「……上森」
「本当、もう、何も言わなくていい。泣くなともいわない。好きにすればいい。でも、よわいお前のことを護りたい、守ってみたいと思うやつも居るってこと」
「……知っとけよ。」そう言って、俺は、母さんに買ったプレゼントの入った紙袋から、小さなラッピングをされた袋を。鞍田に差し出した。
「……なに?」
「家帰って、開けてみろ」
「ほら、けーるぞ」俺はそう言って、鞍田に小さな袋を握らせ、立ち上がる。
――強がりだ。どこまでも。そして、真摯だ。
俺は、振り返って、小袋を凝視していた鞍田をもう一度呼んだ。「けーるぞ、歌織。」
*
「えー、歌織、髪切ったの!?」
翌日、歌織はちゃんと学校へ登校した。泣き腫らした目は、少しまだごまかし切れていなかったが、それもまた一晩がんばって冷やしたつもりだ。歌織はうなずいて、「似合う?」と女友達に問いかける。
「似合うよー! イメチェン? なんか段入れておしゃれじゃない!」
「ありがと!」
「うんうん! そのピンも似合ってるね」
女友達はそう言って、歌織の髪についた花の形をしたピンを興味津津で見た。「ショートカットによく似合うっていうか」
「センスいいじゃん」
「だね」
「自分で言う?」
「まぁね」
歌織は苦笑し、まだ慣れないショートヘアを手櫛でかき、ヘアピンの中央に刻まれた水色のガラス玉を指の腹で触った。
それだけで。
――『こんにちは』も『ありがとう』も。なんでも、言える勇気が湧いてくる。
お守りのような働きをしてくれるのだから、大事なの。
「あ、よっす上森! お母さん喜んでた?」
歌織はいつもどおりに笑顔で上森に声をかける。上森は少し惚けていたが、ああ、と苦笑した。
「すんげぇ喜んでた。センスあるわね、ってよ。ありがとな」
ニカッと笑い、上森は白く並びの良い歯をちらつかせ、マフラーを外し、コートを脱ぐ。歌織はそれを淡く微笑み、見つめ、ピンを触った。
「ありがとう。その……、承吾」
その呼び名に、上森は驚いて目をぱちくりさせていたが。
「ああ。歌織。こちらこそ、ってやつだな」
苦笑し、上森は歌織のピンを見て満足げに微笑んだ。「俺のセンスもなかなかだ」
――失恋は、淡く、次の恋のスタートを呼び寄せた。
先ず、ここまで読んでくださって有難う御座いました。
弱い自分がらしくないと嫌う鞍田に、「よわくなれ」と伝える上森。
これを最初に書いた当初はあまり深く考えないで書いたんですが、心底辛い人に「頑張れ」と言っても、なかなか伝わらないと思うんですね。
ある意味、本当に筆者にとっては救いの言葉だったりします。
ご感想、ご指摘、お待ちしております!
(PS,この作品は、二次創作で夢小説を書いていた際のものをリメイクして創作サイトに置いていたものです。内容が見かけたことある!と、思っても、「アストロゲーション」と言えば古参の方は伝わるでしょうか。とにかく、自作で「創作のほうに向いているような……」と思い新たにリメイクして投稿させて頂きましたので、そう思ってもお気になさらないでくださいね^^)