健治郎、誤解をとく
まず俺は、命を落としてもおかしくない状況にあった。うん、これは間違いない。
そしてその原因は、財閥令嬢出雲鏡花にある。これも確定だ。
しかし緋影は言った。まるで俺が出雲鏡花に恋をしているかのように。
「鏡花さんの心を奪い取ってあげて下さい!」
………………………………。
なに言ってんだ、こいつ? 俺は命を落としかけたんだぞ? それも出雲鏡花のために。
そんな危険な女のために、何故恋をしなければならん?
幸い、頭に巨大なコブをこしらえた緋影が、モゾリと動いた。目を覚ましたようだ。そして辺りをキョロキョロと確認。ようやく我に返ったようだ。
「おかえり、緋影」
「ただいま帰還いたしました、お兄さま」
「で、緋影? 出雲鏡花さんが、何だって?」
「そうです、お兄さま! 例え身分違いの恋だとしても、緋影はお兄さまと鏡花さんの恋を、応援しています!」
「それは俺が、彼女に恋をしている………ということかな?」
「はい! どうやら鏡花さんも、お兄さまにキョーミシンシンのようです! お二人はソーシソーアイ、お月様も照れて雲に隠れる仲なんですから!」
思わずうなだれる。
そして指先で目頭をつまんだ。
俺の思いはただひとつ。
どうしてそうなったーーっ!
だがしかし、我が妹は我が苦悩を知らず。いらぬお節介を焼くのに忙しいようだ。
「お兄さま、鏡花さんにそれとなく、私から打診しておきましょうか?」
「なにを? どうやって?」
「そうですねぇ………まずは今日ぶつかってしまったことを、お兄さまが大変気になさってたと。御詫びを申し上げてから………」
「ふむふむ」
「つきましては、こちらのプリンをご馳走しますので、どうぞよしなにと、お近づきのきっかけとします」
なるほど、それは良い手かもしれない。
俺が出雲鏡花に気があるのならな!
しかし俺にはそんな気など、これっぽっちも無い! むしろ避けたい、殺されるからな!
ウソか本当かは分からないが、本物の忍者を従えてるような女だぞ?
なあ、緋影。お前は俺のことがキライなのか? キライなんだろ? はっきりそう言ってくれ、早く死んでしまえと!
「ですがこれだと、鏡花さんに言い寄ってきた有象無象と、大差がありませんねぇ? でもかまいません! 二人の気持ちは通じ合っているんですから、鏡花さんも悪い気はしないはずです!」
「ちょっと待ってもらえるかな、緋影さん?」
「なんでしょう、お兄さま?」
「鏡花さんが、何だって?」
妹は、花が咲くような笑顔をみせた。
「はい! お兄さまのこと、気にかけてらっしゃいますよ!」
緋影は間違えている。
俺が出雲鏡花に恋していると。
その間違いをおかした緋影が言っている。
出雲鏡花もまた、俺のことを気にしていると。
前提段階で事実を踏み違えている奴が、出雲鏡花も俺のことが好きなどと言っているのだ。
これは………俺の読みはハズレてないだろう。
緋影の見立ては、絶対に間違っている。出雲鏡花は俺のこと、気にも止めていないはずだ!
これは阻止しなくては! 絶対に阻止しなくてはならない!
あり得ない話ではあるが、万が一あの出雲鏡花と結ばれることになったら、俺の命がいくつあっても風前の大ピンチだ!
「ねぇ緋影?」
「はい、なんでしょうお兄さま?」
「鏡花さんが、俺のことを………好き?」
「はい! 間違いありません! 鏡花さん自ら殿方………つまりお兄さまに接触してゆくなんて、初めての出来事ですから!」
「つまり、本人の口から聞いた話ではない?」
「オムツをしていた頃からの付き合いですから、鏡花さんの気持ちなどお見通しです!」
緋影さんドボン!
つーかお前、出雲鏡花の好みのタイプさえ知らなかっただろ。そんなんで、「鏡花さんの気持ちなどお見通しです!」なんてホザかれても、信用なんてできる訳ないだろ?
ついでに言うならば緋影。
キミはそろそろ、自分がボケキャラだという自覚を持った方がいいぞ?
って、ちょっと待てよ?
「緋影? いまキミは、鏡花さんが自ら俺にアプローチしたと、そう言ったかい?」
「はい! お兄さまのことを話したら興味を持たれたようで。毎日毎日、それとなく訊いてくるんですよ、お兄さまのこと」
それは、あれだな。
いかに海軍の密命を帯びていようとも、俺が緋影に相応しくなければ、亡き者にしようというのだろうな。そのために探りを入れていたに違いない。
我が国をささえる、天宮。そしてそのタニマチである出雲。
「だけどね、緋影」
妹の目を真っ直ぐ見ながら、言葉に力を込めながら言う。
「鏡花さんにとって、俺から想いを寄せられることが、本当に迷惑ではないかな?」
「どういうことですの、お兄さま?」
俺だって、もう必死だ。思いつく言い訳は、なんでも口にする。
「鏡花さんはお兄さんが蹴散らさなければならないほど、引く手あまたなんだよね?」
「そりゃもう、私とは大違いなくらいです!」
妹よ、自分で言っていて悲しくならないか?
だがそこは気持ちを引き締めて。
「だったらそんな鏡花さんが、俺なんかに言い寄られても困るだろ?」
「そうなんですか?」
「そうなんです」
言い切った。ここは力業で押し切るしかない。
「いいかい、緋影。キミがお兄さんのことを気遣って、鏡花さんとくっつけたがっているのは分かる。だけど先方は、俺のことを気に入ったなんて、一言も言ってないだろ?」
「ですがお兄さま!」
人差し指で、桜貝のような唇をふさいだ。
「いいかい緋影。キミの気遣いはすごく嬉しい。だけど、俺と鏡花さんは相思相愛なんかじゃない。そんな二人は、幻でしかないんだ」
唇をとがらせて、緋影は黙り込んだ。
「鏡花さんにぶつかったのは、やはり俺の不注意。だからそのことだけ、彼女に謝罪してもらえるかな?」
ひどく納得いかなさそうな顔で、緋影はうなずいた。
よかった。
これで俺は窮地を脱することができた。
「よし、それじゃ出ようか?」
幼い給仕に代金を払い、俺たちは外に出た。
俺としては、大変に気分のよろしい午後だった。