令嬢の境遇
大矢健治郎視点
みなさんは珍獣というのを見たことがあるだろうか?
俺はあります。というか、いま見てます。珍獣の名は緋影と言います。
この珍獣、茶房で星を見つめるような目をしたかと思うと、野望に燃えるような眼差しを爛々と輝かせるなど。とにかく考えていることが分かりやすいのか分かりにくいのか、よくわからない生き物なのだ。
ただでさえ乙女という生き物、軍人という種族とか趣味思考がまったく違うため、理解に苦しむ生物ではある。
しかし俺とて、現在は軍人臭さを捨てることにつとめ、極力地方人として振る舞っているのだ。
だというのに乙女という生き物………いや緋影という個体は、いまだに奇っ怪な生態を披露してくれる。
「いかがかな、プリンのお味は?」
探りを入れてみる。拳闘試合でいうところの、ジャブだ。
「大変にすばらしい味わいです、お兄さま」
「そうか、それは良かった。緋影ならきっと気に入ると思ったよ」
プリンに舌鼓を打ちながらも、緋影の瞳は怪しい輝きを増してゆく。
出雲鏡花に関する情報を、提供してもらう代償としてのプリンだ。
もしかしたらその味わいを気に入りすぎて、再度たかるために、情報を小出しにしようなどとたくらんでいるのではないだろうか?
食後のカフェを楽しむふりをしながら、緋影の出方を待つ。
「さてお兄さま、鏡花さんのことですが」
そら来た。
「ぜひきかせておくれ」
「まず、鏡花さんにはお兄さまがいらっしゃいます」
いわゆる御曹司という奴か。将来はその兄上が財閥を継ぐのだろう。
「このお兄さまが鏡花さんのことを、目に入れても痛くない、とばかりに可愛がってらっしゃって。ここが最大の難所かと思われます」
なるほど、出雲鏡花に手を出すと、その兄上が黙っていないということか。それも、人一人を殺めてもかまわない、というほどに。
「それは大変なお兄さんだね。彼は現在、どうしてるのかな?」
「トウキョウで帝都大学に通ってらっしゃるそうで」
「さすが御曹司、インテリなんだな」
「インテリなんて言ってると、御本人とお会いしたときに驚きますよ?」
そうなのかいと問うと、緋影は鼻の穴を広げて語った。
「お兄さま、驚かれてはなりませんよ? 鏡花さんのお兄さま、身の丈六尺四寸(190cm以上)、目方は二十七貫目(100kg以上)もある巨人で、大学では………れ、れっすりんぐと、え、え、え、えめりけんふっとぼ~るをされてるといいます」
ふむ、レスリングとアメリカンフットボールをしているのか。あのお上品でお人形さんのような妹からは、想像もつかないような肉体派ということか。そんな男なら大好きな妹のためにとち狂って………って。
「おい、そんなスポーツマンが妹に近づく男どもの前に、立ちはだかるってのか?」
「さすがお兄さま、御明察♪ これまでもぱ~てぃ~で鏡花さんに言い寄る殿方を、片っ端からちぎっては投げちぎっては投げ!」
「いいのかい緋影、そんなことで」
「鏡花さんがおっしゃるには、言い寄ってらっしゃる方々は、わたくしとネンゴロになりたいのではなく、出雲家とネンゴロになりたいだけですのよ、オーッホッホッホッ。ということですから、特に問題は無いかと」
パーティーの席で大立ち回りを演じるような男か。それならば妹のために刺客を放つくらい、平然とするだろう。
「お兄さまはどうですか?」
「ん?」
「不埒な輩が私に言い寄って来たとき、お兄さまも蹴散らしてくださいますか?」
正直、軍人臭さを見せないためにも、あまり荒事は避けて通りたい。
もっとも、出雲兄が大学生ではなく陸軍の士官候補生とか、若い少尉だというなら話は別だ。士官学校仕込みの合気道が火を吹きよるぞ! ってなもんだ。手加減なんかしてやらないぞ、コンチキショーってところである。海軍は建軍以来、陸軍との仲は伝統的によろしくないのである。
まあ、ケンカ自慢は自慢にはならないが、若い少尉というのは古参の兵曹から、軽く見られがちなもの。多少元気が良いくらいでちょうど良い、という世界なのだ。
一般人から見て、頭がおかしいと思われても仕方ない。
で、船乗りとしては、『スマート』な部分だけを強調している、現在の我が身。
瞳をキラキラ輝かせている、緋影への返答はというと。
「俺は身の丈五尺七寸(170cm以上)しか無いからね。大立ち回りをするより、最初から緋影を危険な場所から、遠ざけるようにするかな?」
緋影は、「どんな奴でもやっつけてやるよ」という返答を期待していたのか、プウッと頬をふくらませる。
俺は笑って続けた。
「君子、危うきに近寄らずさ。無駄に緋影を危ない目に逢わせたくないからね」
「そうは申しますが、お兄さま。乙女というのは殿方の凛々しいお姿を、ときには夢想するものなんですよ? ………でも考えてもみれば、鏡花さんはその手の荒事は、好まないかも」
「なるほどねぇ、確かにあまり荒事は好まないような雰囲気だったかな?」
「鏡花さんの好みからいくと………あら? 鏡花さんって、殿方の好みなどは、あまり口にしないです………」
花の乙女。花の女学生としては、それは珍しい。というか話に聞くあの兄貴がいたら、おいそれと浮いた話もできないだろう。
少しだけ、彼女の身を不憫に思う。
「ですがお兄さま、鏡花さんの付き人というか、護衛の方。いずみさんなら、何か知ってるかもしれません!」
「いずみさん?」
付き人、護衛。
緋影は確かにそう言った。それにしては………。
「緋影、護衛の人と言っても、鏡花さんのそばには誰もいなかったよ?」
「姿を隠してたんですよ。いずみさんは忍者ですから」
緋影は胸を張った。相変わらず誇るべきものが存在しない、悲しい平野でしかなかった。
が、大事なのはそこではない。
忍者、という単語である。
「緋影? いま俺、なにか聞き違いをしたようだけど。いずみさんが、何だって?」
「はい、忍者です!」
ひとつ息をついて、窓の外をながめる。
気持ちを落ち着けるためだ。
「いずみさんはすごいんですよ、お兄さま。手裏剣を投げたり、高い壁をひょひょいと乗り越えたり!」
うん、確かに。
俺も芝居で見たことのある、軽業師のような忍者だ。
剣術を仕込まれ、合気道を習った身として言わせてもらえるなら、役に立つのか本当に? という疑問が湧いてくる。
「疑ってますね、お兄さま。ここだけの話ですが、陸軍のなんとかという何かの組織に、いずみさんの一族が関係しているとかなんとか………」
うん、雲を掴むような話だ。具体性も皆無だ。この話は聞かなかったこととして、処理してもかまわないな。
「まあ、本物の忍者を雇えるくらい、鏡花さんはお金持ちということです!」
確かに。
出雲財閥というのは、それくらい金持ちではある。だがそれでも、本物の忍者とは………。
いや待て。
よその執事が言っていたことを、思い出せ。
出雲に手を出せば、首が落ちるぞ。
そんなことを言っていた。
そんなのに狙われたのか、俺。
よく生きていたものだな、俺。
「お兄さま、鏡花さんには強力な兄上や護衛の忍者さんがついてますけど、気後れしてはいけません!」
そうは言うけどなぁ、緋影。
闘魂兄貴はとち狂わなければ、まあ良いとしても、問題は忍者だろ。
そんなのに狙われたら、本当に命がいくつあっても足りないぞ。
「お兄さま、障害が多ければ多いほど、恋の炎は燃え上がるものです!」
「いやこの場合、障害が多すぎだろって、おい!」
なんだその恋の炎って?
「どうぞ万難を蹴散らして、鏡花さんの心を奪い取ってあげて下さいませ! 緋影は世界を敵に回しても、お兄さまを応援しています!」
「ちょっとまて! つーかかなり待て!」
「あぁっ! お友達とお兄さまの恋を取り持つ、私ってば健気! でも挫けちゃダメ、緋影ガンバ!」
「待てっつってるだろ、妹」
一人盛り上がる、緋影に脳天チョップ。
………よし、動かなくなったな。
状況を整理してみるか。