緋影がゆく! 行かなくてもいいのに………
大矢健治郎視点
「お兄さま?」
自分の至らなさに嘆いていると、馴染みのある声がかかった。緋影だ。
可愛い妹の前で、だらしないところなど見せられない。スックと立ち直り、背筋をのばす。
「やあ緋影、今日は天気が良いから、お前のこと迎えに来たよ」
さあ見ろ、俺の爽やかな笑顔。そう、男というものはつらいものであって、腹で泣いていても顔では笑ってなければいけないのだ。
というか、やはり若々しい女学生を眺めるだけで、男というものは嫌なことなど忘れてしまう訳で。この現象を名付けるならば、「ビバ☆すけべ心」というところか。
「………お兄さま、ずいぶんとお元気そうで」
「あぁ、緋影の顔を見たら、いつでも元気になれるさ」
無理に笑ってみせるが、緋影の顔はどこか浮かない。
「どうしたんだい、緋影?」
「ううう………こんな時、妹はどのように接すれば良いものかと………」
なにを言ってるものやら?
「今の方は、出雲鏡花さんですよね?」
「う」
やはり、心をえぐられる。生々しい痛みを伴って、先ほどの失態があざやかに蘇った。
「あの方は私の、古くからのお友達です………」
緋影の友達?
古くからの?
お前は田舎者だと思ってたのに、ヨコハマに友達とは………どゆこと?
「気になりますか、お兄さま?」
「ああ、気になるね」
そりゃもう、ひとつ間違ってたら、俺の命が風前の灯火だったからな。
「では、差し障りのない部分だけ、お話ししますね」
なにやら重たい雰囲気を作り出し、緋影はポツポツと語り出す。………まあ、本人は雰囲気を作ってるんだろうけど、あまり似合ってはいない。なんたって緋影だし。
以下、緋影の語り。
実を申し上げますと私天宮緋影は、由緒ある家柄の娘でして。
もちろんヨコハマ、関東近辺の者ではありません。東北の山奥の旧家です。
どのような家柄かは、申し上げることができません。お父様………南野中将のお許しが必要で、軍や国政と関わってくる話なのです。
そんな御家ですから、天宮家には後援者が必要です。いわゆるタニマチ。いやな言葉ですが、米英語で言うところのすぽんさーです。
我が家のタニマチになってくださっているのが、鏡花さんの御家。財閥を構築した出雲家ということで、私と鏡花さんは旧知の仲。
というか幼なじみ。もう一丁盛って、ほぼ姉妹のような間柄なのです。
「………なるほど」
「ご理解いただけましたか?」
「いや、緋影ってやっぱり東北の山奥出身だったんだ」
「どこに感心してるんですか。というか、なぜ私が東北の山奥出身で、納得しているのでしょう? 納得のいく説明を要求します」
それを言うなら緋影、東北の山奥が似合わないと自分で思っている、その根拠を語ってもらいたい。………とは言えないな。さすがにそれでは、緋影に気の毒すぎる。
「お兄さま、緋影にあまり意地悪をすると、鏡花さんの略歴………ぷろふぃ~るを、教えてあげませんよ?」
「それは困るな、謝るから緋影。教えてくれないか、彼女のこと」
彼を知り己を知らば、百戦あやうからずだ。出雲鏡花のことは、少しでも耳に入れておきたい。
「それでしたらお兄さま、情報提供の報酬をいただかないと」
「パフェを要求されるのかな?」
「もちろんです! それだけの価値はある情報ですよ?」
人差し指を立てて、チッチッチッと横に振る。緋影も真似をして、チッチッチッと振り返してきた。なかなかに可愛らしい仕草だ。板についていないところが、絶妙である。
それはさておき。
「緋影、情報提供の報酬に、パフェはご馳走できないな」
「えぇえっ! どういうことですか、お兄さま!」
「緋影にはパフェじゃなく、最新のスイーツ、プリン・アラもっと、とか言うのを振る舞おうじゃないか」
「さすがお兄さま、デキル男ですね」
本当は同期の山本から教わったばかり。
ついでに言うなら、本日二杯目だ。しかしそこは育ち盛り。肉体がつねに養分を欲している。
有り体に言うと、すでに腹が減っていた。
坂をおりて家に向かう。その途中にも、甘味処はあった。
プリン・アラモード有りますと、貼り紙してある。三条茶房・葵と、暖簾に書かれていた。
のれんをくぐると、やはりこの店でも幼子が対応してくれた。席に案内される。
椅子に着いてプリン・アラモードを注文。ウェイトレスの娘が去ると、緋影がいきなり食いついてきた。
緋影視点。
鏡花さんの名前を出した途端、お兄さまは激しく反応なさいました。
これは意外な反応です!
鏡花さんがお兄さまを慕っているものとばかり思っていたのに、よもやお兄さまも鏡花さんを意識されていたとは。
これはそーしそーあい、漢字で書くと相思相愛と見るほかないでしょう。あまり縁の無い単語なので、ついひらがなで表記してしまいました。
その証拠に、鏡花さんのぷろふぃ~るで釣ってみたら………お兄さま、入れ食いです。妹としては恥ずかしいです。しかし気持ちはわかります。
そんな、プリン・あらもっとなどという未知の甘味までつけてくださって、そこまで鏡花さんに恋焦がれてらっしゃるのですか。
ですが気分は、少しモヤモヤ。
古くからのお友達をお兄さまに、お兄さまを古くからのお友達に、奪われてしまうようで。
天宮緋影、いま正に悲劇のヒロインです!
プリンはとても甘美ですが。
というかこのプリン・あらもっと。杏仁豆腐に似て杏仁豆腐にあらず。富士の山に似て寸足らず。
しかしてその滑らかすぎる舌触り。吸い付けば、まさにチュルン♪
そのくせ濃厚なコクがあって、乙女の心をとらえて離しません。
これは異国からの侵略者。きっとヤワラギ帝国の撫子の心を、根こそぎかっさらってゆくつもりなのでしょう。
おぉ、イケマセンイケマセン。プリンに心奪われるあまり、本題を失念するところでした。
幸いプリンの美味なるところに、緋影は悲劇のヒロインから立ち直ることができました!
ならば相思相愛のお兄さまと鏡花さん!
この緋影が全力をふりしぼり、くっつけてあげましょう!
お二人とも、お覚悟を!