財閥令嬢、あらわる
同期山本との語らいが終わり、プリンなにがしに満足して店を出る。
「なにやら大変な任務についとるようじゃが、大いに励めよ、大矢!」
「おう、貴様もな」
力を込めて送り出したいところだが、俺は病人設定。あまり力強い見送りはできない。
しかし山本は、気にするなという眼差しを注いでくれた。持つべき友はできる友だ。やはりその気遣いは嬉しい。
学校時代よりも広く、たくましくなった背中を見送り、やはり俺はひとりと感じた。
しかし妹となった緋影の、可憐な制服姿を思い出し、すぐに任務気分を取り戻す。
「今は緋影のためにある。それが俺の任務なんだ」
戦いの現場、軍艦に背をむけて、坂道を登った。緋影の通う女学校は、坂の上にあるからだ。たまには緋影を迎えに行ってやろう、と考えた。
春爛漫の坂道は、まさに花ざかり。道ゆく女性も着飾って、春ごころをくすぐってくれる。
そして坂の上には木造の女学校。そろそろ下校時刻らしい。緋影と同じような、振り袖に袴に編み上げブーツの女学生たちが、ちょっと気取って校門から出てくる。
やはり良いところの御令嬢が通っているのか、執事と思われる燕尾服の男たち。あるいは馬車が校門の脇に並んでいる。
さて、俺はどうするべきか?
少し伸ばした髪はポマードすらつけておらず、柔道の稽古着みたいな上着の下に長袖シャツ。縞の袴に下駄履きという、書生スタイル。とてもではないが、厳めしい顔の執事たちと並ぶことはできない。
かといって、建物の陰から女学生をながめていれば、それだけで憲兵が飛んできそうな気もする。
考え抜いた挙げ句、別に悪いことはしていないと開き直るしかないのが、なんとも自分の未熟なところ。
まあ、妹を迎えに来た病弱な兄ですから。悪いもなにも無いんだけどね。
しかし問題は、どこに立って緋影を待つかだ。どうやら執事たちの並び方にも、序列があるみたいだ。一番立派な馬車は校門のすぐそば。校門から離れてゆくごとに、等級が下がってゆく。そして末尾は日傘を手にした執事たち。
生まれた家の格式が、そのまま執事たちの等級にも反映しているみたいだ。校門脇の執事など、まるで近衛兵。まったく微動だにしない。末尾の執事はハンカチで、顔や襟元を拭っている。
おかしなことを考えるなら、執事同士の間でも階級がありそうな雰囲気だ。あちらは元帥、こちらは水雷長。あの人なんざ二等兵と、そんな目で執事の行列を眺めるのは、なかなか楽しいものがあった。
のんきに執事たちを眺めていると、袖に軽く触れるものがあった。
「ああっ! なんといたしましょうっ!」
ヨロヨロという擬音が、よく似合う。女学生が一人、俺のそばで儚く崩れてゆく。
とっさに抱き止めた。ここはもう、海軍仕込みの素早さ機敏さだ。まったく躊躇することがなかった。
抱き止めたとき、腕に重みを感じない。それほどまでに、軽いのだ。そして身体も細く薄っぺらかった。
女学生は栗色の髪をカチューシャでとめ、額をあらわにしていた。そしてこぼれ落ちそうなほど大きな瞳。瞳をふちどる長いまつ毛が印象的。フランチ製の人形のように、整った顔立ち。
すぐにわかった。
この娘は、大変なお嬢様だと。
女学生に負担をかけぬよう、そっと立ち上がらせる。
「おケガはありませんでしたか、お嬢さん」
女学生はポケッと俺を見詰めていた。が、呆けているというより、演技に見える。表情がどこか人工的、お人形さんのままだからだと思う。つまり、生気の乏しい顔をしていたからだ。
「あの………もしや、海軍の方ですの?」
いきなり何を言い出すのさ? 内心ギクリと肝を冷やすが、顔には出さないように………。
「だとすれば、どうしますか?」
こんな時は質問返しだ。人生のごまかしには、大変に有効な手である。
女学生は素直に答えてくれた。
「お友達に自慢しますわ! 若い海軍少尉に、危ういところを助けられましたの、と!」
「海軍少尉というのは、ずいぶんと人気なんだね」
「それはもう、真っ白な制服にスマートな身のこなし。女学生の間では人気第一位ですのよ?」
「しかし俺は、御覧の通りの一般人さ。乙女の期待に答えられなくて、申し訳ない」
女学生は上品に、クスクスと笑う。
「あら、残念ですわ。立派な体格とスマートな身のこなし。髪を伸ばしてらっしゃるから、もしやと思いましたのに」
どっきりマイハート、ふたたび。
っていうか、女学生というのはあなどれない。いや、女が男を値踏みする目の鋭さの、なんと恐ろしいことか。
「じゃあ、今から海軍に志願すれば、俺もすぐにモテるかな?」
「お顔立ちは………よろしい方なので、すぐにだと思いますわ」
「ありがとう、それでは俺はこれで」
「ごきげんよう」
上品なおじぎをひとつ。娘は背中をむけた。
それにしても、秘密施設に勤務しているのに、あやうく身元がバレそうになるとは。
女学生、恐るべし。
胸を撫でおろしていると、校門脇に並んでいた執事のひとりが、ツカツカと歩み寄って来た。
そして俺の耳元で一言ボソリ。
「よく生きていたな、お若いの」
なにをいきなり物騒なことを。
なんの話をしているのか? 問い直す前に、さらに一言。
「いまのお方は、出雲財閥の鏡花さまにあらせられるぞ。以後、気をつけるが良い。私たちも人が殺められる現場など、見たくないのでな」
そう言い残すとまた、ツカツカと元の場所へ。そして何事もなかったように、屹立不動の姿勢に戻る。
え? もしかして俺、いま命の危機だったの?
士官学校でずいぶんと危機管理を仕込まれたはずなのに、それがなんの役にも立っていないなんて。
くそ、未熟にもほどがある。
緋影視点
………………………………。
春は大好きな季節です。
花がほころび生命が芽吹き、新しい自分の始まりのような気がして、緋影は大好きです。
田舎を出てヨコハマへ来て、仮のお父様ができました。海軍の南野中将さんです。
そして先日、お兄さまもできました! 士官学校卒業したて。パリパリ新品の少尉さん、大矢健治郎さんです!
お兄さまはお勉強には厳しいですけど、一生懸命私の視点に立ってくださって、とても素敵なお兄さまです。
ですけど、お兄さまが私に良くしてくださるのは、海軍からの指示だから。
これはわがままに過ぎないのですが、乙女としてはそんなことで納得はいきません。思わず問い詰めてしまいました。
「お兄さまが私に優しくしてくださるのは、海軍の命令だからですか?」
「そんなことはないよ、緋影」
お兄さまは宣言してくださいました。
「お前が可愛らしくて仕方ないから、優しくしているんだ」
「嘘でしょ?」
「嘘でなんか、あるものか。誓いを立てよう」
そっと小指を差し出してくださいまして。
指切りゲンマン嘘ついたら針千本飲ます!
誓いは立てられました。
天宮緋影は、お兄さま大矢健治郎少尉のため、粉骨砕身努力することを誓います! ………米英語の習得をのぞいてですが。
お父様のお世話のため学校を休みがちな私ですが、「卒業くらいはしなくちゃね」とおっしゃるお父様に甘えて、最低限の通学だけはさせていただいてます。
本来出席日数を気にしなければならない立場ですが、お兄さまの教鞭の甲斐あって、どうにか成績上位を保っています。
お兄さま、さまさまですね。
そんな自慢のお兄さまですが、海軍少尉とは思えない、士官学校首席とは思えないポカをなさったりします。
まあ、お兄さまは海軍軍人である前に、南野家長男ということになってらっしゃいますが。
それはさておき、課業終了後、学舎をあとにした時のことです。
「ああっ! なんといたしましょうっ!」
ちょ………鏡花さん………どこにいらっしゃるのですか?
それは明らかに、私のお友達の声でした。
どこにいらっしゃるのかと思えば、校門の外。というか、お兄さまの腕の中。
なにをされているものやら、と思いましたが、おそらくお兄さまのことを品定めしているのかと。その証拠に、鏡花さんのお付きの方………お庭番のいずみさんは、木の枝に腰掛けて笑ってますから。
そういえば今日、お兄さまの話をしたばかり。鏡花さんはお兄さまのことをずいぶん気になった様子で、いわゆる「ものすごい食いつき方」をしてましたねぇ。
「当然ですわ、緋影さま。出雲はこの国のためにありますもの。ということは長い目で見れば、わたくしも緋影さまのためにある、ということになりますわ」
なんておっしゃってましたし。
確かに私たちは幼なじみ。小さな頃から、「緋影さま」、「鏡花さん」と呼びあってきましたが、それ以上の熱意を感じてしまいます。
もしや鏡花さん、お兄さまのことを………むむむ。これは妹として、どのように接すれば良いのでしょう?
とりあえず鏡花さんの大根芝居が終わったようですし、お兄さまに声をかけてみましょう。
奴が帰ってきました