船旅の2
右にヤワラギ帝国、左に大陸。水雷挺雷はヤワラギ海に帰ってきた。
艦内で緋影とともに、上陸の支度をしていた時だ。
ドアがノックされ、当番の少尉が入ってきた。
艦橋で艦長が呼んでいる、という。支度が済んだらいつでも上陸できるように、荷物を抱えて上がって来いとのことだ。
「………いよいよ上陸ですか、お兄さま」
「あぁ、そうだね。リョジュンへ帰って来たんだ」
秘密工作とバルチック艦隊を追う明石大佐。
その護衛のための渡仏だった。
それがバルチック艦隊の進路は、司令官の判断と結論が出る。
ツシマ海峡を通って来るか? 太平洋に回るのか? 結局は分からずじまい。一切が不明なのだ。
結果は出せなかった。
俺としては、残念な旅に終わりそうだ。
「お兄さま?」
緋影が不安そうに見上げてくる。
「どうされました? 気分でも優れないので?」
「いや、今回の渡欧は結果を残せなかったと思ってね。軍人としては、少々残念だ」
フフフと小さく、緋影は笑う。
「軍の活動で結果を残してばかりでは、そのうち世界から人間がいなくなってしまいますよ?」
世界から人間がいなくなる?
「それじゃあ戦争が無くなってしまって、俺は失業者だな。緋影、養ってくれるかい?」
「もちろん喜んで。そのかわりお兄さま、家事の一切はおまかせしますよ?」
「半分しか煮えてない御飯でよろしければ」
二人で艦橋に上がる。
艦橋と言っても、ガラスに囲まれ天井のある艦橋ではない。
吹きっさらしの露天艦橋だ。
やはり海風が、緋影の黒髪と袴を弄ぶ。
「おぉ、来たか二人とも」
艦長は笑顔で迎えてくれた。
「お呼びでしょうか?」
「うむ、実はオハンらに訊きたいことがあり申してな」
俺と緋影に、か。
「この海、ヤワラギ海は戦場になる。少尉、潮目をどう見る?」
俺の知る海とくらべれば………。
「かすかなうねりを帯びていて、艦隊行動には苦労がともなうかと」
「やはりそうか」
「単縦での行進でさえ、船脚に乱れが生じると思われます」
バルチック艦隊は、この海を知らない。
いや、極東艦隊は経験済みだから、情報は行っているかも知れない。
が、聞いただけの話と実際に経験するのとでは、雲泥の差があるのも事実だ。
「………ならばヤワラギ海を、バルチック艦隊は避けるかいのぉ?」
そこか、艦長が気にしていたのは。
「それはありません。バルチック艦隊は必ずツシマ海峡を抜けて、ヤワラギ海に現れます」
そうだ、ここは言い切ってやる。
何故なら………。
「何故なら、この天宮緋影が祈祷したのですから」
使鬼の存在、船の精霊の存在。そして祈祷を受けた艦隊の戦果。
それらを目の当たりにした現在は、緋影の能力に疑いの余地は無い。
俺は緋影のことを、全面的に信じる。
艦長が笑い出した。
「うむ、確かにな! それ以上に信憑性のある根拠は無い!」
艦長はウラジオ艦隊を仕止めた、第二艦隊と緋影の祈祷を知っているのかもしれない。
だからこその大笑なのだろう。
港が見えてきた。
ひさしぶりのリョジュンだ。
そして停泊している艦船は、ことごとくヤワラギ帝国の旗である日章旗をなびかせている。
実にたのもしい艦影だ。
沖に停泊した戦艦に、雷は横付けする。
縄梯子が降ろされ、戦艦との高低差が埋められた。
自分の荷物と緋影の荷物を抱えて、縄梯子をのぼる。
戦艦………三笠の甲板に立った。
が、緋影がいない。
どうしたことか?
見下ろすと緋影は、まだ雷の甲板にいた。
顔を赤く染めている。
スカート状の袴を押さえていた。
なるほど、そういうことか。
出迎えてくれた士官たちに、「失礼します」と声をかけて縄梯子を降りる。
「ゴメンごめん、気が効かなかったね」
「すみません、お兄さま」
「かまわないさ、緋影は女の子なんだからね」
そう言って、片手でお姫さま抱っこ。
ひゃっ、と緋影が声をあげてもかまわない。
さらうようにして、縄梯子をのぼる。
「おおおお兄さま! 大丈夫なんですかっ?」
「おやおや、緋影はいい子だと思ってたのに、俺のことが信じられないのかな?」
「それはそうですが、そうではありません!」
「怖いんだったら、ワイシャツの胸に顔を埋めているといいさ。いくらでも胸は貸すよ?」
「………お兄さまは、いじわるです」
そう言って、仔犬のように顔を埋めてきた。
「………お借りします」
「どうぞ、お姫さま」
縄梯子をのぼる脚に、力を込めた。
甲板へ、ふたたび。
だが、緋影は離れてくれない。
「ほら緋影、三笠に着いたよ?」
「すみません、もう少しだけ………」
「でも艦長や長官も見ているから」
そうだ、写真でしか見たことのない、東郷大将連合艦隊司令長官が目の前にいるのだ。
それでも緋影は離れない。
「だってこの戦さが終わったら、お兄さまとは離れ離れになってしまうのですから………」
この言葉が、意外に通った。
長官の表情が深刻なものに変わった。




