プリン
同期諸君! 実に申し訳ない。嫌味でもなんでもなく、俺の日常は平穏そのもの。夜中に抜き打ちの訓練で起こされることもなく、上司や先輩の怒号と鉄拳制裁からも無縁。たまに緋影がおかずの魚を焦がすこともあったけど、南野中将などは「ここまで火を通すと、骨まで食える」と言って喜んでいたりする。
俺は緋影の勉強をみるだけじゃなく、ガキの頃から仕込まれていた剣術や、士官学校で袴を許された合気道なども教えていた。緋影は物覚えの早い方だったが、体を動かすことはあまり得意ではないようで、まあ………英語よりはマシ、というところだった。まあ、運動に関しては南野中将も俺も、「まったく期待していなかった」ので、落胆したりはしなかった。
まったくもって、同期諸君。申し訳ないねぇ。同じ給料で楽な配置に着かせてもらっているよ。
もっとも俺もふくめて同期諸君は、すべて海軍士官学校に志願したんだ。厳しい規律や訓練や鉄拳制裁を、自ら望んで志願したんだ。望みかなって日に夜を継ぐ猛訓練に励んでいるんだから、それは自己責任というものだ。楽な配置な俺を、責める筋合いではない。
とはいえ、ぬるま湯の日常がいつまでも続く訳じゃない。帝政オロシアの脅威は、我が国大ヤワラギ帝国に重くのしかかっているのだ。
「お兄さま?」
「どうした、緋影?」
「その、緋影はお父様が申しておられた………ぱふぇというものを、食べてみたいのですが………」
杖をつき(俺は病み上がりという設定だ)、緋影とともに出かける時も、つい目は港へ向いてしまう。
無限とも言える大海原。
真っ白に塗られた美しい軍艦。
俺ひとりが、陸に取り残されたような焦りが、胸をかきむしる時もある。
「どうなされました、お兄さま?」
「ん? いや、なにも」
「うそです! お兄さま、いま軍艦を眺めてぼんやりと………」
通りすがりの美人を目で追いかけて、腕をつねられるのはわかる。だが軍艦を眺めているのを、咎められるってのは………どうさ?
「本当はお兄さま、私のお守りなどよりも、お船の方がよろしかったのではありませんか?」
曖昧に笑って済ませようとしたが、緋影の眼差しがそれを許してくれない。
仕方ない、嘘いつわり無く打ち明けるか。
「もちろん船に未練はあるよ。でも緋影と一緒にいるのは、大切な任務だ。例え楽しくても、気をゆるめず真面目に取り組まなくてはならない。もっとも、時々任務を忘れそうになるけどね」
「緋影との付き合いは、お兄さまにとっては任務でしかないのですか?」
「今も言っただろ? 任務を忘れて楽しんでしまう、って」
「本当ですか?」
「本当だとも」
「私は、信じてしまいますよ?」
「指切りしよう。俺の言葉に、嘘もいつわりも無いって」
指切りげんまん、嘘ついたら針千本飲ます!
緋影の細く小さな小指が、俺の小指にからみつく。
あぁ、この娘を裏切ることは出来ないな。
指をからめた瞬間。直感のように感じた。
こんな純朴で、まっすぐな目をした女の子を裏切るなんて、絶対できないだろう。
漠然とだけど、そんなことを思ったりして………。
しかし疑問に思うのは、彼女の勉強をみるためだけに、海軍に秘密施設が設けられていることだ。
おそらく彼女に、緋影になにか秘密があるのただろう。それはわかる。しかしこんな田舎娘に、なんの秘密があるというのか?
俺にはまるで想像がつかない。
常に家事と自宅学習に明け暮れる我が妹だが、たまには学校に行く。そんな日は俺も手透きだ。
中将から、「たまには外を散歩でもしてみろ」と小遣いをもらったりする。
すると自然と足は港へ向いてしまうのが、海軍の悲しい性とでも言おうか。
ある日などは甘味処がのれんを出していた。平日昼間の大の男ではあるが、緋影と話をあわせるためだ。のれんをくぐってみる。決して俺が甘味を求めている訳じゃない、誤解しないように。海軍軍人、ヤワラギ男児たるもの、女子供のように甘いものを欲したりはしないのだ。これはあくまで可愛い妹に話題を提供するための、いわば調査行為なのだ!
よし、俺の正統性は証明された。ならば突撃するのみだ。右に「甘味処」、左に「茶処」。真ん中に店名の「紗月」を染めた、のれんをくぐる。
いらっしゃいませの言葉も若々しく、幼い女給が品書きを運んできてくれた。
このように幼い娘も、店の手伝いをしているのか。
血液が沸騰しそうになった。そこまでしなければならないのは、貧しいからではない。国家が労働力を、子供にまで求めているのだ。そこまでしなければ、強大な帝政オロシアに勝利できないのだ!
それなのに俺は………。
いや、冷静になれ、大矢健治郎。きっとお前の任務には、お前の想像およばぬほどの、深い意義があるのだ。
もしその意義が無かったとしても、全力で取り組んでいれば恥じることなどない。誰に恥じることがあろう!
鋼鉄の信念、必死の決意を固めて、俺は品書きを開いた。
「おう! 大矢じゃないのか?」
うるさいよ。俺は慣れない甘味のチョイスに必死なんだ。なにしろ可愛い妹のためなんだからな………。
って、聞いた声だな。
「顔をあげると………おう! 山本じゃないか!」
同期の山本だ。
士官学校時代から、甘党で知られていた男だ。ちなみに士官学校では、俺の次の次席で卒業。つまり、できる男だ。
確か配属先は、巡洋艦の日進だったはず。
「どうしたどうした、貴様ほどの男が地方人みたいな格好して………」
と言ったところで、山本は頭をさげた。
「スマン! 軽率だった」
着流しの和服姿。俺の現状を、うまく誤解してくれたのだろう。つまり、俺は海軍士官学校を首席で卒業していながら、病気のため思うとおりの活躍がでいないでいる、と。山本とは、それほどまでに頭の切れる男なのだ。
「頭をあげろ、山本。俺は病気かもしれんが、海軍を退いた覚えは無いぞ」
嘘をついている罪悪感は、ほんのちょっぴり。緋影の秘密を守る方を優先した。
「それより山本、甘いものは滋養がつく。貴様がすすめる甘味を教えてくれ」
「おう、そういうことならまかせておけ!」
山本は、プリンアラモードなる品をふたつ注文した。
「なんだ、そのプリンなにがしとか言うのは?」
「まあ、待っておれ。実物を見て驚くな」
巡洋艦日進は、きっとこのヨコハマに錨をおろしているのだろう。だとすれば、山本にとって今日という一日は、貴重な休日。それを俺との再会に費やすなんて。
そのことをスマンと、こちらから詫びた。
山本は新任の海軍士官らしく、カラカラと笑った。
「大矢、貴様のような好敵手と別々の部隊に配属され、なおかつ共に甘味を味わい現状を語り合えるなら、俺はいつでもウェルカムだぞ!」
笑ってはいるが、眼光は鋭い。こちらの嘘を許さない。なんとしてでも見抜いてやるぞ。そんな決意を感じる眼差しだ。
「で、大矢。病状はどうなんだ?」
指先で手旗を送る。
キミツナリ。
山本の頭の中で、クルクルという音がした。俺の手旗の意味を、読み取ろうとしているのだ。
「配属先は、たしかヨコハマ学校だったな」
山本、危険水域まで接近。
俺はまたも、手旗を送る。
フミコムナカレ。
一瞬瞳孔を開いた山本だが、平静を取り戻した。
ワレ、イマヤチホウジンナリ。
山本は指先で、テーブルを叩いた。トンツーで言葉を返してくる。
サツセリ。
口にはできない任務に着いている。というのを察してもらえたようだ。
「で、山本。プリンとはなんだよ?」
「うむ、杏仁豆腐に似て、さにあらず。富士の山に似て、寸足らず。しかしてプリンはプリンなり、というところか」
「意味がわからんわい」
「百聞は一見に如かず。おう、プリンさまの登場じゃい」
カップの中で生クリームの冠とカラメルのマント。フルーツの家来を従えて、プリンさまはプリンっと立たすんでらっしゃった。