ウラジオ艦隊
「………ヤワラギ海を祝福………ですか?」
緋影は少佐に問い直した。
「そうです、ヤワラギ海を祝福です」
少佐は穏やかに答えた。
ヤワラギ海というのは、現世における日本海のこと。
大陸と我が国を隔てる、群青の海である。
しかしちょっと待て。
いま少佐はヤワラギ海を決戦場にするとか言ったな?
そんなことは普通、連合艦隊司令長官と、高級参謀くらいしか知らない話じゃないのか?
長官、というか作戦司令部はすでに、そこまで見積りを立てているというのか?
「実はですね、天宮さん」
少佐は世界地図を広げた。畳の上にだ。ちゃぶ台は夕飯のおかずが乗っている。
「オロシヤのバルチック艦隊が、黒海を出たという情報が入りまして」
それってものすごい軍事機密なのでは?
「同盟国の妨害により、ずっと遠回りしてヤワラギに到着する予定なのですが」
「艦長さん、ヤワラギ帝国は四方を海に囲まれていて、少なくともヤワラギ海と太平洋に挟まれてます。………敵の艦隊が都合よく、ヤワラギ海に来てくれるものなのでしょうか?」
「そこです、天宮さん」
少佐の声に弾みがついた。
「天宮さんの祝福で、バルチック艦隊をヤワラギ海に引き寄せていただきたいのです!」
ふむふむと、緋影はうなずいている。
しかし、事の重大性は理解していないだろう。
普段と表情が、ひとつも変わっていない。
「それにこれは面目の立たない話なのですが、我が第二艦隊は濃霧のために敵のウラジオ艦隊を取り逃がしてばかり。艦隊司令や船を祝福してやれば、戦果があがるのでしょうが、それをすれば司令官の面子が潰れますので、海を祝福してもらいたいというのが本音でして………」
「司令官さんも大変なのですねぇ」
「キビシイ立場にあります」
「わかりました、引き受けましょう」
おい、いいのか?
いや、もちろん緋影の祈祷を今さら疑ったりなどしない。
第二艦隊はウラジオ艦隊を仕留めることになるだろう。
しかし問題はその後だ。
バルチック艦隊を太平洋へ逃さず、ツシマ海峡からヤワラギ海へ導くなど、そんなことができるのか?
これは船や大砲にヤル気を出させるとかいう、単純な仕組みとは違うんだぞ?
人に作られた「物」に対し、人に従うよう躾るのとは訳が違う。
相手は海神なんだぞ?
人間なんか虫けら以下で、ひと飲みされる大海原なんだ。
そんなことができるのか?
「そのかわり、条件があります」
別になんと言うことは無い。近所へお使いに行くだけだ。
緋影はそんな顔をしている。
「条件というと?」
「さすがに相手はワダツミ、一回や二回の祈祷では目的を果たせません」
緋影はヤワラギ海を指差した。
「まずはここ。それから、ここ」
ツシマ海峡に指を移す。
「それから、ここ」
今度はサツマ沖を指差して。
「最低限、三回は祈祷が必要となります。………場合によっては、それ以上の回数」
「わかりました、お付き合いさせていただきます」
少佐は即答した。
ということは?
「天宮さんを乗せて海に出るのは、私ですから」
駆逐艦はヘボい。
たとえ最新鋭でも、その兵装のヘボさには定評がある。
まず主砲がヘボい。戦艦の四分の一しかない。ヘボい。
そして装甲が薄い。ヘボい。
航続距離が短い。ヘボい。
速度が出ない。ヘボい。
小さいから波の影響をモロに受けるヘボい。
その駆逐艦に、緋影が乗り込んだ。使鬼たちもゾロゾロと後に続く。
そして平服の俺もだ。
おぉ~~………と、感嘆の声をあげたのは咲夜だ。
「すごいねぇ~~、鋼の船じゃよ。煙突もモクモク煙あげて、まさにワダツミの龍じゃねぇ~~………」
海軍艦船にはじめて搭乗した者としては、まことに素直な感想である。
たかだか駆逐艦ではあるが………。
「大矢どの、拙者大砲には詳しくは御座らぬが、この装備ではいささか、心許なくはなかろうか」
「大矢くん大矢くん! これが見張り台だね! いやぁ、見晴らしの良いこと良いこと!」
さっそく使鬼たちは、駆逐艦のあちこちをベタベタ触り触り。
いや、基本的にはものすごく気に入ってくれてるんだろうとは、思うんだけど。
だがしかし、瑠璃はどこだ?
使鬼のくせに影が薄いもんだから、すぐに見失ってしまう。
というか、いた。
魚雷発射管のそばで、腰をおろしていた。
使鬼たちの中では、きっと一番の長身。だけど誰よりも線が細くたおやかで。
ボブにカットした髪。そこに生えている、小さな翼。
そして日陰の花のような儚さ。
その瑠璃が、魚雷を撫でていた。
「………がんばってね………魚雷。………おもに緋影さまのために」
うん、やっぱりこの娘もクレイジーだわ。
「さあ天宮さん、艦橋の方へどうぞ。………露天の吹きっ晒しではありますが」
「すみません、なにからなにまで」
いや緋影、艦橋に招かれるというのは、座ることも寝ることもできない、現場に到着次第祈祷をはじめてくれって、言われてるのも同然だぞ?
「航海長、出航用意」
「出航用意、伝達します!」
航海長はラッパ隊に目配せ。
ラッパ隊は出航用意のラッパを吹く。
伝声管を伝わって、艦内各所に少佐の指示が行き渡る。
船は錨を抜き、濃霧の海へと漕ぎ出した。




