覚悟
いったい何が起こったのか?
狐につままれた気分でいると、出雲鏡花が解説を入れてくれた。
「ナゴヤの軍司令官が緋影さまを外そうとしたのは、津田沼信一郎の賄賂を受け取ったからですのよ。それが明るみに出て、憲兵隊出動という顛末ですわ」
「いやしかし、民間の協力があったとかなんとか………」
出雲鏡花は、「本当に巡りのよろしくない方ですわね」と前置きして。
「そんな情報がこんなタイミングで出てくる訳がありませんわ。以前から出雲機関が内偵調査しておりましたのよ」
出雲機関? なんだそりゃ?
いや、おおよその察しはつく。しかしイチ財閥で、そのようなものを所持できるものなのか?
ここで緋影の言葉を思い出す。
いずみさんは、本物の忍者なんです。
出雲鏡花が本物の忍者を抱えているならば、財閥が諜報機関を抱えていても、何の不思議も無い。
そういえば俺も、出雲鏡花の毒牙にかかるのではないかと、不安を感じたことがあった。
しかし知識で所持していた、情報の重要性というもの。
実際にその力を目の当たりにするとは………。
そしてその威力の、なんと凄まじいことか。
「お兄さま、馬車を待たせていますよ。早く早く」
緋影は無邪気に微笑んでいる。
しかしその緋影の守るために、出雲機関が動き、軍司令官の首が飛び、神道会支部長が逮捕されたのだ。
緋影の緋とは、血の色を言う。
そしてその名は、代々受け継がれているという。
この国を支える天宮。
そして天宮を支える出雲。
この国の裏側をのぞき込んだような気がして、なんとも微妙な気分だ。
そこへゲシッという音と、スネの痛み。
………やはり蹴ってきたのは、足癖の悪いパツキン、咲夜だった。
「なにボサッとしとったんね、アンタ! あそこはアンタがクサレ禰宜どもを、ちぎっては投げちぎっては投げして、緋影さまをお守りする場面じゃろが!」
おーおー、俺の襟首フン掴まえて、えらい勢いだな。
「あほたれ! ンなことしたら、俺が捕まるだろうが! そうなったら誰が緋影を守るんだ!」
「ふ………」
「ふ?」
「ふん! ちょっとは自制する心があるじゃない」
「お前には無さすぎだ、反省しろ」
「うっさいわね! 覚えてなさい!」
何をどう覚えておけと?
まだまだ言い足りないことはあるが、緋影が呼んでいる。
この場は幕を降ろすとしよう。
馬車は市街地を抜けて、郊外へ。
「それにしても、意外と言えば意外」
輝夜がつぶやく。もちろん念話だ。馬車は狭いので、彼女らは姿を消している。
「依頼を寄越した軍司令官自信が、緋影さまを外そうと画策するなどとは………」
「う~~ん、こりゃ今回の旅はただでは済まないかもねぇ」
わりと深刻なことを、あまり深刻そうでなく、芙蓉は言う。
「意外ついでに言わせてもらえば、現地に着いてみると周りはみんな敵ばかり、などということにならねば良いのだが」
「たとえそうだとしても、緋影に手を出すのは容易ではないだろうな」
俺が答える。
「軍隊という場所は、人目ばかりだ。そんな場所で何か仕掛けてくるのは、愚の骨頂だよ」
正直、俺もピリピリとしてきた。
これから赴くのは、合戦の場か死地か? という気になっている。
あからさまな緋影外しと、賄賂のやりとり。すでに非日常へと、俺たちは巻き込まれているじゃないか。
よろしい、ならば戦闘開始といこうではないか。
いかなる事態が発生しようとも、必ずや緋影を守り抜いてやろう。
「へぇ、いい顔できるんじゃね、アンタ」
「これから戦さになるかもしれないからな。やはり戦さ場は軍人の職場だよ」
「しかし大矢どの。敵と言っても誰がそうで、誰がそうでないか、判別はつくのかな?」
こっそりと、出雲鏡花を指差す。
「それはあのデコが知っているだろうな。奴が不自然な行動をしたら、すぐに俺が緋影の盾になる」
「フンだ、口だけは達者じゃね」
咲夜の憎まれ口は気にしない。
「だがそれだけでは不足だ。お前たちにも警戒してもらわなければならないだろう」
「だ、誰がアンタなんかのために!」
「俺のためじゃない、緋影のためだ」
そういうことならと渋々ながら、咲夜も協力してくれる。
陸軍の駐屯地が見えてきた。いよいよ死地である。
「鏡花さん、忍者はどうしてますか?」
できるだけ気の抜けた声で訊いた。
「御心配はいりませんわ、少尉さん。排天宮派の者は極一部。すでに顔と所属は割れていますので、全員余所へ出向していただいてますの」
こちらの意図を察したようだ。
出雲鏡花は悪意なく微笑んでくる。
「やりますなぁ、鏡花さん」
「緋影さまのためでしたら、いかようにでも」
なによ、アンタより役に立つじゃない。と言ったのは咲夜だ。
「まあな、俺の役割は本来、緋影を上機嫌にすること。護衛じゃない」
「ショッパイわよ、アンタ」
「かまわんさ。腕力自慢など必要ないからな。要は………最後の最後で緋影の盾になる覚悟があるか? そこに尽きると、俺は思っている」
豪快に笑ったのは、輝夜だ。
「いい度胸ではないか、咲夜。もう仲間として認めてやれ」
「仕方ないわね………えぇか、人間。必ず緋影さまをお守りするんよ? アタシたちも協力は惜しまないけぇね」
「期待にそえるよう、尽力する」
しかし。
これだけ念話の交換をしていながら、緋影の返事が無い。
「すぴよすぴよ………すぴよすぴよ………」
よほどの大物なのか、緋影は眠っていた。
「自分がねらわれてるかもしれないってのにねぇ」
「やあやあ大矢くん、それよりもデコちゃんの鼻の穴だよ。プックリ開いちゃって、幸せそうだねぇ」
そりゃそうだ。
緋影は出雲鏡花の肩に頭を乗せ、身をあずけるように眠っているのだから。




