♪ズンダズンダズンダズンダ餃子♪
陸軍仙台師団長視点
陸軍の師団長が海軍の若造少尉を出迎えるのではない。
我々が求めているのは、あくまでも神の祝福。あくまでも天宮緋影という娘なのだ。
そうでなければ休日を返上し、わざわざ兵をそろえている理由がみつからない。
そのように自分に言い聞かせていた。
ことの始まりは海軍のポンコツ駆逐艦が、演習において大戦果を挙げたのが始まりだった。
科学のかけらも無く、頑迷な信仰しか持ち合わせぬ海軍の愚物どもは、よほど戦果に飢えていたのかポンコツの秘密に飛びついたらしい。
そしてその戦果の秘密というのが、笑うなかれ巫女に祈祷してもらったからと言うではないか。
蒙昧な、あまりにも無知をさらす海軍に、腹の底から笑ってしまったではないか。
だがあろうことか、なんと我が陸軍まで、その娘の祈祷を頼みにしようというではないか!
愚かなり。愚かなり、我が陸軍。
我々には精鋭の歩兵が国内各地に駐屯しているというのに、たかだか小娘の祈祷を頼りにするとは!
しかし中央からの通達だ。従わなければならない。
という訳で私は今、我が精鋭とともに駐屯地の屋外訓練場で、その到着を待っていた。
現れた。
参謀長を先頭に、海軍の若造。そして………。
麗しく、なおかつ愛らしい巫女であった。
黒髪は艶やかに濡れ、薄紅差す頬と白い肌。深い湖のような瞳は、かすかに潤んでいる。
なんと美しいことか。
これならば神も祝福を賜ってくれることだろう。
巫女をして神の子とも称するのは、真の話であった。
それを知識ではなく、経験をもって知ることになろうとは。
有り難きことなり。
真に有り難きことなり。
海軍少尉
大矢健治郎視点
緋影は小さく、「ううう………」と唸った。
しっかりしろと、俺は誰にも気付かれぬように励ます。
しかし緋影の顔からは血の気が引き、蒼白とまでなっていた。
幸い化粧のチークで誤魔化してはいたが、それも顔色だけのこと。
緋影は二日酔いであった。
昨夜緋影は、夜行列車で仙台を目指している途中、三人分の駅弁を平らげていた。
それだけではない。
ナイトキャップにと買っておいた、俺の酒に手を出したのだ。
滅多に無い、旅の機会。
年若いというか幼さ残る緋影が、羽目をはずしたくなるのは解る。
しかし途中停車の駅で、酒の追加は余分だった。
明らかに飲み過ぎだ。
挙げ句、二日酔いだとバカ野郎。
それでも朝食に駅前で、立ち食いの天ぷら蕎麦を三杯食べて、根性のあるところは見せてもらえた。
だがその天ぷらで余計に気分が悪くなるあたり、フザケ過ぎだろヤリ過ぎだろう。
「ううう………お兄さま。………食べ過ぎました………」
うるさい黙れ、これから仕事だ。
祝詞の途中で吐いたら、ズンダどころか宇都宮の餃子も抜きだからな。
式が始まるギリギリ手前まで、緋影の嫌いな梅干をこめかみに貼りつけて、二日酔い対策としておいた。
「お兄さま、仮にも乙女に、これは無いのではありませんか?」
「緋影? ズンダ餅は俺の分、ひと皿だけでいいのかな?」
「さあ、お兄さま! 祝詞のお時間ですよ! 張り切ってまいりましょーーっ!」
とはいっても、歩き出すと酒がよみがえるようで、いまや緋影は顔面蒼白。
危険が危うく大ピンチな状態であった。
「………緋影、大丈夫か?」
「ズンダ餅のためです、お兄さま。これしきの困難………困難………ウップ」
「しっかりしろ、緋影」
「………ゴックン。………フーッ………フーッ………しのぎました」
「いけるか、緋影?」
「まだ戦えます」
困難を乗り越えようとする根性は見上げたものだったが、この困難を呼び込んだのはお前だ緋影、反省しろ。
式が終わったらまたこめかみに、梅干貼ってやるからな、覚悟しておけアホったれ。
師団長視点
悔しいかな。若い海軍将校の所作は洗練されたものであり、我々陸軍では武骨一点張り。とても真似のできるものではなかった。
その若い将校が、麗しの巫女に寄り添い、一言二言。
益荒雄の
手弱女に添いし
さくらかな
下手な句を詠みたくもなる光景に、春の陽気が清しく映る。
その巫女が、よろめいた。
少尉の若々しくたくましい腕が、華奢な身体を支えて止めた。
なんと美しい光景であろうか。
おそらくは日頃、病に伏している身を励まして、我等がために祝詞をあげんと、はるばる駆けつけて来てくれたのだろう。
有り難きことかな。
有り難きことかな。
我等陸軍仙台師団、その恩に報いるべく、例え屍の山を築こうとも退くことなく、必ずや………必ずやオロシヤ陸兵を撃退して差し上げましょう。
天宮緋影。
その御名を忘れまじ。
その御名を、ゆめゆめ忘れることなし。
巫女は座し、我等に一礼。万を数える大丈夫たちも、これに返礼。
そしてさくら貝のごとく淡き唇より、鈴の音にも似た祝詞がこぼれる。
それは巫女のか細き肩に似て、なんとも頼りなく儚げで、たおやかな声であった。
カゲロウのごとく薄い身体がためか、祝詞は時に途切れ、呼吸を改めてはまたつむぎ続ける。
我等がために。
死期間近なる者も居よう、我等がために。
巫女は健気なまでに祝詞をつむぎ続けた。
祝詞が済んで、奉納の舞となるところだが、正直に申し上げよう。
もういい。
もう充分だ!
我等に神がつかぬとも、我等には天宮緋影………お前がいる! それだけで胸裡百万の兵たることができるのだ!
しかし巫女は舞った。
四方を拝し、邪なるをその短刀で破り、正しきを顕かとしたのだ。
最後まで舞い終えた巫女は力尽き、海軍少尉にその身をあずけて退場した。
なんと美しく、なんと儚げな姿、儀式であったことか。
この国のため。
それは当然のことである。
しかし新たに、この巫女のためという思いが、沸々とたぎり始めていた。
大矢健治郎視点
緋影は万を数える視線の前で壇上に座し、一礼………頭を下げた。
流石は国をささえる天宮の巫女。
その礼は美しい姿であった。
すなわち後頭部から背中、腰にいたるまで一直線。
肩の力を抜いた少女特有のたおやかな、そして優雅な礼式である。
しかし、なかなか顔を上げない。
緋影は朱色の袴だ。
袴は腰紐で腹を締め付ける。そして帯もまた、腹を圧迫するものだった。
そして何より。
座礼は腹にめちゃくちゃ負担のかかる姿勢なのだ。
出るか。
その唇から逆流させてしまうのか、天宮緋影?
ここはひとつ、大きな山場だ。
ゴックン!
飲み込んだ! 緋影がキラメキの流れを飲み込んだ!
デカしたぞ、緋影。
よくやった、緋影。
今夜は俺たちのための夜だ!
山場を乗り越えた緋影は、祝詞を読み上げ始めた。
その声は朗々としたものではなく、明らかに力をセーブしたもの………わかりやすく言うならば、胃袋の未消化物を刺激しないためのもので。
さらに言うならば、山場も危機も、まったく去っていないことを示していた。
大丈夫か?
いや、大丈夫なんてことは有り得ない。緋影はいつ失態を冒してもおかしくない状況だ。
ならばどうする………って言ってる間に、緋影の祝詞が止まった!
………ゴックン。
カウント2.9だ。
俺の胃も悲鳴を上げている。しかし緋影は持ちこたえた。
ここはもう、現実逃避をするしかない。
緋影の御札を額にかざし………と、そうする前に目を細めただけで、神々の姿を見ることができた。
緋影と同い年か、それ以下か? そのくらいの年頃の小娘たちが、あちこちで遊んでいた。
駆逐艦に祝詞をあげた時とは、大違いだ。
神々は緋影の祝詞に、まったく興味を示していなかった。
ダメだこりゃ。
今回の祝詞は失敗だ。
しかし緋影は、なんとか祝詞を終えた。
大失敗だとわかってはいたが。
「大丈夫か、緋影?」
たまらず声をかける。
「………お兄さま、これで舞までこなしたら、私のズンダは三皿ですよ?」
「そんな約束したか?」
「今、この場で約束しましょう」
「お前、そんな………」
だが緋影は立ち上がった。
そして舞う。
胃袋からこみあげるものに耐えながら。
しかし舞を終えたことで力尽きたようだった。
近づいた俺に、身体をあずける。
「はぁはぁ………お、お兄さま………」
「終わったぞ、緋影。ふたりでズンダを食べに行こう」
「お、お兄さま………緋影はもう、限界です………そろそろ吐いても………」
「少し待て! いま連れてってやる!」
引きずるように緋影を運ぶ。
背後から万雷の拍手をあびせられたが、今はそれどころではない。緋影を運ばなければ。
そしてズンダ餅を五皿平らげた緋影は、宇都宮でも危機を迎える。
今度はさすがに、俺も助けはしなかった。
そして緋影は現在、大皿で餃子に立ち向かっている。
「あ、お兄さん! 中ナマおかわり!」
「また飲んでんのかよ、お前!」
「お兄さま、夜はこれからですよギョクッ………ギョクッ………ギョクッ」
ちなみに、仙台同様に宇都宮でも、神々にそっぽを向かれて祝詞は失敗。
あぁ、それなのにそれなのに。
ふたつの師団は演習で、不思議と大戦果を挙げてしまった。
神さまにそっぽ向かれたのに。
「おかしいね」
「おかしいですね」
聞くところによると仙台師団。
ひたすら歩兵の突撃を繰り返したらしい。
まあ、戦果は戦果だ。
仙台と宇都宮の師団。
二日酔い緋影の祈祷が通じたのかもしれない。
「すいませーーん! 中ナマおかわり御願いします!」
「お前はもう飲むなっ!」
いや、きっとタマタマ。単なる偶然だろう。




