先鬼
ひ~ちゃんがそれでいいなら、私はかまわないよ。
芙蓉は妙に納得顔だった。
「頑張ってね、大矢くん。お姉さんはキミのこと応援してるよ」
そう言って芙蓉は姿を消した。
消したのだが、わりと日常的に緋影の周囲をうろついていたりした。
「いや芙蓉、せっかくの護鬼なんだからさ、もう少しこう………ミステリアスとか神秘性をだせないかなぁ?」
「そうですよ、芙蓉。貴女は護鬼の古参なんですから、みんなのお手本にならないと………」
その芙蓉は緋影のとなりで煎餅を食べたり、中将の晩酌を失敬したりと、かなりリラックスした暮らしぶりだった。
「あのね、大矢くん。キミはひ~ちゃんのお気に入りなんだから、私がミステリアスな女性を演じてキミに惚れ込まれたら、困ったことになるんじゃないかな?」
いや芙蓉、それはこの世がひっくり返っても無いと思うぞ?
「それにね、ひ~ちゃん。私がキリリとしていたら、他の娘たちの息が詰まっちゃうからさ。私は仕方なくリラックスしてるんだよ?」
「嘘ですね」
「嘘だな」
「二人ともひどいなぁ」
苦情は述べるが、生活態度が改まることはない。
つまり芙蓉は基本的に、こういう生き方なのだ。
そんなやり取りを数日繰り返した、ある日のこと。
いつものように「あっはっはっ」と、笑ってやり過ごす芙蓉に、苦言を呈する者が現れた。
「私も芙蓉さまが、凛々しく引き締まっている姿を望むのだが」
背後からの声だ。
突然のことである。
正座ではあるが、緋影の背中越しに顔を出してきた。
何者だ? 年若い娘のようだが、目元が厳しい。きらめくような長い銀色の髪。長身で振り袖に袴。
そして腰には、大小の刀を帯びている。背筋は物差しをあてがったように、ピンと伸びている。
しかしそんな凛々しいサムライ娘の前でも、芙蓉はふわふわと笑っていた。
「ほらほら輝夜、大矢くんが驚いているじゃないか。自己紹介が先じゃないかな?」
「ん? おぉ、これは失礼した」
サムライ娘は正座のまま、俺に向き直った。
………のはイイんだけど。
「私の名は輝夜。芙蓉さまが護鬼ならば、私はセンキというところか」
「センキ?」
「左様、護鬼を後鬼と記すならば、私は先鬼。つまり護鬼に対する戦鬼ということ」
「なるほど」
いや、それはイイんだけどね?
「緋影さまのためならば、戦さも辞さぬ者にございます」
ジリッと殺気が迫って来る。
そう、さっきから「それはイイんだけどね」と言っていたのは、輝夜がこちらを向く時、居合の膝を使っていたからだ。
それはつまり?
俺に敵意を持っている、ということか?
俺も剣術はたしなんでいる。剣術流派の中には、当たり前のように居合が含まれていたりする。もちろん俺も居合の心得があるので、輝夜の所作には感じるところがあった。
というか、俺の知る限り輝夜の所作は完璧である。
俺に対する座礼も、まずは左手。それから右手。まったく油断も隙も無く差し出されて、手指が作る三角形に額を納めていた。
左手を先に差し出すのは、右手を先に差し出して斬られると、その後の対応に支障が出る………つまり、刀を抜けなくなるからだ。
輝夜が顔を上げた。
こちらをジッと見詰めてくる。
必ずしも、友好的とは言えないまなざしだ。
そのまま動かない。
緋影に脇腹を突っつかれる。
「………お兄さま、名乗り。名乗りをあげてください」
「あ、あぁ、失礼。海軍少尉、大矢健治郎。この度天宮緋影の供として、救国の任を命じられております」
「御挨拶、いたみいります」
「こちらこそ」
礼を尽くした対応のはずだが、サムライ娘を相手に、これで合格なものやらどうやら。
そのあたりは、芙蓉が質問をしてくれた。
「やあやあ輝夜、なんとこちらの大矢健治郎くん。剣術の心得があるらしいよ?」
「わかります」
殺気がさらに強まった。
「わかるなら輝夜、ひ~ちゃんの側にいる彼に、訊きたいことがあるんじゃないかな?」
「大矢健治郎どのと申したな?」
「おう!」
いきなり姿勢が居丈高………というか、位で押してきた。
「ひとつ試させていただきたいが、よろしいかな?」
「こちらは遊ばせていただいた程度ですので」
お断り申し上げます、という意味合いを込めた返答だ。
「お戯れを」
輝夜の目が細められる。しかしそれは、お人好しの人相ではない。
むしろ、嘘は許さぬぞ。という迫力に満ちている。
「大矢どの、掌が雄弁に、稽古の豊かさを物語っておりますぞ」
思わず手のひらを眺めた。
すると輝夜は笑った。
「ほら引っ掛かった。なかなか素直な御仁ですな」
が、目は笑っていない。あくまでこちらを試す目だ。
考えてもみれば、俺はずっと膝に手を置いていたのだ。掌が見える訳がない。
「え? なに何ナニ? どういうやり取りだったの?」
芙蓉は感心しているようだったが、緋影だけは理解できていない様子だった。
「いやいやひ~ちゃん。どうやら大矢くんは、これから輝夜と剣術の稽古をするみたいだよ?」
おう、やっぱりそうなるんだよな。
いいとも、やってやろうじゃないか。
「さて、それじゃあどこでやりましょうか?」
ここは嘘をついた。
本当ならばゴングはすでに鳴っている。
つまり、すでに闘いは始まっているのだ。
俺は罠を仕掛けたのである。
要するに、輝夜が少しでも動けば、俺は座蒲団を投げてちゃぶ台を掴んで叩きつけ、剣の有利を潰そうと考えていた。
またも輝夜は大笑した。
首をぴしゃぴしゃ叩いて笑う。
「かないませんなぁ、大矢どの。この輝夜に、そのような罠を仕掛けましたか」
だが、首を叩いているのは左手だ。
油断はできない。
「ですが緋影さま、この大矢健治郎なる者、未熟者にござりまする」
当たり前だ、馬鹿野郎。剣術で飯を食える腕なら、海軍なんかに入っているもんか。
「未熟者なれども、心得は存分に」
「輝夜、それはどういうことですか?」
「緋影さま、未熟者の未熟は私が補佐します。故に緋影さまはどうぞ、心安らかに」
「でしたら輝夜?」
「大矢健治郎なる者、私は緋影さまの供と認めます」
「よかったな、緋影」
「シレモノっ!」
心を緩めたとたんに、輝夜に叱られてしまった。
「汝はあくまで緋影さまの楯! 矢面に立つのは当然! というか何がどうあろうとも、必ず緋影さまを生かして、我らの元へ運んで来いっ!」
「わかりましたっ! 輝夜艦長!」
輝夜はまた笑う。
「大矢健治郎どの、私は艦長ではないぞ? 船戦さに関しては、大矢どのにすべてお任せする」
そう言って、輝夜は消えていった。




