えいどりあん
護鬼、芙蓉の登場には驚かされるものがあった。
しかし困る存在ではない。むしろ緋影を護る、いわば守護神なのだ。ありがたいと思いこそすれ、迷惑な存在ではなかった。
「さて、大矢くん」
そう、人の仕事の邪魔さえしなければ………。
「大矢くん、君はひ~ちゃんのこと、どう思っているのかな?」
夜のこと。
あてがわれた自室。
緋影のために英語の資料をまめるという、大変重要な仕事をしている最中のことだった。
芙蓉は文机に向かう俺に、正座で横から問いかけてきていた。
「どう思うとは? ………いや、可愛らしい妹と位置づけてますが」
「うーん………違うんだな、大矢くん。妹とかそんなんじゃなくってさ。ほら、あるじゃない? 愛しいな、抱き締めたくなるな、とか」
「………妹ですよ?」
「血は繋がってないよね? っていうか、そういう役柄なだけだよね?」
なにを言いたいのか?
なにを訊きたいのか?
「………つまり芙蓉は、緋影をひとりの娘として、どう思うか? と訊きたいのかな?」
「そう、それそれ」
ニマニマと笑っている。
ニマニマと笑ってはいるが、護鬼ではあるが、不誠実な回答はしたくない。
ということで、腕を組んでじっくりと質問に取り組む。
「まず、煮炊きに関してだな」
「ふむふむ」
「俺は薄口の地方出身だから、少し味つけが濃い。とはいえ、それはじきに慣れるだろう。合格点だな」
いいねいいね、と芙蓉も満足そう。
「次に針仕事、こちらはあまり得意ではなさそうだな」
「ひ~ちゃんはドン臭いからねぇ」
容赦のない護鬼だ。
仮にも緋影はキミの主だろ?
まあ、護鬼にキビシイことを言われる、緋影も緋影なのだが。
「針仕事に関しては、それでもあの年にしたら、頑張っている方だ。期待を込めて及第点、としよう」
「なるほどなるほど」
「総じて、いつ嫁に出しても、恥ずかしくはないかな?」
「だからそういうのじゃなくってぇ………」
お、いかんいかん。
妹ではなく、ひとりの娘として見るんだったな。
「例えばさぁ、抱き締めたいなぁとか、チュウしたいなとか、モニョモニョしたいなとか、あるじゃない?」
「そういう対象としての緋影評価だよな?」
「そうそう」
自分に素直に、正直になって考える。
艶めく黒髪。
………うむ、良い。
雪のように白い肌。
………うむうむ、佳い。
小柄でチョコチョコと歩く姿。
いょぉし、うむうむ、よぉし。
芙蓉が姿を現してからというもの、表情豊かに笑ったり怒ったり、時にはスネてみたり。
うむ、みなまで言うな! みなまで言うな!
「大矢くん、そろそろ判定を求めてもいいかな?」
俺はうなずいた。
「それでは判定をお願いします………判定っ!」
「赤、いちっ! にっ! さんっ! しっ! 主審………赤っ!」
「………ねぇ大矢くん、紅白の判定はいいんだけどさ。赤の勝ちがなにを意味して、白の勝ちがなにを意味するのか。お姉さんに説明は無いのかな?」
芙蓉が困り笑いを浮かべたときだ。
「えいどりあーーんっ!」
緋影を声がした。
縁側の先、小さな庭の方からだ。
芙蓉が窓の外を見る。
確信はあったが、俺も窓から顔を出す。
庭先には緋影がいた。
たすき掛けで、振り袖をまとめている。
その緋影が、ふたつの小さな拳を天に突き上げていた。
まさに勝者の雄叫びだ。
なぜか腰には覇者の証、チャンピオンベルトが巻かれている。
「えいどりあーーん!」
もう一度緋影は、高らかに叫ぶ。
秘密施設だ、近所迷惑だという懸念は、なぜか湧かない。
俺は芙蓉の肩を叩いた。
「まあ、そういうことさ」
「え? そういうことってどういうこと?」
芙蓉の疑問には、敢えて答えない。
黙って文机にむかい、再び資料と向き合う。
「ねぇ、大矢くん。どういうことなの? ねぇってば!」
どのような手段を使ったらかは、わからない。
だが俺の意志は、緋影に伝わったようだ。
「えいどりあーーん!」
緋影の雄叫びは、まだ続いていた。




