芙蓉さん
それから数日後。
緋影の勉強を見てやっている時だった。
気配を感じる。
俺の部屋に、緋影ではない、俺でもない。何者かの気配を感じていた。
「どうされましたか、お兄さま?」
「ん? いや、何でもない」
緋影は多感な年頃だ。こんな不確定なことで、勉強の集中を乱すようなことがあってはならない。
「ですがお兄さま、先ほどから緊張感あるお顔をされてますよ?」
「まあな、教える側もパンパンなのさ」
もちろん嘘である。
というか俺の表情で、すでに緋影は集中を乱していた。
以後、気をつけなければならないな。
自分に戒めを与えていたが、自分の目を疑ってしまった。
緋影の背後に、誰かいる。女のようだ。だんだんとその気配は姿を帯びて、今でははっきりと見えるようになっていた。
前髪を残して結い上げる、ポニーテールという髪形だ。
そして藍色の袴だが、緋影の巫女装束と同じだろうか。
子供子供した緋影よりも、かなり年嵩………見た目は十七くらいだろうか。それ相応な年頃に見えるのだが………。
なんでこんなにニコニコしているんだ?
というか、俺に手を振ってるのか?
つーか今度はピースしてきてるし!
「あの、お兄さま?」
「ん? いや、なんでもないよ」
「見えているのですか?」
「見えてなんかいないぞ?」
「見えているのですね?」
うん、いまの返事は悪かったみたいだね。緋影が確信を得て得ている。
ならば嘘はいけない。緋影に対して正直になろう。
「緋影、そちらの女性は?」
やっぱり見えてたと、緋影はにっこり。
「はい、お兄さま。こちらは芙蓉です」
「ふよう?」
「私の護鬼のひとりなんですよ!」
「護鬼………」
以前、中将がそんなことを言っていた。緋影は天宮の中でも、護鬼持ちだと。
「芙蓉は私を護ってくれる、いわゆる守り神なんですよ」
ふむふむ、さすが天宮一族。そんなものまでオプションでついてくるのか。
というか確か以前の話では、緋影がやる気を出すと護鬼もやる気を出すとか言っていたはずだ。
その緋影のやる気をあげるために、俺が選び出されたのだ。
「さすがお兄さま。先日お札をかざしただけで、お船の神さまが見えてらしたから、もしやと思っていたのですが」
「うんうん、よかったね、ひ~ちゃん♪ 見初めたお兄さまに、私を見る素質があって」
うわ! 芙蓉がしゃべった!
っていうか、今の話、なに?
「芙蓉? あなたは何を言っているのですか? 私がお兄さまを見初めるとすれば、護鬼を見る素質がありそうだとか、使命感に燃えていそうだとか」
「誠実そうだとか、浮気しなさそうだとか」
「見た目も爽やかで格好いいとかって、芙蓉!」
「いやいや、芙蓉さん悪くない。お姉さんちっとも悪くないよ?」
もう、と言って緋影は頬をふくらませる。
とにかく。
「芙蓉さんと言葉を交わすことができるってことは、緋影よりも芙蓉さんの機嫌をとるってことなのかな?」
「大矢くん? まず、私のことは芙蓉。呼び捨てにして欲しいなぁ。そうでないとお姉さん、へそ曲げて返事もしないぞ?」
「あ、あぁ………わかったよ、芙蓉」
「そして大矢くんの質問だけど、答えはノーだね」
「そうなんだ?」
「そりゃそうだよ、私たちはひ~ちゃんの護鬼。私の機嫌をとっても、ひ~ちゃんの機嫌を損なうようなことを、大矢くんがやったとしたら………」
「やったとしたら?」
芙蓉は微笑みをたたえる。
「また、首絞めちゃうからね♪」
また、首を絞める?
あ、そういや緋影の呪術で首を絞められたと思ったけど………。
「思い出した?」
まさか、芙蓉が?
「ひ~ちゃん泣かせたら、ダメだからね?」
「かしこまりました、というか芙蓉。さっき私たち、とか言ったよね?」
「はいはい、ひ~ちゃんの護鬼だね? いっぱいいるよ」
「いっぱい………?」
「そう、みんなで大矢くんのこと、見てるからね♪」
「芙蓉、嘘はいけませんよ?」
緋影が割って入ってきた。
「お兄さま、私の護鬼はほんの数人です。そんなに怖がらないでください」
「おやおや大矢くん、ずいぶんとひ~ちゃんに買われてるねぇ」
「芙蓉! その呼び方はやめなさいと、あれほど………」
そう、さっきから芙蓉が緋影のことを呼ぶときは、必ずひ~ちゃんだった。
この護鬼は、どこまでフレンドリーなのかと、思ってしまったほどだ。
「まあ、お姉さんはちょっぴりのヤキモチで済んでるけど、他の娘たちはどうだろうねぇ? 大矢くんがどう対処するか、お姉さん楽しみにしてるよ」




