天宮緋影・アマミヤヒカゲ
携帯の機種変したのですが、文字数を表示してくれないという鯔背な態度をとられてしまい、投稿文字数が少々不安定になるかと思いますが、御容赦を。
着任予定時刻、十五分前。
「………ど、どうにか到着です」
「………う、うん………どうにか到着したね」
さすがに予想外の展開だった。よもや出迎えの緋影が迷子になるなんて。
しかも路地が入り組んでいて、地図も役に立たない有り様。
通りすがりの人や地元の方々に道を聞いて、ようやくの到着だ。
というか、緋影が道に迷わなければ、こんなことにはならなかったのだけど………。
「で、緋影。ヨコハマ学校っていうのは、どこにあるんだい?」
「目の前ですよ、少尉さん」
右を見る。
民家がある。
左を見る。
民家がある。
目の前を見た。
民家しかない。
当たり前だ。ここは住宅街なんだから。
「あの、緋影………?」
「なんでしょう、少尉さん?」
「俺の目の前には、民家しか無いんだけど………」
「はい! これが海軍秘密施設、ヨコハマ学校です!」
なるほど、そういうことか!
重要施設とはいえ赤レンガ建てでは、いかにもここに機密がありますよと、宣伝しているようなものだ。
こういった住宅街の中に、私あやしい者ではありませんよと、当たり前な顔をしている一戸建ての方が、よっぽど怪しまれずに済む。
ガラガラと引き戸を開けて、緋影は「ただいま帰りました」と中に告げた。
「おう、帰ったかい」
裏から声がする。ずいぶんと気さくな口調だったけど、どこで司令官に出くわすかわからない。緊張に背筋をのばす。
「おや、こりゃまた若い軍人さんだね」
すると家屋の脇から人が出てきた。
コロンと丸顔、丸っこい体つきの初老男性だ。
素足にズボンの裾をまくりあげ、鍬を片手に首巻き手拭い。
「いま、お水の用意をしますね」
緋影は盥に水を汲んできた。初老男性が足を洗い、手拭いで水を切る。
「さあさあ、軍人さんも。どうせ着任したてなんでしょ? ボサッと突っ立ってないで、上がった上がった」
「は、はぁ………」
うながされるまま、居間へ。ちゃぶ台とタンスくらいしかない、粗末な居間だった。
ちゃぶ台をはさんで、老人と差し向かい。お茶をいれてきた緋影は、俺のとなりにちょこんと座る。
「どうしなすった、軍人さん?」
「いえ、海軍ヨコハマ学校着任の挨拶を、司令官にと思ったんですけど………」
「別にそんなもの、することぁございませんよ」
「いえ、そうはいきません! 帝国海軍軍人たる者、礼節を重んじなければ!」
「面倒なものですねぇ、軍隊ってのは………」
「地方人………この場合、民間人を指す………と同じという訳にはいきませんから」
老人はのんきに茶をすすった。
「お辞めなさいな、そんな軍隊なんて。どうせ殺し殺されの世界でしょ? あなたみたいな若くて優秀な人に、そんなことさせる軍隊なんざ、あたしゃ大嫌いですね」
「じいさん、言葉が過ぎるぞ! 帝国海軍を愚弄する気かっ!」
「ほめて育てて立派になって、果ては野末の石の下♪ ヨイヤサ! ってね」
おどけるように口ずさむ。
それで少しはおちついた。老人が揶揄した歌は、陸軍を歌ったものだからだ。
「ほ? 少しは落ち着きましたか?」
「じいさんの歌ったのは、陸軍を揶揄したものだ。海軍には関係が無い。俺が怒る筋合いには無い」
「四角四面とは、このことだねぇ」
「それより司令官に会いたい。着任の挨拶を済ませて、ここでの任務を賜りたいのだ!」
「そう焦りなさんな、若い人はせっかちでいけない。………時に軍人さん」
「大矢です! 大矢健治郎!」
「それなら大矢さん、あなたパフェは食べたことありますかな?」
「食い物の話はしていない!」
腹が立ってきた。
俺も暇な身ではないのだ。老人の戯れ言に付き合うことはできない。
「あれはヨコハマの名物だ。一度食べておくといい。………緋影も好物だしのぉ」
「司令官はどちらですか!」
「あんた、故郷に女は残してないのかね?」
「女など知りません!」
「オロシア国がマンシュウから引き上げませんな?」
「だから大変な時期なのです! 軍人はみな、ピリピリしている!」
「ピリピリするくらいなら、軍人なんてやめなさいな」
「司令官はどちらですか!」
場合によっては許可を得て、このふざけた老人を叩き斬ってやる!
「わしがその司令官だよ?」
「司令か………は?」
「わしがその司令官、海軍中将南野伝七さ」
老人はコロンと横になった。
確認のため、緋影を見る。
彼女はニッコリ天使のように微笑んで、認めたくない事実を肯定する悪魔のようにうなずいた。
心の中でつぶやく。
おーまいがー………。
南野司令官は横になったまま、緋影に声をかけた。緋影は立ち上がり、奥から行李を運んで来る。
「お着替えください、少尉さん」
行李を開けてみると、着流しの和服がひと揃い。
「ここは海軍の秘密施設だ。だからその詰襟着てたんじゃ、ここは海軍施設ですよと宣伝してるようなもの。ここを離れるまでは、軍隊のことは忘れてもらう」
「わかりました!」
頭を下げると中将は、苦い顔をした。
「それそれ、そのしゃっちょこばった敬礼がイカンよ! 自分から軍人でございと、名刺を配ってるようなもんだ!」
「失礼しました………ではなく、すんません………」
ちらりと中将の顔色をうかがう。中将は丸顔を崩して、満足そうに微笑んでいた。
やりにくいな。
そう思ったが、任務は任務。指示を受けなければ、軍人は動かないのだ。
「………それで中将」
「おやっさんだ。俺のこたぁ、そう呼んでくれ」
「ではおやっさん、自分は………俺はここで、何をすれば?」
「まずは軍人臭さを抜くこと。それから任務にあたってもらうことになるが………」
来た! いよいよ初任務だ!
「緋影に物を教えてやってくれ。山ン中から出てきたばかりの田舎者でな。読み書き算術、米英語なんてのもいいさな。それが第二の任務だ」
「そ、そんな………」
「そんなもこんなも無いさ。この施設の名前を言ってみろよ」
「この施設………海軍ヨコハマ学校です!」
「そう! だったら物を教えて教わるのは、当然のことだろ?」
「よろしくお願いしますね、先生!」
緋影がニッコリ笑う。
田舎くさい笑顔だが、野の花が咲くように可憐だ。
「駄目かい? こんな任務は」
駄目かいもなにも、何故海軍の秘密施設で学校の真似事を………そりゃ確かに、ここは学校を名乗ってるんだけど………。
緋影の顔を見た。
駄目ですか? と、緋影もうるんだ眼差しで、俺を責めている。
「いやなら嫌でかまわない、正直に言え。直接艦隊司令官に掛け合って、厳しくても遣り甲斐と誉のある艦に乗せてやる。故郷の御両親に、自慢できるぞ」
それは魅力だ。というか俺はそれを目的に海軍を志願し、士官学校の狭き門をくぐり抜け、努力を重ねて主席を勝ち取り、歯を食い縛って卒業したんだ。
だけど………。
緋影がうつむいている。
小さな握り拳を膝にのせて、うつむいている。
決定的な一言………勘当だ! という言葉を待つように、うなだれていた。
そもそも軍隊とは、何のためにある?
簡単なことだ。民のしあわせのためにある。
では海軍とは、何のためにある?
輸出輸入のためのシーラインを………ひいては民の豊かさを守るため!
ということは大矢健治郎! お前は民のためにあると言える!
そんな大矢健治郎が、幼き娘一人の願いもかなえられんで、なんの軍人かっ!
「そんなこと、あるわけ無いっすよ………おやっさん」
自然と口をついて出た。
「ちいさな女の子の願いひとつ叶えられんで、なんの海軍将校ですか!」
ここで退いたら、きっと後悔する。ここで目先の欲を選んだら、一生悔やむ気がする。
ならば言え、大矢健治郎! たったひとりの娘のために、粉骨砕身必死三昧を誓うとっ!
「緋影!」
「は、はいっ!」
「俺の学問は海軍仕込み! 生半可じゃないぞっ!」
「はいっ!」
「中将………でなくて、おやっさん!」
「おうよ!」
「海軍少尉大矢健治郎、ひたすら身をかくして、天宮緋影を教育するために………我が身をささげますっ!」
「よし、よく言った! そんな大矢健治郎に、第三の任務を与える!」
「はいっ! なんでも申しつけてください!」
「天宮緋影と仲良くなれ!」
「大矢健治郎! 天宮緋影と、仲良くなりますってナニーーっ!?」
「それこそが救国の一策! ゆけっ、大矢健治郎! この任務を果たすのだっ!」
「納得いかねーーっ!」