緋影さまは人気者
緋影が祝福した駆逐隊が、演習で大戦果をあげて以来、南野家には電報がひっきりなしであった。
曰く、我が艦隊も祝福して欲しい。こちらは鎮守府ごと祝福してくれ、という内容である。
しかし緋影の身はひとつ。
「どうしましょうか、お父様?」
緋影が困り切っている。当然のように俺も、妹の苦悩を解消するべく、頭をひねっている。
しかし中将の解答は簡単なものだった。
「緋影にとって、無理のないようにすればいい」
「ですがそれでは、すべての船を祝福できません」
「だったらそれまでよ」
は? なんですか、その解答は?
今は大国オロシヤ相手に、国家国民一丸となって、総力を尽くす時でしょうが!
それを、なんですかその、無責任な発言は?
怒りにも似た感情が込み上げて、口を出そうとしたが。
「不満そうだな、健治郎」
「当然です! 中将のような考えでは、勝てる戦さも勝てなくなると思います!」
「なんだよ、お前も霊験効能を確かめたら、手のひら返す口なのかよ?」
「それとこれとは話が別です! 現に緋影の祝詞は効果があります。ならば………」
「ならば? ………まさかとは思うが、お前。緋影の青春のひとときを削ってでも、海軍に協力しろとかヌカすのか?」
「そうは言ってません!」
「ならばどのように言ったのか、この俺に説明してくれや。もちろん俺が納得いくように」
「………………………………」
クソ………なにをどう取り繕おうとも、軍至上主義の答えになってしまう。
緋影の犠牲を前提にした勝利など、望んでいないのに………。
だが、もともと緋影を巻き込んで、あまつさえ現場にまで投入しようと考えているのは、軍の方ではないか。今さら何を言っているやら。
「まあ、そんな綺麗事ヌカしたところで、緋影を軍に引きずり込んだのは、間違いなく俺。それをフラフラと揺れて、善人の真似事してるのも俺。みんな俺の腰の座らなさが悪いのよ」
中将は機嫌があまりよろしくないようだ。
「まあいい。二人とも、あまり無理しないように、艦隊の祝福に出てくれや。なぁに、今日明日に戦さが始まる訳じゃねぇ。それにいざとなりゃ、相手は船だ。俺がヨコハマまで呼びつけてやる」
まったく、人気者というのはツライものだ。
「緋影、体調が悪い時は、すぐ俺に言うんだぞ?」
「わかっております、お兄さま」
とりあえず、緋影が海軍の人気者になったという事実を、確認した夜だった。
が。
「………どうしましょうか、お父様」
「………どうしようか、ってなぁ」
居間に入ると緋影が困り顔。
中将も苦笑を隠しきれてない。
ちゃぶ台には、小山のように積み上げられた、電報が。
「どうしました、二人とも?」
俺の声に中将が顔をあげる。
「どうしたもこうしたもあるか、見てみろコレ」
「電報の山ですな。………ほう、陸軍の師団からですか?」
「どこで話を聞きつけたか、陸軍まで緋影に祝福してくれと来やがった」
すっかりにがり切っている。
「………行かない訳にはイカンでしょ?」
「海軍が立案したんだぞ、陸軍までしゃしゃり出て来るなっての」
「お兄さま、お兄さま」
小さな声で、俺の袖を引いてくる。
「美味しい名物がある土地を、優先しませんか?」
「旅行じゃないんだぞ?」
「ですが、お兄さまとお出かけには、変わりありませんよね?」
まあ、東北の山奥で産まれ育ったのだ。お出かけは楽しみなんだろうな。わからないでもない。
緋影は日本地図を広げて、電報と照らし合わせはじめた。どうやら本格的に、全国旨いもの制覇に乗り出すつもりらしい。
「緋影さま、それでしたら仙台のズンダなどはいかがでしょう?」
「あら鏡花さん、いらっしゃい」
っていうか出雲鏡花、お前はどこから出て来やがった。
だがその疑問も、一瞬で氷解した。
出雲鏡花の背後には、忍者がいたからだ。どうせこいつが理不尽な技術をもちいて、出雲鏡花を居間に押し上げたに違いない。
しかし、娘二人の会話はよどみなく進行する。
「それで鏡花さん、ズンダとは一体なんなのですか?」
「お餅ですわ、とてもお味がよろしいものでして。仙台は他にも、牛タンや銘菓萩の月もございますので、私たち二人の旅行には向いているかと」
「同じ東北でありながら、おそるべし仙台。そんなに名物にあふれてましたか」
「緋影の村には、名物は無かったのか?」
「ありましたよ? 田んぼと畑と、冬に猛威を奮う八甲田山が」
故郷での、緋影の暮らしが忍ばれる。
出雲鏡花は、なおも地図を指でなぞっていた。
「ヨコハマから反対側に走れば、快都名古屋が。こちらでは味噌煮込みうどん、天むす。さらには巨大あさりなども楽しめますわ」
「名古屋を制覇したら、大阪へも足を伸ばしたいですね」
「たこ焼きやお好み焼きといった粉モノもよろしいですが、やはり駅前の食堂でいただくキツネうどん! 出雲鏡花はここをイチオシにさせていただきますわ!」
ずいぶんと庶民的だな、財閥令嬢。
「知ってましたか、鏡花さん?」
「なんでしょう、緋影さま?」
「日本の一部地域では、ライスカレーに生卵を落として、フランス風と称するそうですよ?」
「それでしたら緋影さま、日本の一部地域では焼き鳥を注文すると、ブタ串が現れるそうですわ」
「鏡花さん? 串カツといえば?」
「とうぜん牛ですわ」
「私の地域では豚です。しかも肉と肉の間に、玉ねぎが刺さっていたりします」
「ウソっぱち広告として、藤岡さまに電話して差し上げてくださいませ」
「藤岡さまとは?」
「どなたでしたかしら?」
うん、そろそろ話題が危険な方向に走りはじめたね。
とりあえず二人の後頭部に、ハリセンチョップを一発ずつお見舞い。
沈黙させることに成功した。
「ちきしょう、健治郎め。手前ぇひとりで可愛らしい娘っ子を、二人も抱え込みやがって」
いや中将、つーかいい年こいたオッサン。
あんたナニ言ってんのさ?
「俺だって無粋な海軍部の指示がなけりゃ、一緒にあちこち出歩くものをよぉ………」
うん、みんな勘違いしてるぞ。
これはバカンスの旅行じゃないんだ。
立派な軍事行動、作戦なんだ。忘れるなよ?