船の神さま
堺の案内でゾロゾロと、埠頭を歩く。
港の正門をくぐった時点でわかっていたのだが、現在ヨコハマに寄港している艦船は、駆逐艦ばかりだった。
だが山国育ちの緋影は、生まれてはじめて見る艦船に、瞳をキラキラと輝かせている。
「お兄さま、お船! お船!」
「あらあら緋影さまったら、海軍のお船を見るのは、初めてですの?」
「すごいですよ鏡花さん! 大砲をのせて魚雷を積んで! まさに世界最強のお船です!」
この評価には、堺が苦笑いだ。俺は知っている。今日このヨコハマに停泊している船たちは、オロシヤ相手には型遅れの旧式艦船。
まともに訓練にも参加させてもらえない、大時代的な駆逐艦なのだ。
「うんうん………お兄さま、鏡花さん。これは良い仕事ができそうですね」
緋影はそう言って、紙切れと矢立を取り出した。
そこにスラスラと一筆。
書き上がるとすぐに紙切れは、俺たちに渡された。
理解できない文字が、流れるような筆の運びで、それなりの形になっている。
「お兄さま、それと鏡花さんの兄上。これから天宮の業を堪能していただきますので、どうぞヨシナに」
と言って、紙切れを渡してくれる。
「私が祝福の儀式をはじめたら、いまお配りしたお札を帽子のひさしのように、こうやってかざしてみてください」
「緋影さん、鏡花には渡してもらえないのかな?」
出雲・THE・ジャイアントが、身を屈めて緋影に訊く。
「鏡花さんは昔から、神さまや使い魔が見えないんです。なにをどうやっても………きっと体質なんですね」
緋影も少し残念そうに目をふせる。
「かまいませんわよ、緋影さま。私は貴女のお側にいられるだけで、心からしあわせなのですから」
「おぉっ! マイ・スイート・鏡花! なんて健気な妹なんだ! お兄ちゃんは誇りに思うぞーーっ!」
出雲鏡花を巨漢が抱擁、そして頬ずり。
出雲鏡花は見る見るしなびてゆく。………よっぽど嫌なんだろうな。この暑苦しい抱擁が。かなり元気がなくなったぞ、死ぬんじゃないのか?
「さあ、お客さま方。いよいよ乗船ですよ」
駆逐艦のそばまで着いた。タラップをのぼれば、そこは船の上だ。
「どうぞ、乗員一同、食堂でお待ちしております」
石炭と油の香る艦内へ。窓の少ないタラップを、今度は降りてゆく。
船体の中央あたりが食堂だ。
休日というのに、みな制服で整列していた。
食堂に入りきらない乗員は、後部へと列を伸ばしている。
海軍特有の儀式的なやり取りのあと、緋影が乗員たちの前で一礼。
そして食堂正面に飾った神棚に向き合う。
手を合わせ、モゴモゴと祝詞をあげる緋影。俺はそっとお札を出し、目の上にかざす。出雲のデカブツも、俺に習った。
うっ、と俺がうなれば、出雲大介もううっとうなる。
緋影の周囲に、半透明の少女たちが群がっていたのだ。みんなセーラー服である。そして、同じ顔だ。差異があるとすれば、腕章の色だろう。
赤い腕章は砲雷科だろうか? ちょっと気の強そうな目をしている。
黄色の腕章は船務科だな。賢そうな顔立ちだ。
青の腕章は機関科に違いない。制服が少し、石炭のススで汚れている。
緑色の腕章が、一人だけいた。きっと主計科だ。
これがおそらく、船をつかさどる神々なのだろう。みな一様に、緋影の祝詞の抑揚にあわせて、ゆらゆらと身を揺らしていた。
やがて緋影の目の前に、少し背の高い娘が現れた。
いわば艦長クラス。神さまの元締めの立場なのだろう、と察する。
その元締めが緋影にほほえみ、頭をやさしく撫でていた。
祝詞が済むと元締めは姿を消し、各分隊の神さまたちも持ち場に帰って行った。
しばらくポカーンとしていた。
当たり前だ。
生で神さまを見てしまったのだから。
馬鹿のように口を開けていた俺は、決して悪くは無いはずだ。
そして中将の言葉を思い出す。
神頼みで、オロシヤ帝国との戦さに勝機を見出だす。
あの時は失笑ものだった。そして緋影の祝詞を見るまでは、半信半疑だった。
だが、今はちがう。
神さまの存在、祝詞の現場を目の当たりにしてしまったのだ。
もう疑うことなどできはしない
艦長兼駆逐隊司令が緋影に礼を述べている。大佐の階級章がまぶしい。
「それでは次の船に案内します」
堺に導かれ、合計四隻の駆逐艦に、緋影は祝詞をあげて回った。
少し面白かったのは、船によって神さまの姿が異なることだ。
最初の船は長髪の少女の姿。次の船はショートカット。ポニーテールもいれば、栗色の髪の毛をしていたり。
ただ等しく言えることは、どの神さまも愛くるしく可愛らしい姿をしていた、ということだ。
「その顔を見るに、神さまのお姿を御覧になられたようですね、お兄さま」
港を後にするとき、緋影は誇らしげに言った。
「………すごいぞ、神さまって本当にいたんだ」
「そりゃそうですよ、そうでなければ、天宮一族に出雲家が援助する訳がありません」
「だが緋影、祝詞をあげた効能というか。それはどれほどの効果があるんだい?」
「それは後のお楽しみです!」
七日ほどして、中将から聞いた話なのだが。
緋影が祝詞をあげた駆逐隊はのちの演習で、対戦相手の駆逐隊の突撃をことごとく阻み、逆に魚雷を当てまくったということだ。
一時はこの駆逐隊を主力に格上げしようか、という話が海軍部内で持ち上がったほどだという。