出雲大介大登場
大矢健治郎視点
休日は大手を振って、町を歩ける。
そう、今日の俺は病弱で軍務をまっとうできなかった、ダメ人間を演じる必用は無いのだ。
病弱は体質であり恥じるものではないのではないか? そのように問うなかれ。
ヤワラギ男児たるものは常に健康、そして大元気。それこそが第一であるというのが、当世の風潮なのである。
健康と元気を資本に、大いに学び大いに働く。それこそが資源の少ない我が国の、基本にして大前提なのだ。
「よいお天気ですね、お兄さま」
緋影の笑顔も明るい。
今日の予定を告げられたのは、昨夜のこと。
「お兄さま! 明日は私に付き合ってください!」
めずらしくウシ鍋の夜のことだった。
三人で鍋を囲んでいるというのに、緋影は身を乗り出してきた。
「どうしたんだい、緋影? ずいぶん乗り気じゃないか」
「はい! 明日はお父様からの依頼で、ヨコハマに停泊している軍艦たちを祝福しまくりまくるんです!」
「ほう………」
とは言ったものの、懸念はある。
軍艦を祝福するのはいいが、それは艦内でおこなうものか? だとすれば入艦手続きはどうするのか? 相手は軍事機密の塊だぞ?
「お兄さま? なにか気がかりでもございますか?」
「うん」
うなずいて、俺は胸の裡を明らかにした。
「そこはそれ! 海軍中将のお父様のお力で!」
「いいんですか、お父さん」
確認をとると、中将はウィスキーのグラスをグビリ。
「いいんですかも何も、お前が緋影の能力を疑ってるから悪いんだろ?」
はい、おっしゃる通りで。
「緋影が一生懸命、軍艦を祝福するんだから、文句なんかたれるなよ?」
「わかりました」
「ちなみに明日のお出かけ、出雲鏡花も同行するから、粗相の無いようにな」
ほ? 出雲鏡花?
あの「沈黙の暗殺者」が一緒なのかよ!
なんで? どうして?
「はい! 鏡花さんが是非にと!」
「俺、生きて帰れるよな?」
「なにを言ってるんですか、お兄さま? なぜ鏡花さんが参加すると、お兄さまの生命が危うくなるのでしょう?」
「いや、いい………もういい。緋影はそのまま素直に生きてくれ」
ということで、緋影の晴れやかな笑顔とは裏腹。俺の気分はブルーそのもの。
生命の危機にさらされてるんだ。そう感じるのは当然だよな。
しかし!
緋影を見た。
白と赤だ。
巫女装束である。
この服装で出歩くことに、緋影は何の疑問も感じていないらしい。
「作業着ですから」
出がけに緋影は平然と言った。
まあ、緋影。お前にとっては単なる作業着なのだろうが、明示ヤワラギ男児にとって巫女装束というものは、心ときめき胸きらめく衣装なのだぞ。
そして俺もまた、健全なるヤワラギの男子。妹の黒髪に男が騒いでしまうのだ!
「お兄さまの海軍制服だって、乙女にとっては胸キュンキュンな服装なのですよ? ご自覚あそばせ」
などと笑っていたものだが。
そうそう、今日は公務ということで、久しぶりに制服を着込んでいる。なにしろ軍艦に乗り込み、中将の代理ということになっている。粗相はできない。
と、すでにヨコハマ港入り口。
ここで出雲鏡花と待ち合わせ、ということになっている。本当に、出雲鏡花。なんでついてきてるのか? タニマチというのは、口を出さずに金を出す、ってのがスジだろうに。
「お兄さま、鏡花さんがお見えですよ?」
緋影の指差す先には馬車が。四頭立ての立派なものだ。
洋館建ち並ぶ、異国情緒あふれた石畳の上を、乾いた音を立てながら駆けてくる。
これで鹿鳴館の貴婦人みたいな、ゴテゴテドレスで降りて来たらどうしようか?
そんな不安が頭をよぎった。とりあえずドン引きだろう。軍艦にはまったく似合わない。そして狭い艦内だ、通路ひとつ歩くのにも、不便すぎる。
もしそんな格好で現れたら、即座に乗艦をお断りすべきだろう。その方が俺も安全だ。
馬車が停まる。
出雲鏡花が降りてきた。
いささか残念なことに、出雲鏡花は紺色のワンピースに白いストッキング。そして革のローファーという、ごく大人しい服装で現れたら。
しかし、どこかやつれている。
デコの輝きも少し翳りがみえた。
理由はすぐにわかった。
彼女の背後から、巨漢が馬車を降りてきたのだ。
若い。そして巌のごとき肉体だ。
開襟シャツに太いズボン。俺にはわかる。あのズボンは流行遅れとかではない。
この男、太いズボンでなくては脚が通らないくらいに、下半身を鍛え上げているのだ。
そして瞬時に判断した。
これが噂の御曹司だなと。
巨漢は頭を下げた。
「出雲鏡花の兄、帝都大学三回出雲………大介です」
まるでフランケンシュタインのモンスターだ。
そんな圧倒的な大男が、暗く底光りするような眼差しで俺を射る。
しかし海軍少尉たる者、地方人などに気合い負けしてはいられない。
臍下丹田に力をいれて睨み返す。
「海軍少尉、大矢健治郎です………はじめまして」
男同士の、緊張感あふれる邂逅だ。一触即発の雰囲気は、ゴング前にたたかいが始まっている証拠。
「あら、お兄さんまでお越しなのですか♪ 今日は出雲家に出資していただいている、天宮の技。堪能してくださいませ」
あの、緋影? お兄さんたちは今、とてもシリアスな場面を演じていたんだけど。
「おぉ、緋影さん。俺も天宮一族の技を見るのは初めてだから、楽しませてもらうよ?」
おう、デカブツ。
お前もヤニ下がってんじゃねぇよ。さっきの緊張感、どこ行きやがった?
この男、緋影に色目を使ってる訳じゃないが目尻をさげて、すっかりお人好しのお兄ちゃんになってやがる。
面白くない。
うん、この感情は面白くないと表現するのが、正しいようだな。
とにかく俺としては、このデカブツを早いとこ、緋影から離してしまいたい。
「それじゃあ緋影、早速中に入ろうか?」
「そうですね、お兄さま。さ、鏡花さんもこちらへ」
妹たち二人が先に立つ。
自然と俺のとなりに並ぶデカブツ。
「………少尉さんよ」
妹たちには届かぬ、低い声だ。
「鏡花に色目使ったら、反り投げ三連発だからな」
「そっちこそ」
俺も低い声で返す。
「緋影に手を出したら、四方投げ五連発だからな」
「合気道かい」
「レスリングにアメフトだってな」
手の内は、お互いに知っているようだ。
「俺のレスリングは競技向きの、お上品なもんじゃないぞ」
「俺の合気道は型ばかりの、盆栽じゃないからな」
面白い男だ。
御曹司にしとくにゃもったいない。
周囲の空気を凍りつかせるような、男同士の緊張感を漂わせたまま、俺たちは正門をくぐった。