ゆけ! 大矢健治郎!
まずは読者のみなさま、目をつぶってみましょう。
目をつぶったら、全速力だ!
一緒に駆け抜けましょう!
帝国海軍少尉、大矢健治郎! 明示三十五年三月二十八日付を以て、海軍士官学校卒業により海軍ヨコハマ学校へ着任しました! よろしくお願いします!
うん、着任挨拶は間違いない。任官早々ヘマはできないからな。
何度も何度も繰り返し、着任挨拶を心の中で練習する。
あ、はじめまして。自分は大矢健治郎。冒頭申し上げました通り、なり立てパリパリの海軍少尉です!
このたび首席卒業を見込まれてか、新設の海軍ヨコハマ学校へ配属が決まり、移動の汽車の中です!
噂ではこのヨコハマ学校、今後の海軍………あるいは我が国の行く末を左右するとかしないとか言われている、重要なポジションなんだとか………。
若い身、若い海軍士官としては艦隊勤務を希望したいところですが、重要な新設部隊とあればわがままは言っていられません。というか、そちらの方が面白そうだし。
それに、陸上から同期同胞の活躍を支えるのも立派な任務ですから、ましてそれが重要なポジションとあれば、張り切らざるを得ないというところです!
そんな訳で、ヨコハマ下車。
なにごともスマートな海軍軍人らしく、あらかじめクレ鎮守府で購入してあった地図をもとに………。
というか、港ヨコハマの景色。
美しく並べられた石畳と、洋風の洒落た建築物。
こんなハイカラな街に、武骨な海軍施設があっていいのか? と思ってしまうほど。
いやいや、港には真っ白に塗装された軍艦が、埠頭に係留されていて、それが海の青の中に映えていて。
ん! 考え方を改めよう!
この風景には海軍だから似合うんだ。汗とタムシが香る陸軍なんぞには、まかせちゃおけない!
ということで、改めて地図をば………。
「………あの」
えぇと、海軍ヨコハマ学校はと………。
「あの………もし………」
ん? なにやらうら若き乙女………しかも振り袖に袴、編み上げブーツの女学生が、物言いたげに俺を見上げている。
麗しの黒髪、ちょっとあか抜けない純朴な顔立ち。小柄で華奢で、なんとも儚げなお嬢さん。
地元の女学生か? いや、田舎から出て来たばかりで、学校の方角がわからなくなったのか?
あり得る。だから地図を広げていた俺に、声をかけてきたのだろう。
「どうしました、お嬢さん。道に迷いましたか?」
「いえ、その………」
言い淀んでいる。
これはあれだな。乙女として口にするのが恥ずかしいことを、何かしら言いたいのか?
「じゃあ、お腹が空いているとか?」
少し身をかがめて、彼女の視点に顔をおろす。
「そ、そうではありません!」
小さな拳を振って、必死に否定する。
そりゃそうだよな。お腹が空いてるなんて、恥ずかしくて普通は口にできないだろう。
それをズバリと言ってしまうなんて、俺って奴は………。
「あの、海軍の大矢健治郎少尉でしょうか!」
「………?」
え? なぜ俺の名を?
「海軍ヨコハマ学校からお迎えに上がりました、天宮緋影です!」
海軍ヨコハマ学校から………?
あ、そうかそうか。そりゃそうだよな。
そりゃそうだよな、の意味がわからない方へ。
陸軍の事情は知りませんので、海軍に限っての話ですが。
ご存知の方もいらっしゃると思いますが、海軍基地………いわゆる鎮守府というのは、ヨコスカ、マイヅル、クレ、サセボと、かなり散らばっています。ここに大湊警備隊もふくめると、さらに全国津々浦々。
ゆえにいざ転勤ともなれば、地理不案内な場所へおもむくことになります。
駅から出て鎮守府まで徒歩でゆくことになるのですが。
いかに地図を見ても、不案内なものは不案内。道を間違える、時間を遅延するなど、海軍将校から兵卒にいたるまで、あってはならないことなのです。
ということで、将校兵卒を問わず赴任者着任者がある場合、必ず出迎えをよこすものなのです。
で、ヨコハマ学校からのお迎えが、小学校を出たかどうかあやしい娘さんで、彼女についてゆけばいいのです。
って、おぉうっ!?
こんな幼い娘さんについて行くって………おおっ!?
いいのか? 先年大国シンに圧勝した、栄光ある大ヤワラギ帝国海軍の新任少尉が、こんな幼い娘さんに手を引かれながら着任って………改めて、おぉう!?
「どうされましたか、少尉さん?」
娘さん………たしか、名前は緋影さん、彼女は可愛らしく小首をかしげた。
「い、いや………あなたのような可愛らしいお嬢さんが、俺………自分みたいな武骨者を出迎えてくれるなんて、嘘みたいで………」
「そんな、可愛らしいだなんてホントのこと………少尉さん、お上手です!」
とかなんとか言いながら、俺の背中をペシペシ叩いてくる。
なにげにスキンシップをはかって来る娘だなぁ。
つーか可愛らしいって言ったのを、ホントのこととか言ってるし。
わりと図々しいというか、押しが強いって言うのか………。
「正直者の少尉さんのこと、しっかり学校までお届けしますから、私についてきて下さいね♪」
平たい胸をドンと叩いて、天宮緋影は見得を切る。その姿が、なんだか可笑しいやら頼もしいやらで。
「じゃあ、お願いしようかな。天宮さん………」
「緋影とお呼びください、少尉!」
「よし、わかった。たのむぞ、緋影!」
「はい!」
しかし五分後。
俺たちは、しっかりと迷子になっていた。
「ここどこ~~っ!?」
「大丈夫、緋影。こんな時こそ地図を………って地図どこ~~っ!?」
海軍将校たる者、道に迷うことなど、あってはならない。