第67話・本質
ああ、腹が苦しい……。
一生分の野菜食った気分なんだが。肉は全然食ってないのに。まあ健康に良いのは確かなんだろうけど。
「ケージさん、コーヒーでも入れましょうか?」
「ああ、頼むよ」
時刻は午後9時。
エルとエラムは鍋を食べ終わってからギルドに向かって行き、ケイジとテリシアの2人は片付けと入浴を済ませリビングでくつろいでいた。
ふわりと嗅ぎなれたコーヒーの匂いが漂ってくる。
昔はコーヒーなんて全く苦手だったのに、今は凄く美味く感じるんだよなぁ。俺もちったぁ大人になったってことかね。
まあ、大人ってヤツの定義なんて分からないが。
「はい、どうぞ」
「サンキュ」
暖かく、優しい苦味が口に広がる。と言いたい所だが、実際はまだかなり熱い。だがそれがいい。
「ふぅ……」
満腹感と、コーヒーと入浴による暖かさが眠気を誘う。元居た世界ほどでは無いにしても、収穫祭が終わった頃からだいぶ冷え込み始めているのだ。
「ケージさん」
「どうした?」
「隣、いいですか?」
四角いテーブルを挟んで反対側のソファーに座っていたテリシアが言う。
「ん、いいぞ」
その言葉を聞くとすぐにテリシアは立ち上がり、ケイジの隣に寄り添うように座った。
そしてその右手を愛おしそうに握る。
そんな彼女にケイジは不思議そうな顔で、
「テリシア……?」
「ケージさん」
「はい」
「好きです」
「俺もだ」
「俺もだ、じゃなくて、ちゃんと好きって言ってください」
「好きだよテリシア」
「もっと言ってください」
「大好きだ」
「もっと」
「愛してるぞ」
「もっと」
□■しばらく甘々が続きます■□
「……急にどうしたんだ?」
惚気合戦を暫くやった後、ケイジが尋ねた。
「……嬉しかったんです」
手だけではなく、腕全体を抱き締めてテリシアは言った。
「私、ユリーディアに来てからはずっと1人でした。メルやミルさん達は居てくれても、家に帰ったら1人で……」
俺もそうだった。
仕事を終えて、血を洗い流して帰っても、それを待つ人間なんていなかった。
「ギルドにいる時は皆さんが励ましてくれるから平気だったんですけど、家に帰るとどうしても……寂しくなってしまって……」
平気のつもりだった。
それが当たり前だと、そうじゃなきゃいけないと思っていた。
「やっぱり辛かったです。私は何の為に生きてるんだろうって。生きていて、この先に何か良いことでもあるのかなって」
目的なんて見えなかった。
殺して、殺して、ひたすら殺して。ただただ血に塗れていく。
こんなことをして何になるのか、そんな疑問を、疑念を、押し潰すように血に塗れながら生きていた。
「でも、今はみんなが、ケージさんがいる」
そうだ。
「もう、私は1人じゃないんだなって」
俺はもう、1人じゃないんだ。
「もう、あの苦しみを味わう事は無くなるんだなって」
俺には、仲間がいる。大切な人がいる。
「それが、本当に嬉しかったんです」
俺は、1人じゃない。
「……そうか」
「ケージさんはどうですか?」
「え?」
「ちゃんと、今が幸せですか?」
「そんなのーーー」
『本当に幸せなのか?』
ッ!?
『本当に、お前はこのままで良いとでも思っているのか?』
何だ、誰だ!?
『お前は、こんな茶番がやりたくてわざわざこのゴミ溜めのような世界で生き長らえているのか』
黙れ! 俺は、俺はもう意味もなく人を殺すのは嫌なんだ!
「ケージ、さん?」
テリシアが不安げな顔で尋ねる。
ケイジの顔には冷や汗が浮かんでいた。
『今更何を言っている。世界が変わったから自分の罪が消えたとでも思っているのか? 自分が殺した人間の魂は消えたとでも?』
違う、俺は、俺はただ、人の為に
『人の為だと? 自分の行動原理も理解せぬままに人を殺し続けたような人間が他人の為だと?』
俺は……!
『あの悪魔に乗せられて善人ぶるのはいい加減にやめろ。お前が今、この世界で何をした所で、少し気の合う人間を愛しているなどと錯覚した所でお前という人間の本質は変えられない』
違う……! 俺は、テリシアを本気で……!
『偽りだ』
頭に浮かぶ誰かの言葉が心を抉る。
『何をしようと、お前はお前だ。仮面を被って誤魔化すのはやめろ』
違う! 俺は、もうブラックじゃないんだ!
『今、それを否定しているお前は本当のお前じゃない。そうじゃないのか?』
ど、どういうことだ?
『お前は自分に酔っているだけだ。現実から目を逸らし、あまつさえ英雄の真似事などをして良い人間に成り上がった気でいる』
お、俺はそんなんじゃ……!
『自分の本質から逃げるな。取り繕うな。誤魔化すな。自分は何の為にいるのか、よく考えろ』
俺は皆を、テリシアを守る為に……!
『……そのまま偽善者を続けるのならお前は、お前の周りの連中も巻き込んでいつか必ず最悪の結末を迎える事になる』
最悪の、結末……?
『所詮ガキの遠吠え。口だけ達者になった所で何も守れはしない。お前になど、何も』
黙れ! 俺は、必ず皆を守るんだ!
『さっさと本当の自分を思い出すんだな。後悔する前に』
「ケージさん!!」
「はぁ、はぁ……」
テリシアの声にハッとなった。頭の中の声は聞こえない。
「大丈夫、ですか? 体調悪そうですけど……」
「悪い、心配掛けて……俺は大丈夫だから……」
1人になりたい。
そう思い、立ち上がるケイジ。だがその足元は覚束無い。
「ッ……」
「危ないっ!」
躓き、倒れるケイジとそれを何とか受け止めたテリシア。まあ結局2人とも転んでいるのだが。
「ケージさん、やっぱり何か変ですよ! どうしたんですか?」
「何でも、ないんだ……何でも……」
俺は、俺は……。
「今日はもう、寝るよ……」
「分かりました、ゆっくりなさってください……」
ふらふらと寝室に入る。そして、力の入り切らない右手に無理矢理魔力を溜め、瞬転移をした。
すぐにテリシアが部屋に入って来たが、そこにはもうケイジはいない。
「ケージさん……」
誰も居ない寝室で、テリシアは1人呟くのだった。




