3.谷底へ
どうして、カナリアさんがここに……!?
そんな疑問を抱きながらも、私とリアンさんの身体は重力に従って、橋の下に広がる谷底へと落下していく。
「うわあぁぁぁぁぁッッ!? 落ちてる!! 落ちてるよレティシアぁぁぁッ!!」
「分かっていますわ!」
完全にパニック状態に陥っているリアンさんは、橋が落とされる直前に咄嗟に私にしがみついていた。
これだけ大慌てしている人が隣に居ると、一周回ってこちらが冷静になってしまうものなのだな……と頭の片隅で思いながら、谷底の状況を視界に捉える。
橋を渡っていた時には気が付かなかったのだけれど、この下には川が流れていたのだ。
この高さから落ちてしまえば、身体が水面に叩き付けられる危険があるだろう。打ち所が悪ければ、大変な事になってもおかしくはない。
「……っ、我が呼び声に応えよ! 風の精霊よっ!!」
私は着水してしまう前に、瞬時に風魔法を発動させた。
けれどもそれは、具体的な魔法の行使ではない。
風の精霊達に呼び掛け、ひとまずその力を形にしてもらう──たったそれだけの簡易的な魔法ではあるものの、私達の身体は下方向から風で押し上げられたのである。
そうして少しでも落下の勢いを殺し、最小限の高さから川に飛び込んだ。
全身丸ごと水の中に飲み込まれ、想像よりも激しい川の流れに飲み込まれていく。
制服は水を吸い、身体に重く纏わり付く。これがもしもフリルたっぷりのドレス姿であったら、今以上に身動きが取れていなかっただろう。
私とリアンさんは、少しでも水面から顔を出そうと、必死でもがき続けた。
どこか……どこかに、川から上がれそうな場所は……!?
一瞬でも水面から顔を出せたタイミングで、川岸が無いかどうかを確認する。
なるべく早く川から脱出しなければ、このままどんどん体力を消耗していくだけになってしまう。溺れてしまえば、ほぼ助からないだろうから……。
その時、川上の方からドポンッ! と大きな水音が聞こえてきた。
もしかすると、上に居た誰かが私達の後を追って、川に飛び込んで来たのかもしれない。可能性が高いのは、ウォルグさんかお兄様のどちらかだろう。
でも……正直に言って、これ以上は私の身体が保ちそうになかった。
私はリアンさんのように、体力に自信がある訳ではない。セイガフに入学して、以前よりは体力が付いてきたようには感じられるけれど……水の抵抗というのは、想像以上にスタミナが持っていかれてしまう。
「レティシア! レティシア、大丈夫か!?」
そう呼び掛けてきたのは、リアンさんだったのか……それとも……。
とうとう私は限界になってしまい、水の流れに逆らう体力も底をついてしまう。
川に呑まれ、呼吸が出来なくなり、もう意識が途切れてしまいそうになる。
その寸前、誰かが私の手首を掴んだ感触があった。
私を掴んだその手は、絶対に私を離すまいと、痛みすら感じる程の力が込められていた。
この手に掴まれていれば、きっと大丈夫──。
自然とそう感じながら、私は安心して身を委ねるのだった。
*
「……かはっ! げほっ、げほっ……!!」
激しく咳き込むと同時に、私の口の中から水が飛び出していく。
仰向けに寝かされていた私は、どうやら奇跡的に助かっていたらしい。
「レティシア! 良かった……オレのせいでキミが目を開けなかったらどうしようって、ずっと怖かったんだ……!」
「リアン、さん……」
身体を起こすと、川の水だけではない液体で顔をぐっしょりと濡らしたリアンさんが、涙声になりながら私の無事を喜んでくれていた。
更に横に目を向ければ、そこにはやはり彼が──私達と同様にびしょ濡れの姿になっていたウォルグさんが居た。
「レティシア……!」
「ひゃあっ!?」
すると彼は、急に私の身体を抱き締めてきた。
痛い程のその抱擁から、やはりあの時私の手首を掴んで来たのはウォルグさんの手だったのだと実感する。
それと同時に、彼への感謝と申し訳無さが胸に込み上げて来る。
何故なら私は、彼との約束を破ってしまったからだった。
「……ごめんなさい、ウォルグさん。すぐに戻るつもりでしたのに、こんな事になってしまって……本当にごめんなさい」
私は彼の胸に顔を埋めながら、彼の背中に腕を回す。
彼を一人にしてしまわないように……そう思っていたのに、結果的にウォルグさんに心配を掛けてしまった。そのうえ、危険を承知で私達を助けに来させてしまった。
それにウォルグさんでなく、お兄様にもルークさんにも、とんでもない心配をさせてしまっているだろう。
すると、ウォルグさんが言う。
「……橋が落ちたのは、お前のせいではない。リアンの助けになろうとしたお前の行動は、間違ってなどいない」
「ですが……一歩間違えば、私達を助けに来て下さった貴方まで溺れてしまう危険もあったのです」
「それでも俺は、谷底へと落ちていくお前を見て、居ても立っても居られなかった……!」
心の底から叫ぶように、彼は声を絞り出している。
ウォルグさんは私を抱き締めていた腕を解くと、今度は真っ直ぐに私の目を見詰め、こう問い掛けて来た。
「距離があって、俺達の方からは顔までよく見えなかったが……。あの橋を落としたのは、行方不明になっていた騎士の女で間違い無いな?」
「……はい。様子はおかしかったと思いますが、副団長のカナリアさんにしか見えませんでしたわ」
「で、でもさ……。あの女の人、背中にでっかい羽が生えてたよな……?」
リアンさんの言葉に、私は重く頷いた。
「……どうして彼女の背中にあんな羽があったのかは分かりませんが、あの女性はどう見ても、カナリアさんにしか思えませんでした」
「それでも、何故姿を消していた女がリティーアにまでやって来て、わざわざ俺達の前に姿を現したのか……」
「理由が……全然分からないよね……」
あれがカナリアさんによく似た別人だとしても、私達を襲って橋を落とした理由が分からない。
……彼女が吸血鬼の眷属にされてしまった、という可能性を除けばだが。
千年前の巫女と魔王の戦いにおいて、吸血鬼はルークさんを除いて、ほぼ全員が魔王の側に付いていただろう。
その時代の生き残りか、子孫であると考えられるクリストフというあの吸血鬼……。彼が魔王側の吸血鬼ならば、私達が女神の神器を集めているのを知って、カナリアさんを操って襲わせに来た可能性があるのだ。
吸血鬼に血を吸われた者は、その眷属となる。
それはとても有名の話で、昔話としても子供に伝えられている知識の一つだ。
攫われたカナリアさんがクリストフの眷属にされてしまったのなら、その能力としてコウモリの羽が生えていたと考える事も出来る。
事実確認は、吸血鬼であるルークさんに聞けば良いとして……。
「……ひとまず、私達はお兄様達との合流を急ぎましょう」
「そうだな。またいつあの女に狙われてもおかしくはない状況だ」
私は風魔法と水魔法を組み合わせ、私達全員の衣服と髪を乾かした。
どうやらここは、かなり下流の方らしい。橋の下よりも、水の流れがかなり穏やかな川辺に引き上げてもらったようだ。
「……エルフ共の魔力を感じる方向を辿れば、先程の集落まで辿り着けるだろう。俺が先導する」
「結構流されちゃったみたいだし、ルーク先輩達の所までかなり遠そうだよなぁ……。日暮れまでに追い付けると思う?」
「それは厳しそうだと思いますわ」
お兄様なら転移魔法も簡単に使えるけれど、私にはそこまでの実力も、魔力量も無い。
女神の長杖を使って無理をすれば可能かもしれないものの、それでまた倒れてしまっては、今度こそ無事で済むかも分からない。
そのタイミングで襲われたら大変というのもあるけれど、魔力の使いすぎは身体に負担が大きいからだ。
……それに、もし転移魔法が出来たとしても、私はこの国の土地勘が無い。現在地とあの橋があった場所がどれだけ離れているかを理解出来ていなければ、魔力の調整をミスして、とんでもない場所に飛んでしまう危険もある。
「うーん……。まあ、今は行けるとこまで行ってみようぜ! 野営の経験だってあるし、何よりウォルグ先輩も一緒なんだ。心強いったらありゃしないぜ!」
そう言って、リアンさんは元気よく走り出していく。
そんな彼の背中を見て苦笑しながら、私とウォルグさんも追い掛ける。
その途中で、私はウォルグさんにだけ聞こえるように「私達を助けに来て下さって、ありがとうございました」と告げると、彼は「……恋人として、当然の事をしたまでだ」と、小さく笑って返すのだった。




