4.潮風の香りに抱かれて
身体が……意識が、浮上する。
波のさざめき。
肌を焼くような日差し。
頬を撫でる風。
何故だか懐かしさを感じる、草木の匂い。
何かに導かれるように目を覚ました私は、自分が波打ち際にうつ伏せで倒れていた事に気が付いた。
腕を使って身体を起こそうとしたのだけれど、それは出来そうになかった。
私を抱き締めたまま、気を失っているウォルグさん。
……彼の腕を無理矢理解こうとするのは、どうしても気が引ける。
私の軽率な行動のせいで、彼にはとんだとばっちりを喰らわせてしまった。これ以上自分勝手に動くのは、絶対に良くないに決まっているもの。
「ウォルグさん……ウォルグさん、大丈夫ですか?」
自由に動かせた右腕で、声を掛けながらウォルグさんの肩を揺する。
……揺すりながらも、海水で濡れた銀色の髪が額や頬に張り付いているのを見て、いつもと違う彼の雰囲気にドキリとしてしまう。
張り付いた髪と悩ましげな表情に、何だか背徳的なものを感じてしまって……。
おまけに水着のままで身体が密着しているものだから、ウォルグさんの吐息も間近で感じて──胸が高鳴って仕方が無いのだ。
こんな時に不謹慎なのは分かっているのだけれど、お慕いしている殿方の普段とは異なる姿には、どうしようもなくときめいてしまうのよ……!
そんな私の心情など知る由もないウォルグさんは、それからも何度か声を掛けている内に、意識を取り戻した。
「うっ……レティ、シア……?」
「はい、私はここに……!」
彼のディープブルーの瞳が、私を捉える。
ウォルグさんはしばらく何かを考えるように沈黙していた。
意識がはっきりとしていくにつれて、彼の鋭い瞳に光が取り戻されていく。
「……無事、なんだな」
「はい……。ウォルグさんが、私を大波から護って下さったお陰です」
「そうか……なら、良い」
抱き締められたままだった私は、彼にそのまま抱き起こされた。
二人で周囲を見回してみると、ひとまず天候は回復しているものの、ケントさん達の姿がどこにも見えなかった。
「ここがどこなのかは……お前にも分からないよな」
「少なくとも、宿の近くの砂浜ではなさそうですわ」
あの大波に飲み込まれた結果、見慣れない砂浜に二人揃って漂流した……と考えるのが自然だろうか。
すると、ウォルグさんが立ち上がった。
そのまま彼は私に手を差し伸べて、その手を取って私も立ち上がる。
「このままここに居ても、埒があかない。この場所がどこなのかを確かめる為にも、人を探すべきだろう」
「私もその意見には賛成ですわ。……パッと見ただけの印象ですけれど、近くには民家らしきものは無さそうですわね」
もしもここがアルマティアナではなく、どこかの無人島だとしたら……。
私達は、どうすれば良いのだろう。
「私のせいで、ウォルグさんを巻き込んで……」
そんな不安が過って、顔に出てしまったのだと思う。
ウォルグさんが私の肩にそっと腕を回して、抱き寄せてくれた。
「ウォルグ、さんっ……?」
「……俺が側に居る。必ずあいつらの元に帰るぞ、レティシア」
シンプルだけれど、不器用な優しさを感じる真っ直ぐな言葉。
それは私の心に温かな火を灯してくれるようで、自然と力が湧いてくる。
どんな困難が待ち受けていても、彼となら二人で一緒に乗り越えられる──そう思えるのだ。
「……ええ、絶対に皆さんの所へ帰りましょう!」
「その意気だ。……さあ、行くぞ」
「はい!」
しっかりと前を向いて、決して泣き言を言わない。
私の手を取って歩き出したウォルグさんの手は、大きくて力強くて、温かい。
「……ありがとう……ございます」
彼に聞こえるかどうか分からないけれど、こっそりと呟いて。
こんな私を見捨てないでくれて……ありがとう。
──貴方が居る世界は、こんなにも輝いていて、美しい。
*
浜辺から見えた通り、この辺り一帯に民家らしきものは見当たらなかった。
勿論、人通りも無い。
それどころか、魔物の一匹すら現れないのだ。
「かなり歩いたはずですけれど、見渡す限り草木ばかりで……何の手掛かりも掴めませんわね」
「どうする、少し休むか?」
「いえ、まだ大丈夫です。それにしても……」
「本当にどこなんだろうな、ここは……」
見渡す限りの木々と草花。
時折風が運んでくる潮風の匂いが、この地域が海に囲まれた土地である事を強く印象付ける。
しばらく歩いていくと、小高い丘に出た。
背の高い木々が少なく見通しが良いその丘を進んでいくと、ようやく建物らしいものを発見する。
と同時に、ここはやはり島である事が分かった。
あの石造りの建物に人が居なければ、私達が無人島に漂流した事が確定してしまう。
……そうでない事を祈るしかないわね。
無人島だなんて、どうやって脱出すれば良いか分からないもの。
丘を越えて、私達は先程見えた建物の前にやって来た。
かなり大きな建物のようだけれど、手入れはされていないらしい。
石造りの神殿を思わせるその建物からは、あちこち蔦が張っていて、壁が少し欠けた箇所もある。
けれども今すぐ崩れそうな程の劣化ではなかったので、人が住もうと思えば、どうにか住めなくはないように思えた。
「この建物、何だか……」
「何か気になるのか、レティシア?」
「その……何というか……」
海の近くの、石造りの建物。
浜辺で目を覚ました時に感じた以上の懐かしさが、私の胸を満たしていた。
ここは──この場所には、覚えがある。
「……夢で見た場所に、よく似ているのです」
「夢……? 正夢という奴か?」
「正夢というより、第三者から見た視点でしたけれど……。ええ、間違いありません」
私は知っている。見た事がある。
ここで暮らしていた人々の──とある少女と、騎士の記憶を。
「ここは……千年前に生きた巫女、エルーレが暮らしていた神殿です」
「伝説の、巫女の……くっ!?」
「ウォルグさん!? どうなさいました──っ、」
その瞬間、ウォルグさんがガクリと膝をついて頭を抱え、苦悶の表情を浮かべた。
何事かと慌てて彼に寄り添い状態を確認しようとした直後、今度は私にも異変が起き始めたのだ。
その場で立っていられない程の、激しい目眩と頭痛が私を襲う。
ウォルグさんも同様なのだろう。
原因不明の症状に為す術を失った私達は、次第に増していく頭の痛みに、とうとう意識を手放した。




