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スマイルジャパン 2016

律儀者

作者: 齋藤 一明

 恐ろしい地震から一夜が明けた。昨夜と同じ空から、うあはり昨夜と同じように雪が待っている。

 夢であってほしい。自分一人がうなされたと思いたかった。なのに、肌を刺す冷気が夢でも幻でもない、れきとした現実なのだ。


 どうしようか、開けようか、それとも閉めたままにしようか。湯が沸くまでの間、俺は逡巡していた。その思いは女房も同じようで、しきりと俺を窺っているのがわかる。


「なあ、どうする。自分のことを考えたら店を開けないに限る。だけど、お客のおかげでやってこれた店だからな。そんなこともできないし」

「どうだろうね。きっと山本さんと久住さんが来るような気がするよ。あの人たちを切り捨てるなんてできないよ」

 山本と久住は、長年勤めてくれているパート店員。そして俺は、コンビニの経営者なのだ。

 劇的な地震に襲われたのは昨日の午後だった。町の中心から少し外れた街道沿いの店は、陳列棚から商品が全て落ちてしまった。棚を強固に固定してあったのが幸いして、ビンの商品が割れただけの損害ですんでいた。

 が、とにかく店内を掃除しないことには客を入れることはできなかった。そして夜になると閉店だ。昨日はそうして過ぎていった。


 女房が予想したとおり、二人のパートがやってきた。そして、大声で言った。

「表見ました? お客がいっぱい、店開けるのを待ってますよ」

 客が大勢待っている。だとしたら店を開けないわけにはいかない。

 だが、それでも迷う。

 客の目的は想像がつくのだ。食べ物、飲み物、ポケットカイロ、電池、ティッシュ……

 客が求めるものは、自分にも必要なものだ。それに、こんな災難にもかかわらずパートが出勤したのもそこにあるだろう。それを知っていて、店を開けられるだろうか。だって、店を開けたら最後、目ぼしい物はきれいさっぱり無くなってしまうだろう。


 ダンダンダンダンダン

 待ちかねた客がシャッターを叩き始めたようだ。


「山本さんと久住さんが出勤したのは見られてる。店を開けるしかないな」

「開けるはいいけど、二人に……」

 言外に何かを持たせようと言っているように聞こえた。

「二人には悪いけど、多くは無理だ。けど、何か用意するから店の中を掃除してるふりをしてくれないか。時間稼ぎをしないと勘ぐられてしまうからな」

 うんうんと頷いて二人に用事を言いつけ、女房に急いで準備をさせる。その間に、俺は裏口から駐車場に出て、散らかった店内を掃除させているとごまかした。


 握り飯が売り切れた、パンが売り切れた。弁当やドーナッツも売り切れた。米が売れ、味噌、醤油が売れ、餅も売れてしまった。即席麺などは真っ先に売れてしまった。それでも俺は、なるべく平等になるようにと、大量買いを断った。停電でレジが使えず、電卓で計算しながらの営業だ。

 一人の若い女がおずおずと近づいてきた。

「家が流されてしまって現金がありません。必ず払いますから、これを売ってください」

 縋るような目だった。

 それはそうだろう。体一つで飛び出したのなら、現金を持っていないこともあるだろう。とはいえ、皆が見ている前でそれを認めてしまうと誰もが踏み倒すのではないかと不安になる。

「何人で食べるんだい?」

 女が手にしているのは、握り飯が二個と、袋菓子。そして、オレンジジュースと板チョコ二枚。

「子供が二人います。一人はまだ母乳で、一人は年少です。それと、主人の母」

 ごく普通の主婦なのだろう。亭主のことを言わなかったのは、まだ逢えていないのだろう。たった二個の握り飯を分け合って、しかも乳を飲ませなければいけない。嘘か本当か確かめることなどできなかった。

「気付かれないように、そこのドアから出なさい」

 俺は女を隠すようにしてドアを開けた。


 ドアの外は商品置き場だ。もう目ぼしい物は残っていないが、腹を満たすくらいはあるだろう。

 即席麺と、使い捨てカイロ、ティッシュ、栄養ドリンク。そのあたりを袋に詰めて持たせてやった。そして、賞味期限切れだけどと念を押して弁当パックを二つ入れ、外から見えないよう新聞紙で蓋をした。

 女の目から大きな涙がこぼれてきた。


 金を用意できたらどうしても支払うからとあまりにしつこいので、手近にあったノートに代金を書いた。最初に持っていた商品の分だけ八百八十五円だ。女はそこに自分の住所と名前を書いた。そして、店の名前を教えてくれと言った。

 しかたなく隣のページに同じことを書いて、店の名と俺の名も書いた。


 他の客に見つからぬよう迂回させて帰すとき、女は何度も振り返って頭を下げていた。


 そんなことが何度も繰り返された。

 すぐに救援物資がくるだろうと商品を売り切った俺に伝えられたのは、物資到着ではなく、広域避難命令だった。


「時田さぁん、時田康則さんはおられませんかー。○○町の時田さぁん」


 体育館の入り口で人探しをしているようだ。細く開けた窓から入ってくる音は、ほかの雑音にかき消されてしまうものだ。そのとき俺は、凍えるような一夜を明かしてタバコを吸っている最中だった。顔も知らない者が大勢寄り集まっているのだから、車内に大切なものを残して離れるわけにはいかない。現金や通帳、わずかな食料と燃料。そして、品薄になったタバコ。

 女房だけ体育館で寝かせてもらい、俺は最大の財産であるワゴンを守っているのだ。


 コンコン

 窓を叩く音に身を起こしてみると、当惑したように女房が立っていた。


「なんだ? 朝飯ぬは早いだろう」

 そのまま話そうとしたら、ドアをガチャガチャ開けようとする。

「開けたら寒いじゃないか」

 しかたなく外へ出ると、見慣れぬ若い女が立っていた。


「こちらの方が時田さんを探しておられたのです。この方で間違いないですか?」

 避難所を管理している女性だった。

 女は、相手に丁寧に頭を下げて間違いないことを伝え、俺にも頭を下げた。

「あの時はありがとうございました。おかげさまで子供もおなか一杯食べられました。お借りしていた代金が気になって」

 ポケットから封筒を差し出した。何気なく受け取って中をあらためてみると、千円札が二枚入っている。

「これは?」

 戸惑う俺に、一枚の紙を差し出した。

「あぁ、現金がないと言ってた人か。そうか、ここまで逃げてきてたのか。元気そうでよかったなぁ。だけどな、これは受け取れないよ。気持ちだけでじゅうぶんだ」

 律儀に金を返しにきたのだ。それも、どこにいるか分からないまま避難所を巡ったそうだ。幸いなことに実家へ逃げ込むことができたので、生活の不安はなくなったと言う。ただ、亭主の安否は分からないままだとも言った。

 封筒を受け取る、受け取らないの押し問答の末、俺はありがたく中から一枚だけ抜き取った。

「それでなぁ、あいにくつり銭がなくて。悪いけど、これをつり銭代わりにしてくれないか」

 座席の下に隠しておいたタバコをいくつか掴んで女に持たせてやる。

「おつりなんか要りません。それに、タバコを吸う者はいないので」

 押し返そうとするのを無理に宥めた。

「これを物と交換すればいい。タバコなんてどこにも売っていないから、菓子と交換してくれるさ。だけどな、安売りするんじゃないよ。一箱五百円相当の物と交換するんだ」

「ティッシュやら弁当の代金は?」

 女はしつこかった。

「弁当は賞味期限切れだっただろ、ティッシュは不良在庫だったやつだ。そんなもので金をもらえないよ」

 俺もしつこい。頑として言うことを曲げない。

「なぁ、考えてみなよ。あの時のお客、誰一人として盗んでいかなかった。外国のニュース見たことないか? 何かあるとすぐに略奪や暴動だ。正直に言ってくれれば便宜を図るさ。金になろうがなるまいが、たいした違いはないんだからさ。それに、こうして探してくれただけありがたい。その気持ちがありがたい。なっ」

 それ以上言えなかった。


 この災難に思う。

 災害は辛い。だけど、この土地に暮らす人は、律儀者だ。

 それを知っただけ、善しとしようじゃないか。


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― 新着の感想 ―
[一言] いい話ですよね。でも生きているから言える話ですよね・  自然災害に関しては運を信じるしかないですね。  だって津波が恐いと山に逃げても、噴火するではないですか。
[一言] おにぎり一個が命綱な日々が確かにありました。 それを求めて歩く人も沢山いました。 家が流されて所在不明となった姉と姪と甥を探して、車やトラックが横倒しになった国道を歩いていると、流され…
[良い点] 発信し続ける人はいなければいけません。 [一言]  斎藤さんが震災の話を書いているので、刺激されて私も一つ書きました。  人というのは助け合うことができるのです。  それが最大の…
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