シュペル伯爵のお屋敷
やがて馬車は、大きな門を潜り抜けて敷地内へと入っていく。
「あれ? なんか今、物凄いスムーズに門が開いたような」
背後の窓に張り付くと、先程門を開けていた人達が閉めているのが見える。
確認とかしなくていいのかなあ、と思っているとシュペル伯爵が口を開く。
「ああ、馴染みのない文化かもしれませんね。貴族の馬車というものは一目でそれだと分かる意匠がされているのですよ。なので、ああいった門兵は主人のものだと確認できると同時に開け閉めをするように教育されます」
「ふーん。でもそれって、偽者が来ても止められないんじゃないですか?」
だって、中を見ないんだったら偽物の馬車でも分からないし……何より、本物に偽者が乗ってたらどうするんだろう?
僕がそんな疑問を抱いていると、シュペル伯爵はおかしそうに笑う。
「ははっ、なるほど。しかしですね、アリスさん。たとえばそうやって私の屋敷に侵入し幾らかの金品を手に入れたとしましょう」
「はあ」
シュペル伯爵が何を言いだすのか分からず、僕は適当に相槌をうつ。
すると次の瞬間。シュペル伯爵は僕がゾクリとするような笑みを浮かべる。
思わずミケを抱きしめると、腕の中でミケがぐえっと叫ぶ。
「その幾らかの金品と引き換えに首が物理的に飛ぶとしたら……それは、その人にとってやる価値のあったことでしょうかね?」
えーっと、それってつまり。
「実際にやったらそうなる……ってことですか?」
「ええ。もれなく死刑が当たります。外れクジ無しですよ」
カラカラと笑うシュペル伯爵に、思わずぞっとする。
うう、貴族なんて会ったこと無いけど、こういうものなのかなあ……。
「そ、そうなんですか」
「怖いと思われるかもしれませんが」
そんな僕の心境を察したのか、シュペル伯爵が急に真面目な顔になる。
「治安を維持するには大切なことです。人はリスクとリターンを秤にかける生き物ですからね。どう考えてもリスクに釣り合わないと考えられなければ、万が一だとか命がけとか、そういう言葉で誤魔化して実行してしまうのですよ」
「うっ」
それは僕も覚えが無いこともない。
ほんの少しでも可能性があるのなら……というのは、時と場合によっては実行に足る理由だったりする。
そういうのを防ぐ為……ってことなのかな。
「悲しいことですが、これは一般庶民と貴族の間の溝を少なくする為の方法でもあります」
「え?」
いや、むしろ特権階級とかで反発が強くなるんじゃないかな。
不公平感があるような気もするし……。
首を傾げる僕に、シュペル伯爵はふむと頷く。
「理解できないといった顔ですね」
「えっと……はい」
「まあ、そうでしょうね。普通はそうです。ですが……」
シュペル伯爵が何かを言いかけたのと同時に、馬車が停止する。
「おっと、着いたようですね。では、この話はまた今度ということで」
扉がコンコンと叩かれるのを聞いて、シュペル伯爵は扉を叩き返す。
すると、それを待っていたかのように扉が開かれて白髪の執事さんっぽい人が顔を出す。
「お帰りなさいませ、旦那様」
「ええ、ただいま戻りましたオルトナート。約束の子を連れ帰ったから、準備をしておいてくれますかな」
「はい。そう仰ると思いまして、準備は常に怠っておりませんでした」
……ん?
常にって……いつからなんだろう?
首を傾げる僕をそのままに、二人の会話は進んでいく。
「流石はオルトナート。完璧ですね」
「旦那様の執事として相応しい行いを心掛けただけにございます」
そう言うと、オルトナートさんはすっと馬車の前から退く。
「さて、それでは行きましょうか」
「あ、はい……って、あ! 僕まだご挨拶してなっ」
「問題ありませんよ。そうでしょう、オルトナート」
僕の手をとろうとするシュペル伯爵に視線を投げかけられ、オルトナートさんは優雅に頷いてみせる。
「旦那様の仰る通りでございますアリス様、ミケ様」
「え?」
なんで僕の名前を知っているんだろう。
ってあれ、ミケの名前まで?
思わずミケを見下ろすと、ミケはふいと横を向く。
ムカッとしたのでどうしてくれようかと思っていると、ミケがシュペル伯爵をじっと見ていたのに気付く。
「……教育済というわけですかな」
「ええ、約束の時をただ夢見てまどろむ程、愚かではないつもりですのでね」
「どういうこと?」
「すぐに分かりますとも」
僕がシュペル伯爵とミケの会話に思わず口を出すと、シュペル伯爵はそう言って微笑む。
「ミケ?」
「まあ、こいつの言う通りなのでしょうな。恐らく全ての準備は整っているはずです」
む、むう。
全然分からないけどとりあえず、此処ではミケが喋っていても問題ないってことらしい。
でもとりあえず鼻をむにゅっと摘むと、ふしゃーと威嚇される。
「……次は予告無しで噛みますぞ?」
「ミケが悪いんじゃないか」
睨みあいをしたあげく、僕の方がふいと目をそらす。
……だって、本気のケモノの目をしてるんだもん。
超怖い。
「では、こちらへ」
会話が終わったことを察したオルトナートさんが数歩進み、シュペル伯爵が僕の手をとって馬車を降りる。
ミケって結構重いから片腕でいけるかな……なんて考えていたら、早々にミケは鞄の中に潜り込んでしまう。
顔だけ出しているのはちょっと可愛いけど、悔しいから絶対に口には出さない。
「……わあっ」
馬車を降りた僕が見たのは、美しく整えられた庭園と大きなお屋敷。
シャプニの建物も綺麗だったけど、此処はそれの比じゃないくらいに綺麗だ。
先程通ってきた大きな門から広がる、鮮やかな緑の庭園。
咲いている白い花も種類は分からないけど、とっても綺麗だ。
そして極めつけは、大きな白いお屋敷。
純白と言っていい程に美しいそれは……あれ?
「……赤じゃ、ない?」
「私としては不本意でしたが、当時の陛下に泣いて止められましてね。仕方が無いので地味な色にしているのですよ」
「そ、そうなんですか」
これはこれで派手なんじゃないかなー……と思いつつも、口には出さない。
僕ってほら、空気読めるし。
「フッ」
ミケが鼻で笑ったのを察したので、とりあえず軽くヒゲを引っ張っておく。
噛まれなかったところを見ると、許容範囲だったんだろうか。
「さあ、行きましょうか。ちなみにこれはただの玄関口で、庭園でも何でもないですからね」
「えっ」
僕にとっては充分庭に見えるんですけど。
ていうか、庭でいいんじゃないの?
うう、お金持ちって分かんない。
僕がカルチャーショックに打ちひしがれている間にも、屋敷の扉の前にいた人達が洗練された動きで扉を開ける。
ショックでぼーっとしていた僕は屋敷の中に入り……シュペル伯爵にトンと肩を叩かれて、ハッとする。
「え? な、なんですか?」
「正面、ほら御覧なさい」
言われて、僕は正面を見てみる。
僕が今居るのは、大きなホール。
ダンスでも出来そうなくらい広いホールは他の部屋へと繋がる中継点のようで、けれど物凄い高そうな装飾品も置かれている。
「う、うわあ……凄い」
高そうな壺に、奥のほうに置かれた銀色の全身像。
あのツインテールなんか手間がかかって……あれ?
「んん?」
その像の姿を何処かで見たような気がして、僕は思わず凝視する。
立派なツインテールに、少しきつめの目。
半袖の上着と、その下のシャツ。
半ズボンに、ラインの入ったハーフブーツ。
「ん、んんー?」
控え目に見ても、僕に見える。
でも、そんな馬鹿な。
「あ、あのー……」
恐る恐るシュペル伯爵に振り返ると、シュペル伯爵は黙って台座を指差してみせる。
そこには金色のプレートで「アリス」と書かれている。
……うわあ、何のごまかしもなく僕じゃないか、これ。
でも、どういうこと?
「なんで僕の像がこんなとこに? あ、同姓同名とか?」
それなら説明がつくと納得しかけた僕に、シュペル伯爵は黙って首を横に振る。
「いいえ、アリスさん。それは間違いなく貴女の像です」
「え、でも。いつこんなもの造ったんです?」
僕とシュペル伯爵は会ってからそんなにたってないし、そもそも僕が目覚めてからも然程日がたっていない。
こんなものを造る暇なんて無かったと思うんだけど。
「簡単です。私は貴女に会う前から貴女を知っていた。だから造れたんです」
「それって……」
まさか、「セイジ・ヨツヤ」という人のことだろうか?
その人だとするなら、僕の何を知っていたんだろう?
「私はセイジから貴女の事を伝えられました。目覚める前の貴女に会ったこともありますよ」
「目覚める前って……拠点に来た事があるんですか?」
「アルギオス山脈のものですね? 私が入ることの出来る権限が設定されていると聞いていますが」
え、何それ知らない。
帰ったらしっかり確かめておこうと思いつつ、僕は頷く。
頷いて……僕は「それ」に気付く。
「待って、それは……おかしいです」
つまりそれは、「セイジ」に僕の拠点を操作する権限があったという事だ。
でも、僕は「セイジ」に拠点の最上位権限を設定した覚えは無い。
僕の拠点は、ゲーム時代でも僕以外のフレンドは皆ゲスト権限だけのはずなんだから。
それなのに、「セイジ」は間違いなく最上位権限を持っている。
それに、それに……だ。
「え、待って。僕は」
僕は、アリス。
僕の記憶の始まりは、あの目覚めの時から。
僕が前の「僕」であった時の最後の記憶は、あの病室。
でも、僕が目覚めていない謎の期間が存在している。
それなら、いつが「僕」の終わりで、いつが僕の始まりなんだろう?
「アリスさん。貴女は間違いなくアリスです」
シュペル伯爵は僕の手を握り、正面から僕の顔を見つめる。
「貴女は貴女以外の何者でもなく、貴女以外の何者も貴女になれはしない」
「でも、僕は」
「全てを伝える前に、まずはこの事実を伝えましょう」
シュペル伯爵の視線から、僕は逃れられない。
その「事実」とやらに、全力で耳を傾けてしまっている。
「貴女は疑いようも無く、この世界の存在です。セイジがやがての未来の為に造り出した……それが貴女です、アリス」
その言葉は、嘘ではない。
それが何故か僕には分かってしまって……僕の瞳から涙が流れた。




