1997年、卓上の世界(3)
僕は十ゴルト硬貨を持って道具屋から出た。店を出る間際に
「また来てくれよ!」
と道具屋の主人に言われた。しかし僕には売ってくれる物が無いのに、それはあまりにも矛盾している一言だった。今日は土曜日だ。昨日日曜日だった翌日の土曜日だ。今日は一番の目的は長老に会いに行くことだ。タツヤの話によると長老は村人とは違うらしい。だから僕は多少期待していたのだ。長老というからには何かを知っているのかもしれない。
長老の家はこのシュタルトの村で一番大きい家である。僕は長老の家の玄関まで来ていた。そしてドアをノックしてみた。すると中から小さい声で「どうぞ」と聞こえた。中に入ると大きな部屋ひとつの簡単なつくりの家だった。部屋中央のテーブルの前にソファーがあってそこに長老らしき老人の男性が座っている。
「よくぞいらっしゃいました。どうぞそこへお座りください」
老人は僕に対面のソファーに座るよう席を勧めた。
「私はこのシュタルトの長老です」
長老は自己紹介をしてくれた。
「はじめまして、僕はタツヤといいます」
そう言いながら僕は長老の顔をもう一度よく見た。年齢は七十歳くらいの老人だった。顎には長老と呼ばれるだけの年季の入った長くて白い髭を生やしていた。
「さて、私に何か御用でしょうか?」
長老が聞いてきたので僕は長老に話を始めた。
「僕はこの一週間前からこの村へやってきたのです。でもそれ以前の記憶が無いのです。それが不思議なのです。昨日村人がやってきました。あの道具屋の主人とその奥さん。それにそこの子供二人です。でも彼らもこの村に来る以前の記憶が無いというのです。今日から長老様もいらっしゃいました。長老様もここへ来る以前のことを覚えていらっしゃいますか?」
僕は自分のことそして道具屋の家族のことを例に挙げて長老に尋ねた。
「そうですか。実は私にもわからないのです。今日ここへやってきたのはわかるのですが、全くそれまでの記憶が無いのです。私はあなたよりもだいぶ長く生きてきておりますが、本当に記憶が無いのです。私は年齢が年齢ですので、もう様々なことを忘れていっているのかも知れないと思いました。しかし今あなたと、道具屋のご家族のことを聞いて私だけではないと思いました」
長老もやはり同じだった。しかしその話している様子、表情からして道具屋の家族とは違うと思った。どちらかと言えば、タツヤに近い人間に感じた。
「そうですか。長老様も同じですか。僕もこの一週間ずっと疑問に思っていたのです。今まで自分が何をしていたのだろうかと。そしてこれから僕はここで何をするべきなのだろうかと」
僕がそう言うと、長老が答えた。
「いや、私には何故自分が今ここにいるかは理解しています。ここで何をすべきかを知っているのです。以前の記憶は無いのに、何故ここにいるかはわかるのです。若干気持ち悪い感じもしますがね」
僕は驚いて聞き返した。
「何故ここに来ているのかはわかるのですか?」
「ええ、わかります。私はここにいて予言で言い伝えられている戦士を待たねばならないのです」
僕はさらに驚いた。ここに来て初めて聞いた具体的な情報だったからである。
「予言とは一体何なのですか?」
「今この世界にはもうすぐ悪の皇帝が蘇ろうとしているのです。そしてその悪の皇帝が復活するのを阻止するために予言に言い伝えられている戦士が、このシュタルトの村にやってくるのだというのです」
私は黙って聞いていた。
「私はこの村の長老としてその予言の戦士を迎えなければいけません。彼らには私が死ぬまでになんとしても伝えたいことがあるのです」
「じゃあそのためにこの村へやってきたということですか?」
「私の場合はそうなります」
僕は長老の話を聞いて少し考えた。すると長老はまた話し始めた。
「予言の戦士を見極めるために彼らに試練を与えなければいけません。それは北の門の向こうに小高い丘があるのをご存知かな?」
「ええ、知っています」
「あなたは私より一週間前からここにいらっしゃるわけだから当然知っているでしょうな。あの小高い丘の向こうには洞窟があるのです。そこにフォイヤの炎と呼ばれる宝玉があるのです。それを取ってくるというのが戦士への試練なのです。その試練を乗り越えたものこそ予言の戦士なのです」
僕は黙ったまま話を聞いていた。
「フォイヤの炎を取るには、恐ろしい魔物と戦わねばなりません。生半可な戦士では命を落とすでしょう。何故ならあの洞窟に入って生きて帰ったものはいないのですから」
私は長老に気になったことを質問することにした。
「そのフォイヤの炎とって戻って来た者は予言の戦士なのですね。そのあと彼らはどこへ行くのですか?」
「もしフォイヤの炎を取って戻ってきた者がいるなら、その者を予言の戦士として認め、次へ進むべき道を私が指し示すのです。予言の戦士と認められた者にはこの世界のカギと呼ばれるものを渡します。それによって次の旅への道が開けるでしょう」
そう言って長老は「世界のカギ」と呼ばれるものを僕に見せてくれた。宝石のようなものが装飾された鍵であった。
「この世界のカギを渡すことまでが私の使命なのです。ですから私はそのためにこの村へとやってきたのです」
長老の話はひと段落ついていたが、私には疑問が湧くだけだった。
「長老はその洞窟は行ったことあるのですか?」
「いいえ、ありません」
「この村から外へ出たことはありますか?」
「いいえ、ありません」
「何故長老はあの小高い丘の向こうに洞窟があることがわかるのですか?どうしてあそこにフォイヤの炎があるとご存知なのですか?」
「それは預言書に書いてあるからです」
私は納得がいかなかった。村の外へ出たことが無い人が何故そう言うことを知っているのだろう。預言書を読んだからといっても、私よりあとからこの村へ来た長老がそう言うことを知っているのは疑問だった。以前の記憶が無いのに、何故か預言書は知っている。ここで何をするべきか知っているというのはどうも矛盾した話に感じた。
「預言書はどこでお読みなりましたか?」
長老は答えない。
「世界のカギを持っているのはわかりました。でもそれをどこで手に入れたのですか?」
この質問にも長老は答えなかった。このあと僕はいくつか長老に質問したが何も答えてくれはしなかった。あきらめて私は話題を変えることにした。
「あそこの道具屋の家族がいますが何故彼らはこの村に来たのでしょうか?」
「それは私にもわかりません」
この質問には答えてくれた。結局僕には何も残らない結果だったが。
「ただ彼らがこうして幸せに生きていられるのも、神のおかげでしょう。それは私もあなたも同じなのです。それを忘れてはいけません。何かお悩みなら教会へ行って祈りをささげるのもいいでしょう」
長老はそう言った。僕はもう話すことも無かったので長老の家をあとにした。
僕は長老の家を出ると深いため息をついた。結局納得の行く話は聞けなかった。ただこの世界はもうすぐ悪の皇帝が蘇るということ、そして予言の戦士が現れるということがわかった。しかし預言書の詳しい話が聞けなかった。果たして信用できる話なのだろうか。
こうなってくると過去の記憶が無い、何のためにここへやってきた理由がわからない僕や道具屋の家族のほうがよっぽど辻褄が会う気がする。長老の置かれた今の立場は根拠に乏しくいろいろと中途半端な印象がした。
僕は十ゴルト硬貨のことを思い出した。金額は確かに足りていた。でも道具屋の主人は売ってくれなかった。僕は正しかった。僕が考えていることには間違いなく辻褄があっている。そしてこの村人、村長はそれなり辻褄もあっているようで矛盾も多い。道具屋が僕に商品を売ってくれなかった事は確かに不可解だった。でも道具屋はここに来る前も道具屋をやっていたのだろうか。長老もここに来る前は長老だったのだろうか。彼らは以前からそんなことをしているように平然と生活している。僕はまた自分の記憶のことを思い出した。しっかりと自分の家で目覚めたことを覚えている。そしてそれ以前のことを思い出そうとしても思い出せない。どこかで見かけたような風景も僕にはなかった。僕には言葉があり、考える力がある。それは明らかに今までこの村に来る以前にどこかで生きていた証のはずなのだ。
夕方、またタツヤがやってきた。
「やあ、どうだい?調子は?」
「長老という方に会って話をしました」
「そうかい。端的に言ってどうだった?」
「なんというか満足できるような答えが聞けなくてがっかりです」
僕がそう答えると、タツヤは驚いて僕の顔を見た。
「がっかりした? そうかい、がっかりしたかい」
タツヤの顔には笑みがこぼれている。僕には何がおかしいかわからなかった。
「じゃあ、長老は何をしに来ているか、もう話は聞いたよね」
「はい。予言の戦士を待っていると」
「そう。その通り」
タツヤがそう答えたので、今日長老の話が全部本当なのか僕は聞いてみた。預言書、悪の皇帝、洞窟、宝玉など長老の聞いた話を全て確認した。
「そう、全部その通りだ。長老は何一つ嘘をついていないんだ」
タツヤはそう言った。確かにその通りだろうと思った。
「あ、そのお金どうだった?」
タツヤはついでに昨日僕にくれたお金のことを聞いた。
「いえ、使えませんでした」
「そうか。やっぱり使えなかったか。いいんだそれで」
昨日と同じく、あの母親が子供たちを呼んでいる。もう家に帰る時間がやってきた。
「この一週間で君はだいぶ賢くなったね。そしてがっかりしたという人間らしい感情も芽生えてきた。僕に近付きつつあるんだろう」
タツヤはそう言った。
「そろそろ君が何故ここに来たか理由を少しずつだけど教えてもいいだろう」
彼は少し間を置いてから話し始めた。
「もうすぐここに旅人たちがやって来る。その中にひょっとすると予言の戦士がいるかもしれない。だから旅人たちに長老の話を聞くように話して欲しいんだ。そして小高い丘の向こうの洞窟のことを話してくれればいい」
「それだけですか?」
「いや、あと旅人たちにこのシュタルトの村全てを案内できるようになって欲しいね。これからも村人たちは数が増えるし、その村人もこれから変わっていくよ。君のおかげだね」
僕は初めて明確な目標が出来たような気がした。
「村人の数が全部そろって、教会にも牧師さんが来て街が完成したら旅人が来るようになる。一番最初の旅人はノゾミという女性だ。彼女を案内して欲しいんだ」
「女性の旅人を?」
「そう、ノゾミという女性を。これから君はこの村の事をしっかり勉強してもらわないとね」
タツヤはそう言った。
これ以降、村はどんどん人が増えていった。そうなっていく度にタツヤは嬉しそうに僕に話すのだった。そして彼はある日こう言った。
「ユートピア98の完成だ」