1997年、卓上の世界(2)
久しぶりにタツヤという人がやってきた。そして前に彼と会ったときと比べると違う点がいくつかあった。まず彼は石造りの砦からやって来たのではなかった。北の方角の小高い丘の向こうからやってきたのだった。そしてその日は土曜日だったのだ。
「久しぶりだね。ものすごく久しぶりだから懐かしい気持ちではあるな」
彼の言っている久しぶりというのは一週間ぶりだったので当然とは思った。ただし彼の言う懐かしい気持ちというのは少し理解が出来なかった。一週間という期間は懐かしいというほど長い期間であるのだろうか。彼と僕とでは時間の感覚が少し違うのだろうか。
「明日、村人がやってくるよ。君以外のね。今まで寂しかったかも知れないけど、これからにぎやかになると思うよ。いろんな人がやってくるけど仲良くやってくれ」
タツヤはそう言った。僕はそれを聞いてそうなんだと思った。
「それじゃ、僕は今日のところはこれで帰るとするよ。何か質問はあるのかな?」
タツヤがそう言うので、僕はどんな人が来るのかは多少興味があったけど、一番辻褄に合わないことを聞いた。それが一番不可解だったからだ。
「明日は日曜日になるのですか?」
「ああ、そうかそうか。いつも日曜日だったものね。曜日しか設定してなかったか」
タツヤはそう言って笑った。僕には何を言っているのかよくわからなかった。
「うん、ちゃんと明日は日曜日だよ。別に心配しなくてもいいよ」
彼はそう言ったので、私は納得することにした。彼は僕に似ているからだ。
*
翌日、彼の言うとおりに日曜日が来た。午前中はいつもと同じく家の外へ出られなかった。しかし窓の外を見てみると風車が回っていた。そしてちょっとした牧場に牛が二頭いた。今までとは明らかに違う変化だった。
午後になると家の外へ出た。すると小さな子供が二人走り回って遊んでいる。一人は男の子、もう一人は女の子だった。だいたい四歳、五歳くらいだろうか。そしてそばには母親らしき女性が立っていた。僕はその女性に話しかけてみた。
「こんにちは」
「こんにちは」
互いに挨拶を交わす。
「今日からここへやってきたのですか」
「そうみたいです」
「どこからやってきたのですか」
「さあ。私たちは主人とあの子供たちと一緒にこの村にやってきたのですが、以前どこに住んでいたのかはわからないのです」
やはり僕とこの女性も同じだった。この村の以前の記憶は無いようだ。僕は少しこの女性が何か知っているのでは無いかと思ったが、それは空振りに終わってしまった。ただ僕には少し気になることもあった。タツヤという人とこの女性の反応は全然違うと思ったのだ。この女性は自分たちがどこからやって来たかわからないと言う。それは僕と同じだ。でもこの女性は何故僕には何も聞かないのだろうか。自分たちの村に来る以前の記憶が無いのだとしたら、何故僕が以前どこにいたのか聞かないのだろうか。僕に対して聞きたいことは普通にあるはずだ。僕の以前どこにいたか、いつからこの村にいるのか、そのような事が自分たちのルーツを探る手がかりにもなるのかもしれないのだ。積極的に会話してくるタツヤという人とは全然違うなと思った。しかしそれと同時にこの女性は僕にも似ていると思った。僕はタツヤにも似ているが、この女性のどこか冷静で言い換えれば無機質な感じが僕に似ているとも思った。
「すいません。ご主人と一緒にこの村にやってきたとおっしゃいましたが、その後主人はどこにいらっしゃるのですか?」
僕はこれ以上この母親と話すこともないと思い、この人の夫と話をしてみることにした。
「はい。この村で道具屋を営んでおります」
僕はいつの間にかいくつかの店が立ち並んでいることを知った。そしてその中から道具屋を探し出してそこへ行ってみた。店内に入るとカウンターに男性が座っていた。中肉中背で濃いあごひげを生やした男性であった。彼は僕を見るなり「いらっしゃいませ」と言った。
「こんにちわ。すいません、さっき表の女性からあなたが旦那様だと伺ったのですが」
僕が話し出すと彼は「はい」とだけ返事をした。
「今日からここへやって来たと聞いたのですが、どこからやってきたのですか?」
「さあねえ、それはわからないねえ」
男性はのんびり答えた。やはりさっきの女性と同じだった。さらに僕は聞いた。
「ここで何をしているのですか?」
「何って、道具を売っているのだよ」
「どんなものを売っているのか、見せてくれませんか」
僕がそう言うと男性はカウンターの椅子から立ち上がって、後ろの棚に並んでいる商品を見せてくれた。棚に並んでいる商品は何かの薬草や瓶に入っている薬品のようなものなど、数点が並んでいた。商品にはそれぞれ「十ゴルト」とか「十五ゴルト」とか金額の書いた値札も付けられている。私がそれを見てしばらく黙っていると、次は男性から喋り始めた。
「これはメディツィンの葉。軽い傷なら直してくれるよ。そしてこれはメディツィンの実。魔法を使う回数を増やしてくれるよ。そしてこれが… …」
男性は僕に店に並んでいる商品をすべて説明してくれた。しかし全部の説明が終わると、
「でも残念。君には売れないよ」
と彼は言った。私はお金を持っていなかった。何故、彼が僕にはお金がないと気付いたのかはわからなかった。僕は話題を変えた。
「ここでお店をやっていて、誰か来るのですか?」
「君が来ているよ」
「僕以外に誰か来ましたか?」
「君以外誰も来ていないよ」
「誰もお客さんが来ないときはどうされるのですか?」
「どうもしないよ。ここにずっと座っているだけ」
「一日どう過ごされているのですか?」
「ずっと店番をして過ごしているよ」
彼もまた僕によく似ていると思った。それはさっきの女性と同じものを感じたからだ。僕にはそれ以上聞くこともなくなったので店を出ることにした。店を出る間際に男性は元気よくこう言った。
「また来てくれよ!」
そろそろ日が暮れる頃だった。まだ表にはあの子供二人が走り回って遊んでいる。それを母親がずっと眺めている。村には人が増えた。それはこの村始まって以来の一番大きな変化だろう。しかしそれは村人が増えただけであって、それ以外の変化は無かった。子供たちの遊んでいる声と風車の回る音は聞こえるがそれ以外はひっそりとしていた。
すると今日は南の石造りの砦から人が出てきた。タツヤだった。まず彼は僕にではなく、道具屋へと立ち寄った。そしてしばらくしてから店から出てきて、次はあの二人の子供の母親と話を始めた。僕には少し離れた位置で会話をしているから、何を話しているかは聞き取ることは出来ない。タツヤは顔に笑顔を浮かべながら会話をしているが、母親のほうは無表情で頷きながら会話をしていた。それは生きた人間と魂を抜かれた人間の会話のように見えた。言葉では通じ合っている。しかしその会話にはどこかお互いの繋がりを感じることは出来なかった。僕に似ているタツヤと僕に似ている彼女との会話なのにそれはとても不釣合いなものを感じたからだ。タツヤは彼女の会話を終えると、次は僕に向かって歩き始めた。
「やあ、タツヤ君。ご機嫌はいかがかな?」
彼は笑顔で僕に話しかけてきた。今日話した村人とは明らかに違うものだった。
「どうだい、村人と話をしただろ?どんな感じだった?」
「タツヤさんとは違うなと思いました。笑うことはしないし、それにここへやってきたことを疑問に思っていないようでした」
僕は今日村人と話したことをだいたい要約して説明した。それを聞いて彼は笑って言った。
「ああ、それはそうだろうね。やっぱり無愛想だね。そこは改善しないとなあ」
前もそうだったが、彼はやはり僕にはわからないことを言った。
「彼らは何故ここにやって来たか、そして何故僕がここにいるのか気にしてはいないようです」
僕は自分と村人の一番の違い、つまり認識の差を彼に話した。
「君は少し普通の村人とは違うだろうからね」
タツヤのその答え方はやや真相をはぐらかした感じに聞こえた。そこで僕はもう少し踏み込んで聞いてみた。
「彼らは以前どこにいたのでしょうか? 僕も以前どこにいたのでしょうか?」
その質問に彼は困ったような表情をした。笑ってはいるが、それは楽しいという感情を持っていないようだった。
「前にも言ったかもしれないけど、そのうちわかるよ。君は僕にとても似ている。だから僕の言っていることがわかるはずだ」
僕はその通りだと思った。やっぱり彼と僕は似ているのだと思った。でも一方で疑問に持っていることも話すことにした。
「僕もタツヤさんに似ているなとは思います。でも今日来た村人にも似ていると思います」
「君がかい?」
「そうです」
「どういうところが?」
「どこか冷たい感じが僕と似ていると思うのです」
僕がそう言うと、彼は腕組をしながら考え込んでいる。あたりもだいぶ暗くなってきた。
「もう暗くなったから、おうちに帰りましょう」
少しはなれたところに立っている母親が子供たちにそう言った。そうして子供たちと手をつないで今日私が行った道具屋へと帰っていった。それを聞いてタツヤは言った。
「もう僕も帰らないとね。君は賢いね。だから周りの村人とは違ってゆっくり育ててみることにしよう。そうすれば君はこれから僕にどんどん似てくると思う。そして周りの村人とは全く違う人になるだろうね」
やはりまた意味がよくわからなかった。ただ彼の今、現時点で言えることはこれが精一杯なのだろうと思った。
「さて、明日のことになるけれど、今度は長老が来るよ。周りの村人とは違って面白い話が聞けるのだと思う。あ、でも明日といっても月曜日じゃないんだ。土曜日なんだ」
僕はまた頭で考えた。今日は日曜日。そして明日は土曜日。僕がどこかで憶えて知っているはずの一週間の流れがずっと乱れている。でも僕は彼にそういわれた以上、今日の日曜日から明日の土曜日を迎えなければいけないのだ。
「今日はいろいろとお話が出来て楽しかったよ。君にはわからないことだらけだと思うけどね。申し訳ないけどもう少し我慢してくれ。そのうち面白いことになるからさ」
タツヤはそう言って帰ろうとすると、また振り返って思い出したように言った。
「ああ、そうだ。今日はこれを渡しに来たんだった。今日はご苦労さん。少ないけどチップだ」
そう言うと彼は十ゴルト硬貨を僕に渡してきた。
「道具屋でメディツィンの葉が買えるから、買ってみなよ」
ニコッと笑ってタツヤは石造りの砦へと帰っていった。
*
翌日の土曜日。僕は昨日タツヤからもらった十ゴルト硬貨を持って道具屋へと行った。メディツィンの葉がちょうど十ゴルトで売られていたので買ってみようと思ったのだ。しかし道具屋の主人はこう言った。
「でも残念。君には売れないよ」